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「伊丹堂的大新年会」号


■報復戦争のコトワリ(02.1.2)

獏迦瀬: 明けましておめでとうございます。
伊丹堂: うむ、おめでとお。
珠緒: おめでとうございます。年末はほとんど更新がとまってしまいまして失礼しました。
獏迦瀬: でもほんと、去年は大変な一年でしたね〜、ひるます氏の年賀状じゃないすけど(笑)。
珠緒: まあ年が明けたからって状況が変わるってわけでもないんだけどね…。
獏迦瀬: はい、ビンラディンの行方が分からないまま報復戦争はほぼ終息しましたから、状況は変わってはいるわけですけど、ようするにアメリカが一方的にしいたレールの上で事態が進展しているって意味ではなんにも状況は変わってないわけですよね。
珠緒: 報復戦争については伊丹堂さんがおっしゃりたいことがあるようそうでしたけど(笑)、この機会にどうですか?
伊丹堂: ま、ワシが言いたいことなんてのはたいしてないがな。ほとんどキミらがここで言ってくれたとおりのことじゃな。ようするに証拠をハッキリと明示することなく、ひとりよがりな「正義」が発動され、国際社会がそれに追随していったってことじゃろ。
獏迦瀬: それに対して僕らはどうすればいいんでしょうか…。
伊丹堂: アホか。ハッキリ反対を表明すりゃいいじゃろ。今回の事態に対してほとんどの平和主義者たちは、一様に「戦争ではない平和的解決を」などと言っておるのじゃが(坂本教授の『非戦』など)、そういう言い方の背景には「戦争という選択自体、そのものにはいちおうの理がある」という暗黙の了解がしのびこんでおる。しかし、今回のバアイに限って言えば、戦争と言う選択そのものには、なんの「理」もないんじゃよ。
珠緒: 平和主義者が語れば語る程、なぜかそれが戦争正当化の道具になってしまう、ってのは、前回のメルマガでも触れたところです。
獏迦瀬: はあ、つまり平和主義者の言い方だと、なんというか、戦争と平和的解決という二つの選択肢があって、そのうちの平和をとろうというような議論になっている、ということでしょうか。
伊丹堂: そ。しかし、まっとうに考えれば今回の事態に対して「戦争」という選択肢はそもそもありえないことなんじゃな。カンジンなことは、今回のような報復戦争は、単なるひとりよがりな正義ということではなくて、むしろ積極的に「不正義」であり、「悪」であるってことをハッキリと糾弾しとく必要があるってこっちゃ。
獏迦瀬: ひぇ…悪ですか、いやしかし、僕らがここで言ってきたことをストレートに言えばそういうことではありますね。ようするに今度の戦争はまったく「コトワリ」ってものを欠いているわけで…。
伊丹堂: そう思うならなぜにそう言わんのか(笑)。だからワシがのこのこと正月からひっぱり出されることになる。
珠緒: 日本もテロ対策法によってその「悪」に加担したことになるわけですよね。そのことをハッキリと言う必要があるわけでしょう。
獏迦瀬: 靖国参拝どころの問題ではない憲法違反ですよね、これは。
伊丹堂: しかし問題は一般論として今度の「参戦」が憲法違反だ、とか、国際「法」に反しているというような問題ではない。国際紛争を武力的にしか解決し得ない、それがまっとうな筋道を持っているという場合が、ひょっとしたらあるかもしれん。ひょっとしたら、じゃがな。しかし、今回の場合はそうではない。
珠緒: まっとうではないというか…「法」の問題ではないというか。以前、伊丹堂さんの議論で「権利」と「まっとうさ」の違いってのがありましたね(笑)。
獏迦瀬: べしみ問題のときですね(臨哲59号)。法というのは社会的合意が確定した状況での問題だけれども、べしみはそもそもその社会的合意に参加しないことの「まっとうさ」がある、っていう話でしたね。
珠緒: ああ…、でもそれを考えると、そもそも国際問題というのは「法」によっては裁けない・解決できないということにもなりますよね。すべての国が一つの社会的合意に参加しなきゃないってことはないわけで。
伊丹堂: そ。ようするに国際社会っていうのは「社会」ではないってことじゃよ。
獏迦瀬: はあ、国際社会は社会ではない…、なんか意表をつく言い方ですが、たしかにそうですね。
伊丹堂: もっとはっきり言えば、国際社会は「世の中」ではない、ってことじゃな。つまり、「La Vue8号」の正義論でも言ったように、人々がとりあえずの目先の事柄への配慮によって行為する連鎖が全体としては調和して成り立っているシステムが「世の中」なわけじゃが、国際社会はそういう意味での「世の中」ではない。
珠緒: 世の中ではないから、法を社会的に合意することができない…。
伊丹堂: というより世の中というのは、ウラハラにそれに対する超越的介入としての「政治」の基盤でもあるわけヨ。そのヨリドコロが「法」なわけで、世の中−政治−法という三位一体がそこにあるわけじゃな。
獏迦瀬: しかし実際問題としては国際法と呼ばれるものがありますが。
伊丹堂: そりゃ「条約」じゃな。それぞれの「世の中」の超越的な介入としての「政治」レベルでの相互の「取り決め」ってこと。条約の特徴は一方的に破棄できるってことじゃな(笑)。つまり関係から「降りる」ことができる。これに対して「世の中」というのは自分がそこから出ていかない限り「降りる」ことはできないものなわけじゃな。
珠緒: なるほど…超越的な介入としての政治は本来、その「世の中」に対してなされるものであって、それを直接に他の「世の中」に及ぼすことが「戦争」だということになりますか。
伊丹堂: ちゅ〜こっちゃな。本来「世の中」つまり社会システムでないものを、無理矢理、「世の中」=「我々」として巻き込んでいこうというのが、昔でいえば「帝国主義」であり、今でいえば「グローバリズム」じゃろ。それは他者への配慮でもなんでもない、単なる暴力なんじゃよ。
珠緒: 国連というのもやはり国際社会に対する超越的機関ではなくして「条約」だということになりますよね。
伊丹堂: 当然というか、それは常識じゃな。国連至上主義者は、国連をそのような意味での超越とみなしたがっているわけじゃが、その基盤となる「世の中」が形成されていない以上、それは夢想にすぎん。実際には「グローバル経済化」による世界統合の錦の御旗にされないとも限らないわけで。
獏迦瀬: とすると、国際問題の解決というのはどういうことになるんでしょうか。それぞれが自分の「世の中」に引きこもって鎖国してしまうというわけにもいかないでしょうから…。
伊丹堂: ガハハ、だからこそ最初から「まっとうなやり方」ということを言っておる。それにはまず、他の「世の中」に礼節をもって語りかけることと、自らのあり方への反省ってもんが必要よ。その上で「人としてのまっとうさ」のレベルでコミュニケーションが可能かどうかってことじゃろ。これはいきなり空爆するってようなやり方の対極にあるような、ゆっくりじっくりとした地道なやり方なわけじゃがな。国連だって、そのための道具(ヨリドコロ)として使えるなら使えばいいわけよ。
珠緒: まっとうさの精神で行こう!ってとこですか(笑)。
獏迦瀬: では今年も地道にスタートしましょう(笑)。

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