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■ ■■ ■ HIRUMAS HEADLINE WEEKLY
■■■■■■ 週刊ひるますヘッドライン
■ ■■ ■               第27号 00.1.24-00.1.28
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 ひるますヘッドラインは、ひるますHP冒頭のコラムを一週間分まとめたもの
 です。人文系書籍の情報、社会時評、HP更新情報、身辺雑記などです。
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■今週の主な内容
『ネイティブ・マインド』/ネイティブリンクその他/吉野川可動堰と「ウコチ
ャランケ」/『アカシック・ファイル』、フォーム問題/新刊チェック

■00.1.24
やー、もうバタバタ、ジタバタという感じで身辺があわただしく、HP更新なら
びらメルマガ発行を休んでしまい、申しわけございません。さらには、このメル
マガでも呼びかけてたロングウオークにも、結局参加できませんでした。

参加できないかわりと言ってはなんだけど、北山耕平さんの『ネイティブ・マイ
ンド』って本(地湧社)をあい間に読んでました。これって、例によって例のご
とく、古典というか、知ってる人にはいまさらだと思うけど、まったく読んだこ
とがなかった(同名の『ネイティブ・マインド』って曲が下村誠さんの持ち歌に
あるので、ちょくちょく本屋で目についてはいたんですが…)。

この本についてちょっと書いていたら、ちょいと長くなってしまったので、例に
よってウェブマガジン(33号)に移動してます。ワタシの「生命論」ともリン
クしてますので、ぜひご覧ください。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/WEBZIN/hirumas33.html#0124

■00.1.25
北山耕平さんの『ネイティブ・マインド』ついてウェブマガジンに掲載しました
が、それを記念して?ってわけでもないんですが、リンクページに「ネイティブ
&東北」のコーナーを設けました。ぜひご利用ください。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/link.html

それとその「ネイティブ・マインド」という同名曲が収録された下村誠ニューア
ルバムの情報もようやく掲載しましたのでご覧下さい。
/http://page.freett.com/nattyrec/index.html

さらについでですが、懸案となってました?「蕎麦を生きる」の改題の件ですが
よーやく思いついて、「私のこころは蕎麦処」にしてみました。ご意見お待ちし
ております…。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/BETSU/betsu1.html

追記:さらにさらについで、ですが、トップページのコミックと掲示板のバナー
の文字デザインを変えてみました。あと、伊丹堂の質問コーナーに分かりやすい
ツリー(樹系図)をつけてみました。ちょっとしたことで分かりやすく、読みや
すくなるもんですが、ナカナカ手が回らないんですね…。あいかわらず重い(ベ
ッコアメのため)ですが、ぜひご覧下さい。

■00.1.26
吉野川可動堰。ちょうど掲示板で「NOTHING MAN EYES」という
「社会問題関連リンク集」を紹介していただいてて、タイミングよくこの問題に
ついてのサイトをいろいろと見ることができた。他にもいろんなテーマで「忘れ
てはならないこと」に取り組んでいるサイトがリンクされてますので、ぜひ活用
してください。ウチのリンク集にものってます。
NOTHING MAN EYES
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkd2499/

この問題については環境や洪水がどーのこうの、ということはオレの出る幕じゃ
ないだろーが、やっぱり「民主主義」については言っておきたい。例の誤作動大
臣ね。週明けから久米宏とか筑紫哲也の番組でいろいろ放言を重ねてました。こ
の人は直接民主主義をやると「衆愚政治」になる、という信念?があるらしいん
だけど、民主主義が衆愚になるかどーかは、直接か間接か、という問題じゃなく
て、そこに「対話」が存在し、かつそこに参加する人(主権者本人であろーと代
議人であろーと)が、自分が属する共同体の利害から自由になって(つまり脱―
世間化されて)いるかどーか、の問題でしょう(ヘッドライン20号のアツオさ
んの項参照)。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/HEAD/head20.html

そういう意味じゃ、誤作動大臣こそ衆愚のいい見本じゃないの。今回の場合、住
民投票ってのは、別にその問題を「決定」するものじゃないわけでしょ、自治体
の「主体としての意思」を決定するものではあるだろうけど。にもかかわらず、
この誤作動大臣は、この運動の推進者代表対して「洪水になったらその責任をキ
ミがとるのか」とやくざまがいの恫喝をしたのだったが、このことはゼヒ記憶に
残しておいていただきたいものだ。いままで間接民主主義で選ばれた政治家で、
そういう意味での「責任」をとっことがある人がいるのかね。ということは、間
接民主主義とは誰も責任をとらないためのシステムだってことか(ということを
自ら明言されたってことなのか)。

重要なことは、今回のような住民投票のあり方が、対話・討議の積み重ねとして
の、一つのプロセスだってことでしょう。その結果をまったく無視しても平気だ
と考えている時点で、基本的に「対話によって考えを変える」という可能性にま
ったく閉ざされているわけだ。そのくせ「(他の公共事業で)いろんな人達から
感謝の手紙がいっぱい来てる」とか「いまこの公共事業を中止にしたら、いまま
で頑張ってきてくれた人達に迷惑がかかる」って言い方で、たくさんの人達の考
え方の意思(民意)によってこの事業が行われているということを強調したがる
のだが、それって単に「利権にのっかってる人達がいる」ってことを言ってるに
すぎないじゃないの。とりよーによっちゃ「私はあっせん業者です」って言って
るようにしか聞こえないぞ。

たまたまアイヌ関係のサイトを見ていて(先にとりあげた北山さんの『ネイティ
ブ・マインド』では、アイヌについてのことがまったく触れられてないのが残念
)、『アイヌとシサムのウコチャランケを実現させる会』というのがあって(ネ
イティブ・リンクにも掲載させていただきました)、シサムは「和人」つまりア
イヌから見た日本人のことで、ウコチャランケは「対話」の意味。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwiz5176/ainu.htm

