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珠緒: |
こんにちは〜、あれまた伊丹堂さんはお留守?(笑)
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アヤコ: |
そおなのよ〜、朝早くからどっかでかけちゃって。こちらの方も訪ねていらっしゃってるんだけど…。
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北極堂: |
はじめまして。古本屋仲間の北極堂と申します。
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珠緒: |
北極…そういえば熊みたいな顔してる…。
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北極堂: |
はっ?何か?
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珠緒: |
いえこっちのコトで…。
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アヤコ: |
北極ぐま…じゃなかった北極堂さんは、東北の方からいらっしゃったんですって。
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北極堂: |
トーホグで古本屋をしているのです。今日はひさびさに東京の古本屋をのぞきにきまして…、となれば伊丹堂さんに立ち寄らないわけにはいきませんからね。
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珠緒: |
へぇそれは残念ですね。っていうか、私もこのところず〜っと会えてないんですけどぉ(笑)。
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北極堂: |
まだ2、3日滞在しますから、そのうち会えるでしょう。 |
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アヤコ: |
何が悲しゅうて、あの偏屈じぃさんに会いたいかね…。 |
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北極堂: |
そうだ、来週トーホグで「みちのく芸能まつり」があるんですが、伊丹堂さんは来られないでしょうね〜、忙しそうだし。 |
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アヤコ: |
芸能まつり…?、民謡とか演歌のコンサートですかぁ? |
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珠緒: |
あはは、違うわよ、民俗芸能でしょ。神楽とか、鹿踊りの。ひるますさんが前に紹介してたじゃない。
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アヤコ: |
ふぅん。面白いんですか、それ?、なんか眠くなりそうだけど…。 |
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北極堂: |
面白いなんてもんじゃないですよ〜。はっきり言って、音楽・ダンスという面から見ても現代で通用する芸術ですし、その由来や意味を考えると民俗学的に興味深い事実がいくらでも出てきますから、ほんと奥が深いのです。 |
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珠緒: |
私、見たいなぁ、ひるますさんの文章とか「東北系」のサイト見てて、興味はあったんだけど、まだ生で見てないから〜。
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北極堂: |
ぜひおいで下さい! 8月の7、8、9の三日間です。最終日は花火大会もあってロマンチックですよ〜。 |
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アヤコ: |
ちょっと、これ宣伝…? |
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珠緒: |
まぁいいじゃない(笑)、ねぇ行ってみようよ〜。 |
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北極堂: |
うれしいなぁ〜、こんなキレイなお嬢さん達をお誘いできるなんて(泣)。こ〜なったら、あっちでは、ボクが撃った熊の肉もごちそうしますよ! |
アヤコ:
珠緒: |
…。 |
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珠緒: |
きのうは伊丹堂さんのとこに泊まったんですか?(今回の舞台はトーホグへ向かう新幹線の車中なのです)
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北極堂: |
思いもかけず酒宴が盛り上がってしまい、そのまま泊めていただいたのです。
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アヤコ: |
ふぁ…思いがけずって、一升瓶二本も持ち込んできたくせに…。アタシも付き合わされてもう眠いよ…。
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珠緒: |
え〜、私も行きたかったなぁ、あんまし呑めないけど、なんちて(笑)。本の話で盛り上がってたんでしょ。
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アヤコ: |
本の話かね、あれって。
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北極堂: |
エミシがど〜したという話が多かったような…、酒を飲むとあまり記憶がなくなるのです。
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珠緒: |
エミシって、東北のまつろわぬ民っていうか?、ひるますさんもよくコメントしてますけど…。
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北極堂: |
エミシとは何者か?ということを考えていくと、日本の「国家」とは何かという問題ともつながってくるわけです。伊丹堂さんの国家論・公権力論とも絡んでくるところですね。
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珠緒: |
あ…それは面白そうですね。そういえばちょっと以前にマイノリティの政治参加みたいなことが話題になりましたね。サバルタンとかべしみとか…。
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北極堂: |
べしみなエミシですね(笑)。その話は伺いましたよ。しかしエミシがマイノリティかというと、ちょっと違う…。 |
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珠緒: |
たしかにいま現在、自分はエミシという民族だと主張する人はいないでしょうからね。マイノリティ問題といえばアイヌでしょう。
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北極堂: |
