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「日本の夏・伊丹堂の夏」号


■靖国参拝問題を考える(01.8.15)

珠緒: こんにちわ〜って、今日もお留守なのね、伊丹堂さん。
獏迦瀬: はい、今日は近所で碁打ちだそうです。すぐ戻るでしょう。ところで珠緒さん、行ってきたそうですね、みちのく芸能まつり! も〜、行くならボクも誘ってくださいよ〜。
珠緒: あはは、ゴメンね〜。急に決まったものだから…。
獏迦瀬: なんかエミシの話で盛り上がったんですって?、エミシの精神がど〜とか…(前号参照)。
珠緒: そうなんだけど、北極堂さんの友達って人、名前聞こうと思ったらいなくなっちゃってて…。後で北極堂さんに聞いたら心当たりないっていうのよね…。
獏迦瀬: っていうか、いらっしゃってるんですが…こちらに。
珠緒: ええっ!?
男: いや、先日は失礼しました、途中で消えてしまいまして(笑)。それにしても北極堂がボクに心当たりがないとは心外だなぁ。…アル中かもしれないなぁ。
珠緒: あ、それはアルかも、なんちて。
男: 申し遅れましたが、ボクはストウという者です。数藤と書きます…。実は北極堂が心当たりがないのも当然でして、ボクは仕事で全国を飛び回っているものですから、ほとんどあの町にいることがないんですね。あの日も宴会の途中にぶらりと立ち寄ったわけで、北極堂はボクが来たのに気づいてもいなかったでしょう(笑)。
珠緒: そうだったんですか…。全国飛び回るって、何してらっしゃるんですか?
ストウ: まあ営業ですよ。今回も仕事でこちらに来ているのですが…、もうひとつはもちろん、小泉氏が靖国に行くなら、それを見届けようというのもありましたがね、見事に抜け駆けされてしまいました。
珠緒: あっけなく行っちゃいましたね、小泉サン。
獏迦瀬: 日をズラせばいいってもんでもないと思いますが…。
珠緒: あいまいな日本の首相って感じよね…。日付もそうだけど、やたら心情に偏った表現ばっかじゃない。
ストウ: そう…、それが意図的なというか、思想的に自覚されたものかどうか、ということも含めてあいまいそのものです。問題はいくら彼が心情において純粋なものを表現しようと、靖国参拝というのは、明確に「意味づけられた」領域の問題だということです。つまり共通了解の中で行為の意味が決定されているわけで、それを個人的にどう解釈するなどと言っても、それこそ無意味なのです。
獏迦瀬: そういえば、森前首相が「神の国発言」のときに、繰り返し「自分の言っている意味は違う」なんてことを言ってましたが、それと同じですね。
珠緒: そうそう、でも国民の中でも賛否両論があるってことは、そういう解釈も許してしまおうというカタチで「共通了解」そのものが変わってきているってことでしょうか…。
ストウ: いや、そうだとすればそれは単なる国民的なニヒリズムなのです。共通了解というと、なにか解釈やその時代のムードで変わってしまうように聞こえますが、そう単純に変わるものではない。靖国が持つ歴史的な事実の蓄積や、国際的な関係の中でどう理解されるか、ということを参照すれば、それはほとんど不変の「意味」を持つわけです。そういう了解はそっちへおいといて、まあまあ…というのがニヒリズムだということです。
獏迦瀬: ニヒリズムと言えば、加藤典洋さんが言ってるホンネとタテマエの問題にも近いですよね(加藤典洋『日本の無思想』についてを参照)。ホンネとタテマエの使い分けによって、実は語るコトの意味が失われてしまう…。
ストウ: そうですね、彼らがタテマエとして語る解釈に、共通了解そのものが変わってしまったら、「彼ら」がそもそも靖国へ行くことの「意味」もなくなってしまうのです。つまり彼らは、単に一般的な意味での戦没者を供養し、現在の国の繁栄?の感謝を捧げるのだということを主張していますが、そのどこにも、それが「靖国」であらねばならない「理由」はない…。ということは彼らはタテマエとしての解釈を語ることによって、彼らが靖国にこだわっている本当の「意味」を、靖国参拝という行為から剥ぎ取っている、ということになるわけです。
珠緒: 姑息という批判がされましたけど、結局、それが一番的を射てたりして…。森サンにしても小泉さんにしても、心情の純粋さを訴えれば訴えるほど、不誠実になるしかないってのも皮肉ですなものですね。
ストウ: そうなんですが、しかしここでは、あくまで森氏や小泉氏の「実存」つまり、生き方の意味が失われているだけだという点がカンジンです。つまり、彼らがいくら心情的解釈を述べ立てようと、神の国の文言なり靖国参拝ということの共通了解は変わらないまま厳然として存在している、その事実は変わらないということです。それを語ったり参拝する当の者、つまり森氏や小泉氏は、その行為を行うことによって、たしかに実存としては破綻しているのですが、それはそれだけのコトであって、共通了解の中での国家の行為としてはそれは現に行われたこととして残るわけです。加藤さんの論にはその点の把握が欠けているのです。
珠緒: なるほど…、現に「国家的な行為」として靖国参拝はなされている、それが問題の核心ですよね…。
ストウ: 靖国問題というのは、日本人としてこの社会に対してどのような「精神」において関わるのかが問われる問題だということです。つまり「精神」の問題ですよね。靖国参拝が「国家的な行為」として為されるならば、その時点で共通了解においては、国家が靖国の表現する精神を堅持するということになるのです。
獏迦瀬: 靖国の表現する精神とは…、やはり戦争を肯定するとか美化するとかいうことでしょうか。
