prev. | 第54号 01.3.2-01.3.3 | next


■今週の主な内容
いつ大人になるのか?続・いつ大人になるのか?

■いつ大人になるのか?(01.3.2)

獏迦瀬: いや〜、アセっちゃいましたよ。この前のヨミウリ夕刊で、斎藤環さんと村瀬学さんの対談が『論座』に出てたってのを読んで、あわてて探したんですけど、もうどこにも売ってなくて〜、ようやく一冊だけ残ったのを見つけました。
伊丹堂: あほか、どこへ来てそんな話をしとるんじゃ。ここは古本屋じゃよ。
獏迦瀬: あっ…ひょっとして、伊丹堂さんにもう入ってました…?
伊丹堂: 入らんでか。それより読売新聞でどーしたって話題が多いようじゃが、お前さんは読売とってるのか。
獏迦瀬: いや、そういうワケではないんですが、…金がないんで、大家さんちの古新聞を読んでるもんで。
伊丹堂: 情けないの…。新聞くらいとりなさい。
獏迦瀬: やはり朝日でしょうか。知識人っぽいし…。
伊丹堂: 馬鹿者。取ってる新聞で人間の価値が決まるワケじゃあるまいし、なんでもかまわん。ただ日々世の動向ってヤツと対話する姿勢がダイジだと言っておる。
獏迦瀬: はあ…なんか今日の伊丹堂さんはエラソ〜ですねぇ。それはともかく、それじゃ伊丹堂さんはもうこの対談、お読みになったんですか。
伊丹堂: いや、実はワシもおとつい気づいて読んだとこじゃ。ウチも読売とってるんでな(笑)。
獏迦瀬: なんだ…前フリが長いなぁ。で、ど〜でした?、ボクは「共同体」をテーマにしてるって聞いたんで期待したんですが、ちょっとそこからは外れてるというか、かみ合ってない感じがしたのですが。
伊丹堂: そうじゃね。司会者というか、編集者が悪い(笑)。
獏迦瀬: またそんな…。でも、雑誌のテーマ自体が「いつ大人になるのか」というもので、個人の成長とか成熟という問題と、共同体の制度としての「大人」という問題を、そもそもごっちゃにしたものでしたからね。
伊丹堂: そう、村瀬さんの13歳パスポート論というのは、共同体、というより「社会」の中での「みなし」としての「大人」、つまり虚構としての「法的人格」というものを、社会に参加する各人に自覚させる必要があるという議論なのであって、基本的には、実存としての成長や成熟とは関係ないものなハズじゃったが…。いや、もちろん関係ないといっても、それは人が成長していく上での「ヨリドコロ」としては、大事なものではあるわけじゃが。
獏迦瀬: そうなんすよ、村瀬さんは、ヨリドコロとして大事だといえばすむところで、共同体が大事という議論にすり替わってく感じなんです。
伊丹堂: 全共闘世代の思想家・村瀬さんにして、まったく異質なところから登場してきた「新たな知性」斎藤さんにあてられたってとこか(笑)。たまたま斎藤さんの成長論をめぐっては、「臨場哲学通信52」でひるますがちょっとコメントしとったが、よ〜するに『オムレット』で言えば、成長とか自立をめぐる問題は、第五章の1「成長のスタッカート」の問題であって、社会の中での「法的人格」という問題は、第五章の2「社会のダンス、shall we?」の問題だっつーこっちゃな。
獏迦瀬: うわ…また宣伝ですか。
伊丹堂: 分かりやすく言っとるだけじゃ(笑)。第五章の1から2への転換点で、ひるますが何を言ってるかというと、成長とか自立とかのことをアレコレ言ってきたが、「社会」で生きるというコトにおいては、それはとりあえず関係ありませんよ、ということなんじゃ。
獏迦瀬: 人生イロイロ〜ってヤツですね。
伊丹堂: そ、どのように成長しようがしまいが、その人の勝手でいいが、社会で生きる上では、社会の「中」で生きているというその関係性を引き受けざるを得ない。また逆にそういう関係性をヨリドコロ(レシピ)として引き受けることによって、人は生きるという可能性を広げていくこともできるわけじゃが…。いずれにしても、それは実存的な意味での成長とは関係なくありうるし、実際、世の中「そーいうことになっている」わけじゃ。
獏迦瀬: たしかに…同じ特集で養老さんや水島議員も言ってますが、日本においては大人や社会そのものが「子ども」だってことですかね。それでも世界は回り続けるっつーーか。
伊丹堂: ちゅーこっちゃ。しかし、もちろん社会はそーいうもんだっていのと、それですべてオッケーというのとは違う。あくまで「とりあえず」の議論なんじゃ。しかしそこをハッキリさせとかないと、いつまでたっても「社会のこと」をどう考えていくかという議論が、いつのまにか個人の成長の問題にごっちゃにされてくってことが繰り返されるばかりなわけじゃ。ワシらは「そっから先」の話をしなきゃならんわけよ。
獏迦瀬: …それって、また『2』の宣伝とか…。

