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■ ■■ ■ HIRUMAS HEADLINE WEEKLY
■■■■■■ 週刊ひるますヘッドライン
■ ■■ ■                第10号 99.8.26-99.9.3
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 ひるますヘッドラインは、ひるますHP冒頭のコラムを一週間分まとめたもの
 です。HP更新情報、マンガ製作日誌、人文系書籍の情報、身辺雑記などです。
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■今週の主な内容
計見一雄『脳と人間』/山岸俊男『安心社会から信頼社会へ』/「藤盛」は何処
?/マックG4/『怪』第六号/下村ニューアルバムと民衆の記憶装置

■口上
パブジーンの配信休みにかこつけて、ちょっと更新を休んじゃったら、引き続き
めずらしくも忙しくなってしまって、さらにズルズル休んじゃいました。という
わけで?、今週からメルマガ「ヘッドライン」の発行は「土曜日」に変更したい
と思います。この前、土曜にやってみたら、その方がいろいろと余裕があってい
い、ということに今さらながら気づいたのです。

「別ひ」の「蕎麦を生きる」に「出雲そば」を追加。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/BETSU/betsu.html

■99.8.29
このまえヘッドライン9号に追加でチラっとふれた計見一雄さんの『脳と人間』
(三五館)、これって養老孟司さんの紹介文に「この国ではじめて輸入品でない
精神病理学が出た」とあるので、中井(久夫)派の私としては(笑)、「なに言
ってやがんでぇ!」という反発があったのだが、読んでみると面白い。面白いと
いうより、これってほとんど『オムレット』じゃん。精神分裂病を人間独特の「
現実」の崩壊としてとらえるところが同じ。中井久夫が『最終講義』などで言っ
てる「セルフシステム」の崩壊ってのも、ほとんど同じなんだけど、「語り」と
しては、あくまで現実(客観)に対する「自分」(主観)というものの崩壊、と
いうふうに語っていて、読む人はやはり「自分」(主観)が壊れるのだというふ
うに受けとるだろう。その点、計見さんの方が、より直截的。

ところで、このまえ、たまたま澤口さん=前頭葉派って話を出したけど、この本
も養老さんと並んで澤口さんが紹介文を書いていることからも分かるように、前
頭葉ベースで話が進んでます。ところが…、読んでいくと奇妙なことに前頭葉ベ
ースを否定するニュアンスが強くなってくる。現代社会では、社会的な自我の能
力が重要になる…というところまでは澤口説そのままなのだが、そこから「だか
ら前頭葉の能力を鍛えよう」という澤口的教育論?には行かない。むしろ前頭葉
に負担がかかることが分裂病の増加につながっているのでは(あくまで推測)と
して、身体のダイジさに話が進むのだった(それじゃー、小脳派じゃん)。

「自己とは、それまでのやり方の累積、その記憶のカタマリだろう」というのは、
まさに珠緒さん的定義。この本って、基本的にエッセイっぽくて、養老さんの紹
介文をまともに受けとった人は怒ってるんじゃないかと思うけど、そのある意味
での「軽さ」を象徴するのが、途中に挿入されるコラム。アフォーダンスだのク
オリアだのと新しいコトバについてフォローしているんだけど、「あっこれ面白
い」「こっちも面白い」などとまるで子どもが新しいことを憶えて喜んでるみた
いなのだ。これもまた、まるでオレそっくり…。