ストウ: そう言い切っては賛成派でも怒る人がいるでしょうし、共通了解としてもそこまでは言い切らないと思います。…しかし靖国が祀るのは、ようするに「戦争霊」です。しかも一地方の豪族や武士団が護持する「戦闘の神」のごときものではなく、あくまで近代国家と結びついたカタチでの「戦争霊」なのです。ですから、その「精神」とは、意識の上で戦争そのものを肯定するか推進するかは別として、近代国家における戦争遂行に象徴される精神を発現するものであるしかないのです。つまり「国家の外部を排除することを基本とし、個人や世の中の幸福よりも国家・政体の維持を優先し、それに命を懸けた者を特権的に称揚することによって、国家的なものをこそ人々の生きるヨリドコロにしよう」という精神です。
珠緒: う〜ん、「戦争霊」にされた人たちこそいい迷惑ですよね。マスコミなどでも特攻で生き残った人たちなどから言われている批判がそれですが。
ストウ: 戦没者を「神」として祭り上げることの問題ですね。人権問題、というより霊権問題?ですか…。いつか伊丹堂さんが「人は霊になるために生きる」というようなことをおっしゃってましたが(「魂脳論序説」について)、勝手に霊にされてはたまらないでしょうね。
獏迦瀬: 小泉さんらの「心情」の中には、その「神として祀る」ということの意味がまったく無視されているわけですね。まさにそこが「共通了解」にかかわるところだと思いますが…。
ストウ: 神として祀ることが「供養」でありえたのは、菅原道真や平将門のような「怨霊」鎮めの場合でしょうね。靖国が戦争で亡くなった人の怨霊鎮めだということであれば、国際的にも理解される可能性があるわけですが…まぁそれは冗談としても不謹慎にすぎるでしょう。神として祀ることの意味は、厳然として死者への供養ではなく、生きている者にとっての実存のヨリドコロ、つまり「精神」、スピリチュアリティとしてそれをキープすることにあるのです。この場合は国家にとってのヨリドコロになるわけですが。
珠緒: なるほどね…だんだんスッキリしてきました(笑)。ようするに国はどういう「哲学」を持って生きるべきか、というレベルの闘いだということでしょうか。単純に言って「戦争霊の精神」でいくのか、「公共性の精神」でいくのか、という。
ストウ: そうなんです。ついでに言っておくと、参拝反対・否定派の論点はややもすると、国家がなんらかの「精神」を発現することそのものの否定になりやすいのですが、それは不可能な論理なのです。なぜなら「国家」とは「精神」でしかありえないからです。そしておよそ共同的な社会(世の中)が形成されているところで、それに対する超越的な介入、すなわち「精神」を考えないで済ますことは出来ないからです。
獏迦瀬: 参拝反対というと、売国奴とか反日とか言われるのは、そこを短絡してしまうからですね、反対する方もそれに反撃する方も…。
珠緒: 国を否定しているわけではなくて、国がどういう精神を発揮するのかを問題にしているということをハッキリさせる必要があるわけね。ただそれとは別問題として「国家」ということは考え直さなくてはならない気もしますが…、つまり当然の自然な前提としていいのかってコトですけど。
ストウ: そう、伊丹堂さんの定義を踏まえていえば、精神とは共有された生命のコト的発現である…ということであって、常にそれはある種の「超越」をめがける態勢として人に備わっているわけです。つまり個々の観点を否定し、それを超越する観点を導出するものとしては「倫理的(実存的)」なものであり、個々の観点の集積である社会システム(世の中)に対して超越的に介入するものとしては「政治的」なものでもあるわけです。しかしその「政治的な精神」が必ず「国家」を創り出すとは限らない。「国家」は「精神」としてしかありえないが、「精神」は必ずしも「国家」になるわけではない…ということは一応留保として言っておくべきでしょうね。
珠緒: そういえばどこかで伊丹堂さんが、どういう政治的介入にもそれが正当だと言えるような根拠はないということを言ってましたね(「政治に参加しないことの根拠」のことか?)。
ストウ: たしかにまっとうな根拠を持つ国家などありませんよ(笑)。エミシの問題にしてもそうですが、古代国家が形成される過程というのは、ようするにそれぞれの地方的な社会(世の中)が、それぞれに発現している「精神」である「地方神」を、中央国家の「精神」である「皇祖神」が蹂躙していく過程なわけです。その意味で地方神(精神)が「べしみ」となるのであって、地方人が「べしみ」になるわけではないってことですね。
獏迦瀬: なるほど、ヤマトの国家的統一において、地方の神々が蹂躙されていく…というのは、いろいろと古代史研究の本では言われてますが、「精神」という観点から説明すると、非常に理解しやすいですね。
ストウ: 梅原さんなんかの論究などですね。最近では遠野の出版社が出した『エミシの国の女神』(菊池展明著、風琳堂刊)が非常に興味深いものです。これですが…。
珠緒: うわ〜綺麗な装丁ですね。遠野ということは早池峰ですか、この写真。
ストウ: はい。『遠野物語』に記された「瀬織津姫」という女神の痕跡を追って、天武期におけるヤマト側による神々の虐殺とねつ造を暴き出すという本です。学問的な評価は分かりませんが、ヤマト側の皇祖神の系譜をそれこそ「系譜学」的に解体する画期的な本の一つではありますね。
獏迦瀬: ヤマトの国家的統一と日本書紀の編纂が同時に行われるというというのは、なんか今、教科書問題と靖国問題が同時発生するのとパラレルな感じですね。
ストウ: いずれにしても、まっとうな根拠のない国家という制度の中で、いかにしてまっとうな実存とまっとうな精神を実現していくか…そこに「国家」を内側から食い破るということの意味があると思います。まあ別に悲壮にやることではありませんが(笑)。
珠緒: ひるまず笑って、なんちて。

●ひるますの単行本『オムレット〜心のカガクを探検する』
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