■続・いつ大人になるのか?(01.3.3)

獏迦瀬: 話をこの対談に戻しますが、ここで斎藤さんが成長について語りつつも、成長の不可能性ってことをおっしゃってるのが、面白かったですね。つまり前回話題にした「倫理の不可能性」と…。
伊丹堂: 同じじゃな(笑)。「ワシらには成長はできない」が、結果として臨場する個人としては成長ということがあってしまう…。ようするに「倫理」にしても「成長」にしても、実存の問題でしかないからそういうことになる、と言ってしまえばそれまでのコトじゃがね。
獏迦瀬: そうですよね、我々という視点からは常に「成長」ということは不可能なものとして現れるってことですか。斎藤さんは「我々という視点」からそういう風に不可能性を鳥瞰しつつ、臨床場面では個々の成長…、というより実存に向けた?関わりにコミットされているということでしょうか。
伊丹堂: たいした男じゃ(笑)。まさに「臨場」精神科医じゃな。
獏迦瀬: 村瀬さんも斎藤さんのアプローチ、つまり「(家族関係の)演技指導」というコトを非常に高く評価しているようですね。
伊丹堂: 演技指導というのが何かマニュアル的な、機械的な、血の通わないものと捉えられがちじゃが、そもそも「型」から入る、というのは日本の伝統的な教育のあり方じゃな。
獏迦瀬: 家族関係にも「型」ってもんがあるわけですね。
伊丹堂: というか家族ってものも「文化」だってことが忘れられていたってことじゃな。いのつまにか「自然」につきあうのが家族だということになってしまったわけじゃ。
獏迦瀬: たしかに…家族であれば、自然な愛情が備わっているというか、湧いてくるハズ、という「思いこみ」みたいなものが、逆に虐待の増加につながっているような気がします。斎藤さんが「愛より親切」(ボネガット)ということを言うのはそれに対するアンチテーゼなんでしょうね。
伊丹堂: まあ親切にすらできないってのも問題なんじゃが(笑)。ともかく「文化」とは、「伝統的な積み重ねの中で熟成された、共有し納得しうる行動様式」であり、その中でこそ個人が、自分の生を意味づけることが可能になるようなヨリドコロなわけじゃから、実ハ「文化」なくして人は「孤独を生きることすらできない」(「文化と孤独」)。マニュアルのように見えて、これほど「実存」と密接に結びついているものはないわけじゃ。
獏迦瀬: そういえば、人が「倫理的」でありうるのも、文化の伝承によるということが、ロールズの考えでした(00年・今年読んだ本ベスト10)。
伊丹堂: そうじゃな、しかし成長が不可能なのとまったく同じ意味において、実ハ「文化の伝承」は不可能なわけじゃがな(爆)。まぁどっちにしても、家族という文化が伝承されなくなったと言うより、そういう文化がいっぺん壊れてしまったってことじゃろう。文化崩壊っていう流れは、家族だけではなくて社会全体について言えることではあるがの。
獏迦瀬: 大澤さんの「責任論」を巡る話でも文化の崩壊って話が出てきましたね。家族=文化って話は、ちょっと文脈が違いますが、臓器移植をめぐる議論の中でも出てきました。
伊丹堂: あれも家族の愛=エロス的な関わりを「実体」視する見解に対するアンチテーゼではあったな。
獏迦瀬: 斎藤さんの「演技指導」は、新たな家族の「文化」をつくり出すものなんでしょうか。
伊丹堂: わはは、文化を創り出すことなど、それこそ「不可能」じゃろ。不可能を前にしてただヒタスラ、コトをなす、という積み重ねがいつか「文化」になるやもしれん、というだけのことじゃな。
獏迦瀬: 文化の質的転換ってやつですか…。なんかバカに話がでかくなっちゃいましたね。調子に乗ってトンデモにならないうちに、ここまでにしときますか(笑)。

●ひるますの単行本『オムレット〜心のカガクを探検する』
 http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/COMIC/digicomi15.html

 発行者:ひるます  (C) HIRUMAS 2001
 ご意見・ご感想等:info@hirumas.com
 登録の変更・解除:http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/
 配信:Pubzine http://www.pubzine.com/
    melma! http://www.melma.com/
バックナンバー一覧にもどるトップページ(最新情報)にもどる
感想・ご意見をお知らせください。 info@hirumas.com