ただ歴史的な問題としては、いわゆる先住民問題と同じような構造を持ってはいるわけですね。エミシは日本人なのか、それともアイヌのように明確に異民族なのか?という議論がありまして、工藤雅樹さんの『蝦夷の古代史』というのがちょっと前に新書で出ましたが…、これがエミシを歴史的にうまく整理してます。
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珠緒: |
日本人かどうかって言ってもそもそも「日本人」「日本民族」なるものが、それほど明確にくくれるものかってこともギモンですけどね。
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北極堂: |
まさに、そうです。工藤氏の観点は、民族を歴史的―文化的形成物とみなすということでしょうか。ようするに東北から北海道にかけて暮らしていたエミシと呼ばれる人々は、日本人にもアイヌ人にもなる可能性があったけれども、歴史的な過程の中で、ある者はアイヌとして形成され、あるものはエミシとして形成された、ということですね。さらにエミシは鎌倉時代以後は「日本人」として同化していくわけです。
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珠緒: |
中世史の網野善彦さんがよく「日本」というフォーマットができたのは室町時代だといいますよね。 |
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北極堂: |
東西日本の一様化という観点です。武士による封建社会である東国と、律令以来の貴族荘園支配を基盤とする西国の、二つの社会が室町期に融合したというのが彼の基本的な考えでしょう。それ以前に「東国」というものが封建社会として形成されているわけで、これはエミシの東北と武士の関東の合作です。
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珠緒: |
…合作?…それは意外ですね、エミシは征服されたんだって話になると思ってたんですが…。
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北極堂: |
それはトーホグ被虐史観です(笑)。作家の高橋克彦氏が「発見」したのは、鎌倉幕府にはじまる武家社会、つまり封建支配システムというのは、そもそもエミシの平泉藤原氏の支配システムを剽窃したものだ、ということです。 |
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アヤコ: |
あ、大河ドラマでしょ、渡辺謙の。
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珠緒: |
そういえばそんなシーンがあったような…。でも高橋さんは基本的にエミシは征服されたって色彩で描いてた気もしますが…。ひるますさんも引用してましたが、「(縄文)文化が(弥生)文明に滅ぼされた」っていうのが、彼のコンセプトじゃないんですか。
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北極堂: |
それはまたレベルが異なる話なのです。ここで問題にしているのは、社会システムのレベルであって…、高橋さん自身、あまりのエミシ=縄文びいきのために、自分の発見の重大さに気づいていないのです(笑)。肝心な点は、鎌倉(頼朝)による平泉攻略は、武家によるエミシの征服などではない、ということです。平泉滅亡の前後で、おそらくですが、エミシの生活はなんら変わっていない。唯一変わったのは、平泉という都の消滅、これだけです。実はそのドラマの原作『炎立つ』そのものが、そういう風に語っているはずなのですが…。
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アヤコ: |
でも都がなくなるって、けっこうスゴイ変化じゃないの?
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北極堂: |
なんのための都か?、ということにもよりますね。たとえば、いま、ボクらの県の大きな都市というと盛岡市なのですが、これがなくなったとしても、まったく生活に影響はないですね。インターネットや高速道の充実、それに伴う郊外店の乱立など、「交通」の様相がまったく変わってしまったからです。交通が物理的にか政策的規制によって「遮断」されているところにこそ、逆に都市は成立するわけでしょう。それと同じ変化が、平泉滅亡の前後にあったと考えられるわけです。
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珠緒: |
つまり鎌倉の前後で、関東と東北はほぼ同質の社会にすでになっていた…ということですね。しかもその社会システムはむしろエミシ側が率先して創出したものだった、と…。
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北極堂: |
ふふ、そうなのです。
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アヤコ: |
それじゃ、エミシはべしみじゃないじゃない。べしみって征服されて無言で抵抗するって話だったんでしょ。
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北極堂: |
しかし、エミシはそれ以前に征服と抵抗と支配という歴史を持ってはいるわけですからね。関東平野が仮に海だったならば、つまりヤマトとエミシが直接接触することがなかったならば、工藤氏の言を借りればエミシは「アイヌになりえた」人々なわけです。ようするに根本的に持っている「文化」が異なるのです。
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珠緒: |
文化的には制圧されて、いわば「しょうがなく」新しい社会システムを創出したってことですか…。
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北極堂: |
そう、単に征服されたと言ってしまえば簡単なのですが、不毛なルサンチマン闘争になっても意味がないので(笑)、いちおう余談ながら高橋説をフォローしておきました。
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アヤコ: |
なんかややこしいっていうか、ねじれまくった話みたいだけど(笑)、それじゃ「エミシはどこへ消えた」わけ? |
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北極堂: |
「エミシは今もいるのです」というのが高橋克彦の「答」です(笑)。彼は「エミシとは東北に住む者のことである」というのですが、ボク的に言えば、エミシとは文化であり、心の問題であり、実存の問題なのです。社会システム、すなわち伊丹堂のいう「世の中」のカタチがどうあろうと、「心の中に」エミシは残ったのです。 |
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アヤコ: |
あ〜ん、すごかったわ〜。
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珠緒: |
うん…。北極堂さんが「エミシは今もいる」と言ったのがワカル気がするわね。あの鹿踊りや鬼剣舞や神楽の踊り手たちが、エミシそのものなのね。
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アヤコ: |
北極堂さんたち、なんかスゴイ盛り上がってるけど、何しゃべってんのかぜんぜん分かんないわ、トーホグ弁で…。