追記1:大先生に対して失礼な発言すいません。まったく悪意はございません。

追記2:ちなみに、前に紹介しかけてやめてた山岸俊男さんの『安心社会から信
頼社会へ』(中公新書)も、明言はしてないけど前頭葉派ですな(この本の面白
さはまた別のとこにあると思うけど、今の文脈でいうとそーいうことになる)。
この本は、ようするに伝統的な社会システムというのは、そのシステムに入って
さえいれば、安全が保障されていた社会(安心社会)だったけど、この伝統社会
が解体し、社会的な不確実性が増大している現代では、それぞれの人がそれぞれ
の責任で信頼できるかどうかの判断をして行動していかなくてはならなくなる。
これを否定的に捉えるのではなくて、「安心社会」の崩壊は、新たな「信頼社会
」をつくり出すにはいいチャンスだというのが、著者の意見です。そのためには
システムとしては出来るだけ組織の透明性を高め、情報を開示して不均衡をなく
すとともに、各個人の「社会的知性」を高めて行かなくてはならない、という。
ここらへんがまさに教育方針としては澤口さんと一致するところでしょう。つま
り「前頭葉派」。というか、実際、唐突にも澤口氏の提唱するコラム説などが引
用されたりしてるとこからも、立場的に一致してるんでしょう。
こーいった「安心」から「信頼」というコンセプトは、全体的なアウトラインと
してはなんとなく納得させるものを感じつつ、こういう説明って「なーんか抜け
てねぇか?」と思うんですが、もちろん「目的」とか「欲望」、「意味」、ある
いは「善」とか「美」といったことがすっぽりと抜けてるんですね。人間が「社
会」というか、世の中をつくり出していこうとするモチーフを、すべて(非倫理
的な)「打算」「功利」でもってうまく説明したいというのが、この手の社会心
理学の根本的なモチーフにあるということなんでしょうか(この辺はズバリ社会
学者という人々に聞いてみたいもんです)。そういうことであれば、社会学的な
説明が「前頭葉」的なものと結びつくのは当然の結果という気もしますが…。

■99.8.31
前出の「蕎麦を生きる」に、「藤盛は何処?」を追加。幻の蕎麦屋「藤盛」を探
せ!という企画です。ぜひご協力下さい。

■99.9.1
すごいですねー、っていうか、何なんだ?ってのが、マックG4。読売夕刊では
「スパコン並み」と出てましたけど、G3の3倍とも書いてある。さらにはネッ
トでのニュースでは、フォトショップの処理速度がペンティアム3の二倍…。結
構なことですけど、逆に言えば、そこで引き合いにだされてる「スパコン」って
そんなものだったの…?、そんなものでワイロだ、なんだのって札束が飛び交っ
たのか(むか〜しの話です)。どうでもいい話ですけど、よーするにやっかみで
す。最近、忙しいので、仕事で使ってるマック(604チップ/200メガ)の
遅さが、やけに頭に来るのだ。

とはいえ、今、自宅パワーブックがついに崩壊してしまったので、この文章は、
なんと「カラークラシック」で書いてます。G4時代のカラクラ…、う〜ん、ワ
ンダフル…。

■99.9.2
ちよっと古い話ですが、京極・水木・荒俣さんの季刊『怪』第六号(角川)がで
てますよね。今回は、四国は物部村に伝わる「呪術いざなぎ流」の特集(京極氏
や、民族学の小松和彦氏が書いてます)。さらにはコリン・ウィルソン(コリン
さん)の「日本の地爆霊」、水木先生のコナン・ドイルのマンガなど、超充実し
てます。それはともかく、たまたま私、図書館でその小松さんの『憑霊信仰論』
(伝統と現代社)を借りて読んでたんだけど、これが「いざなぎ流」の研究が中
心になったものでした。これは京極がデビュー作『姑獲鳥の夏』で参考文献にあ
げるなど、ある種、京極の作品の元ネタでもある論文として、(京極ファンの間
では)知れ渡ってる本なんだけど、発行元が「伝統と現代社」というマイナーな
世界のせいか、あまり本屋でも見かけなくて、私もとうとう今まで読まずにいた
というものなのだった。で、実際読んでみて、いまとなっては「常識」となって
しまったような部分も多いが、それだけに、そこで新たな「認識」が生まれつつ
ある、という臨場感みたいなものを感じた。そういう意味ではスゴイ本で、それ
を踏まえ言うのだけど、それ以上に、むしろ、ここでは語られていない「京極夏
彦のオリジナリティ」というものを強く感じてしまった。たとえば、「式神」。
これについて、京極は『姑獲鳥の夏』の中で、ウチのHPでもたびたび引き合い
にだしている「式=パターン化されたコト」、したがってそれが人格化(神格化
)されたものが「式神」という説を展開しているのだが、こういった視点は小松
さんの「式神」研究の中にはまったくない。こっちとしては勝手に、この捉え方
も小松由来なのだろう、と思っていたのだが、考えてみれば小松さんは民俗学者
なんだからそういう発想はあまりそぐわないとも言える。むしろ認知科学的なも
のと関連からこの発想が生まれたのだろう(『姑獲鳥の夏』自体、認知科学小説
と言ってもいいくらいだけど)。ま、どうでもいいことですけど、くだんの『怪
』での特集は、「いざなぎ流」についてのその後、十年余りの研究成果をふまえ
たものらしいので、必見ということでしょう。