このサイトを見て、以前紹介した『アイヌ、神々と生きる人々』や、その他のア
イヌ関係の本で、その「対話」について語られているのを思い出したんだけど、
ウコチャランケは対話っていってもヤワな話し合いってニュアンスじゃなくて、
とことん討論しあって、相手が身にしみてナットクするまで続けるって感じなの
ね。オレが考えてる「対話」ってのも、そういう感じで、ようするにその議論の
中でそれぞれの人が「脱―世間化」されて、共有しうる「正義」に到達する…。
そういうと理想化がすぎるかも知れないけど、めざすところはそーいうことでし
ょう。そういう意味ではこの『アイヌとシサムのウコチャランケを実現させる会
』にかこつけて言えば、それはもちろんダイジだが、そもそも日本人の「政治」
そのものが「ウコチャランケ」にならなきゃいけない。『日本の政治をウコチャ
ランケにする会』でもつくったろうかい。え?分かりにくい…。

■0.1.28
明石先生(明石散人、ちなみに私が「先生」と思ってるわけじゃなくて、京極堂
の小説に出てくるキャラクターに模して、愛着をこめてそう呼んでいるのです)
の『アカシック・ファイル』ってのが、文庫本オリジナルで出てました(講談社
)。なにやら神秘主義っぽい?タイトルなのでついつい買ってしまいましたが、
中身はほとんど時事ネタ(アカシックって「明石っく」か…トホホ。っていうか
最初から気付よってことか)。我々貧乏人の立場に立って、金持ちのみが豊かに
なっていく現代日本を大批判しています。この人の考えの根っこには、前もどっ
かでコメントしておいたけど、天皇主義−天皇の前ですべての日本人は平等って
考えからして、権力を私物化する政治家・企業・マスコミ(みんなまとめて、い
わゆる君側の奸)を誅する−ってところがあるんだけど、各論的には、非常に鋭
くも共感するところが多い。脳死者からの臓器移植の問題、TBS問題、教育に
おけるフォーム(様式!)の大切さ、など。

明石さんが言ってるのは、「やればできる」っていう言い方がダメで、「やらな
きゃできない」って言わなきゃいけないっていう簡単なことなんだけど、なぜか
と言えば、「やればできる」は様式にならないけど、「やらなきゃできない」っ
ってのは様式になるっというのね。これはよく分かると思うけど、「やればでき
る」は、「やればできる」んだから、とりあえずはやらない、ということになっ
て、永久にやらない人々をつくり出す、っていう意味あい。「やらなきゃできな
い」は、その通りで、人を学習に向けてともかくも動かす。つまりここで言って
るのは、「生き方の様式」ってことだよね。これでフト思ったんだけど、様式と
いったら、まずは伝統芸能の様式とか、美術における様式とかいったように、事
柄そのものの内部のフォームをさすけど、ここでいう「教育のフォーム」は、そ
ういった事柄そのもののフォームを、いかにして学ぶか?という、いわば「フォ
ームのフォーム」でしょう。すると思い出すのはベイトソンの学習の学習、すな
わち「学習2」ってやつじゃないですか。「学習2」もまた「学習」なんだから
それが手本というか、レシピとする「フォームのフォーム」があるわけだ。なん
かあまりに当たり前のことだけど。つまりその「フォームのフォーム」は「生き
方のフォーム」であり、「フォーム2」?とでも言おうか。ん?これもかえって
分かりにくい?

追記:ベイトソンの「学習2」については、斉藤環さんの『文脈病』をごらんく
ださい。斉藤さんのサイトにも関連したファイルがあります。
http://www.bekkoame.ne.jp/~penta2/

蛇足だが、よく「生き方のモード」という言い方をするけど、それは「生き方の
フォーム」とどう違うか?と考えるてみれば、「モード」とはそのやり方がすで
に身についていて、それが発動しうる態勢にあること、あるいは現に発動してい
ることで、「フォーム」はそのやり方を主体から切り放して「そのもの」として
対象化した言い方だってことでしょう(これも当たり前のことか…)。ようする
に「やり方のレシピ」。

レシピ、と言えば、あのダマシオさんの本がとうとう出てました。「あの」と言
っても分からないかもしれないが、『オムレット』の第3章の蛇足で似顔付きで
出てくるのがダマシオさんで、レシピという考え方を言っている男、として紹介
されてます。実はレシピという考え方というよりは、その背後にある「脳と身体
は続いている」という考えがこの人の眼目(そーいう意味じゃ『オムレット』で
いえば第2章との絡みが強いので、本来はそっちで取り上げるべきだったかもし
れない)。レシピが身体の神経系のつくり出す「ソマティック・マーカー」?な
るものにあるというので、「内臓に感情がある」という考えと一緒にされやすい
のですが、本人はインタビューでそうじゃない、と言ってました。『生存する脳
』(講談社)、サブタイは「心と脳と身体の神秘」です。

もういっこ、『レオニーの選択』ってのが出てました。ブルクハルト・ヴェーナ
ー著、光文社。なんか『ソフィーの選択』の「政治学バージョン」らしいです。
ワタシも最近、民主主義とは?とか言ってるので、あ、やられた!って感じ。

政治学と言えば、件の大澤真幸さんの『「不気味なもの」の政治学』(新書館)
というのが出てました。ご参考まで。
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■お知らせ
『オムレット〜心のカガクを探検する』(心の科学研究会G.N.C./ひるます著)
は「心とは何か?」をテーマにした「思考する」マンガです。オムレットの詳し
い内容はこちらに掲載しております。ぜひご覧ください。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/COMIC/digicomi15.html

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