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珠緒: |
うふふ、鬼の宴って感じよね…。 |
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男: |
あ、伊丹さん達ですね。この度はようこそ。実は僕も伊丹堂さんにはたいへんお世話になっています。何度かお伺いしたこともあるんですよ。
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アヤコ: |
はぁ…そりゃどうも。北極堂さんのお友達ですか? |
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男: |
ええ、まあ。北極堂書店の常連みたいな者です。で、いかがでした?祭りは。 |
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アヤコ: |
…なんかどっかの熊とは違ってイイ男ね(笑)。 |
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珠緒: |
しぃっ…。はい、とっても素晴らしいお祭りでした〜。
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男: |
それはよかった。生で見ていただければ一発のヒラメキで分かってもらえるものと思いました。
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珠緒: |
エミシの精神が、ですね(笑)。 |
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男: |
北極堂がそんなことしゃべってたみたいですね。伊丹堂さんにはまたとっちめられたみたいですが(笑)。
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アヤコ: |
えっ!?…なにそれ。 |
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男: |
いや、つまりエミシの精神だとか、実存としてのエミシだとか、なんだかんだ言ってるが、キミらはその精神をぜんぜん発現してないではないか、と…。 |
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アヤコ: |
またヒトの悪口か…。そんなこと言ったって、みんなが民俗芸能の踊り手になれるワケでもあるまいしねぇ…。 |
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男: |
そうなんですが、…伊丹堂さんとしては、公共性の精神とか国家的な意味での政治の次元を問題にしているのです。精神ということを語るのであれば、およそ国家的なものを問題にせざるを得ないが、たしかにエミシは国家ということに関わることをずっと忌避してきたようにも思えます。 |
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珠緒: |
べしみ…ですか。きのう、北極堂さんは実はエミシ自身が日本の社会の一端を創り出してきたということをおっしゃってましたが。 |
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男: |
社会システム、つまり伊丹堂さんのいう「世の中」の次元ですね。国家、あるいは政治とは、それに対する超越的介入であり、「精神」の次元なのです。エミシは「世の中」をヤマトとの妥協の中で創り出してきたけれども、結局、「精神」の次元ではべしみを決め込んで、心の問題にしてしまった、と言ってもいいでしょう。 |
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アヤコ: |
ひきこもり系ね(笑)。 |
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男: |
もっと悪く言えばニヒリズムです。結果的には日本など実は自分の国ではないから、どうとでもなれ…ということなのです。エミシと言ったって、日本人として社会を創ってきた以上、先の戦争に対する責任、アイヌを壊滅させた責任というものを、ヤマトとともに負うべきものです。しかしそこを避けておいて、都合のいい局面でだけ「エミシの精神」だなどと言うのはズルいのです。 |
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珠緒: |
それは…あまりにキビシイ意見じゃないですか。伊丹堂さんがそんなこと言ってたのですか? |
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男: |
いえ、これはボク自身、エミシとしての反省をこめて言っているのです(笑)。
これからバシバシ、エミシ精神を発揮させていただくぞという決意表明みたいなものですね。これまでは、エミシは征服された被害者だという論調で自己正当化ばかりしてきた気がしますから。 |
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珠緒: |
そうですか…。北極堂さんの観点はむしろエミシが日本を創ってきたことをハッキリさせている点で、自己正当化やルサンチマンを批判するものですよね。それは出発点になるものなのですね…。 |
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男: |
そうしたいものです。教科書・靖国問題では外圧だとか国際関係における国益などということばかりが言われるのですが、エミシの精神はまさにそれを「内側から」食い破るものとならねばならないのです。 |
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アヤコ: |
そういえば、自民党のおっさんが記者団に靖国問題で突っ込まれて「キミたち日本人だろう!」なんてヒスおこしてたけど、日本人なら同じ価値観もってなきゃいけないのかよ〜って感じよね。
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男: |
異質なものを排除して「国家」そのものの尊厳の下に一元的にまとまろうというのがヤマト的国家観であり「精神」なのです。だから国家そのものの威信に過剰にこだわるわけです。しかしおよそ国家の尊厳というものが、そのようなものでなくてはならない理由はないのです。 |
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珠緒: |
そうですね。民族を基盤とした国家でありながら、人類的なものに開かれた配慮や友愛を実現する国家であることはできる…というようなことを伊丹堂さんが田辺元を引き合いにして言ってましたね(臨場哲学通信65号)。自分の国がそういう国であることに誇りを持つということは充分にありうることでしょう。 |
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男: |
エミシの精神もそれをめざすものです。
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珠緒: |
公共性の精神ですね。 |
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男: |
根本はネイティブモンゴロイドの精神ですけどね。政治的な表現としてはまさにそうなるでしょう。
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