■99.9.3
前から宣伝してます下村誠の『BOUND FOR GLORY』が、ついに完
成。今月25日のライブで発売しますので、ぜひおいでください。いち早く私は
サンプル盤いただきましたが(業界人みたいだね〜)、なんかモノスゴイ作品に
なっちゃったみたい。私にとっての下村誠最高傑作はしつこくも『ホリーバーバ
リアンズ』なんだけど、下村誠という人がもっと多くの人々にとって身近な存在
になるとすれば、まさにこの『BOUND FOR GLORY』が「代表作」
という位置づけになるんじゃないか?というくらい、説得力に満ちあふれ、かつ
また「いま」という時間にフィットした傑作!(惹句めくけど)なのです。と、
私が書くより、今度できるチラシに、中川五郎、宮沢和史、真島昌利などといっ
た豪華な面々が賛辞を表してますので(そのうちウェブでも掲載すると思います
けど)、だまされたと思ってまずはライブへおいでください。
下村誠HP
http://page.freett.com/nattyrec/index.html

ちなみにこのチラシの中で、ザ・ブームの宮沢和史さんが、このアルバムが古き
よき、フォークソングをカヴァーしていることにひっかけて、「すべての音楽は
フォーク(民衆の音楽)だ」ということを言ってるけど、まったく賛成。これは
文学やその他の芸術についてもいえることだと思う。別に共産主義的に人民の芸
術がスバラシイとか、逆にファシスト的に民族の芸術がどーのと言うわけではな
くて、ここでいう民衆は、まったくの「個」としてとらえられている。それぞれ
の個人が、まったくの個人的な視点や場所から、その音楽なり文学なりを、「自
分のこと」として生きること、それが多くの人において、それぞれに行われると
き、その芸術は共有されている、あるいは普遍的なものとなったといえるのだろ
う。ここではすでに、その芸術の作者は、尊敬(リスペクト)の対象ではあって
も、その作品の所有者ではない。作品は、人々にとっての「ヨリドコロ」になる
からだ。そういう意味で、芸術が「普遍化」していくとは、宮沢のいうように、
作品が「フォークになっていく」課程でもある(今回の下村作品がカヴァー集、
すなわち、下村の「個人的な」解釈の提出である、というのは象徴的だ)。

こういうことは、すでに栗本慎一郎が『反文学論』で書いてたけど、それは「文
学は市場社会がベールをかけてしまった人間の深層の感性や物語性の記憶装置な
のである」(つまり「民衆の記憶装置」)というもの。この段階での栗本の主旨
は、そうは決してなり得てない日本の「文学」に対する批判だった。でも、この
前紹介した斉藤環さんの「じぶん探し系×ひきこもり系」という文章の中に、こ
れからは「ある特定の個人が作品を創り出す」ということにさして意味がなくな
ってくるだろう…という予想が書かれていたけど、まさに今はそういう作品の個
人性から普遍性へと捉え方が変わっていく(過渡的な)時代で、栗本や宮沢さん
の言うことは、実感として、受けとめられる時代になってきたんじゃないか?っ
て気もする。

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■お知らせ
『オムレット〜心のカガクを探検する』(心の科学研究会G.N.C./ひるます著)
は「心とは何か?」をテーマにした「思考する」マンガです。オムレットの詳し
い内容はこちらに掲載しております。ぜひご覧ください。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/COMIC/digicomi15.html

「バーチャル伊丹堂」は手動掲示板です。ぜひご参加ください。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/GNC/index.html

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 発行者:堀込広明  (C) HIRUMAS 1999
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