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Vol.2 (1996.2)

■生命論へのブックガイド (1996.2)

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Vol.2

生命論へのブックガイド


生命のメタフィジック

  • 著者 山口 實
  • 発行 ティービーエスブリタニカ
  • 発行年 1993.12
  • ISBN4-484-93302-0 C0010 P3200E
この本の正式なタイトルは「すべての人のための分かりやすい形而上学 生命のメタフィジックス ベルグソン哲学とユング心理学を軸にした生命の基本法則を求めて」というややこしいもので、そのタイトルのとおり、ベルグソンの哲学を元にしているという事なのだが、論の進め方がまったくオリジナルでタイトル通り「分かりやすい」。
このような本が、いまだにあまり取り上げられることのないのが、私は非常にくやしく思う。
生命があること、そのものが驚異であり、われわれの日常が神秘であり、生きるということには、進化するという明らかな目的がある。それを感情的にではなく、しっかりと論理によってつかみとる、それを自分という存在の前提に据えてみるとき、これまでとはまったく違う世界が目の前に開けてくる。
生命が驚異的だというあたりまえの事実を、生活や教育などの現場の、基本においてみるとき、かなりの悩みは解決してしまうのではないだろうか。
ユングの気質論を独特に解釈した章は人間観察的なエッセイとしても面白く読める。


意味と生命

  • 著者 栗本慎一郎
  • 発行 青土社
  • 発行年 1988.6
クリシンのライフワークともいうべき、暗黙知理論の集大成。人間の認識能力についての議論だと思っていた「暗黙知」が、実は生命の根源的な?想像力であり、ひいては世界の意味そのものがイコール生命と同義なものとして捉えられている。
それを「生命主義」として捉えては、クリシンは違う、と言うかもしれないが、別の著書「人類新創世紀、終局の選択-「精神世界」は「科学」である-」(青春出版社、1991.6)では、より直截に生命主義的な考えを語っている。
たとえば、人間が、人間という原理が物質とは関係のない(精神的な)意味の領域にあることに「いっせいに気づいたとき」、人間は身体というものを捨てることになる、といった表現などは、純粋な生命というものが、物質を離れて存在しうるし、また、それこそが生命の源泉だという「生命主義」に明らかにつながっている。
では、オカルトや精神世界と「生命主義」はどう違うのか? この本は、私たちがオウムというオカルトを共通の体験として経てきた「いま」こそ読まれるべき本だと思う。


姑獲鳥の夏

  • 著者 京極夏彦
  • 発行 講談社
  • 発行年 1994.9
  • ISBN4-06-181798-1 C0293 P960E
ご存じミステリーのベストセラーだが、この京極堂の連作がすごいのは、やはり「生命論」の明確な思想に裏打ちされた「小説」だということだろう。
同時期に「バイオ」的な小説のブームとかが起きたのだが、例えば「パラサイトイブ」などの背景にある思想などは、まったく京極にくらべるべくもない。これは作家としての力量がどうこうということではなくて、思想(のでかさ)が違うのだ。
と書くと、「どこが生命論なのか?」ということになるのだが、たとえば「この世に起きる」現象は、この世界に客観的に存在しているのではなく、そこに生命がかかわることによって生じるということを、ベースにして事件が展開するという枠組みはいままでなかったものだ。また京極堂は怪異を、動物の本能と人間の意識(文化)とのずれを埋めるものとして説明しているが、こういった部分は進化の、ひいては生命の意味そのものを問題提起している。もっともこの連作では決してすべてが語られたというわけではなく、ほのめかされている、という感じなのだが。
ともかく次回作が気になる。


大正生命主義と現代

  • 著者 鈴木貞美・編
  • 発行 河出書房新社
  • 発行年 1995.3
  • ISBN4-309-24162-X C0013 P3900E
京極夏彦の小説がベストセラーになる、ということ自体が、ひとつの注目すべき事で、それが示しているのは、「生命主義」的な考え方が無意識的に多くの人の心を占めるようになってきている、ということではないだろうか。 この「大正生命主義と現代」という本は、現代とくに80年代以降に「はやり」だした生命主義的な考え(ニューサイエンス、エコロジーといったもの)が、実は大正期にもある種のブームをおこしていたことに注目し、その比較から現代の生命主義の将来を考えようというものである。
現代の生命主義についてはなにか非常に表面的・外的なとらえ方をされている感じであったが、大正時代の思想史・背景史的な記事は非常に興味深い。とりあげられているのは、西田幾太郎・福来友吉・宮沢賢治・漱石・藤村・倉田百三・岡本かの子など。編者が国文学者なので国文学系にかたよっているのが残念。


オカルト(上・下)

  • 著者 コリン・ウィルソン
  • 発行 河出書房新社
  • 発行年 1995
この本も、というか、コリン・ウィルソン自身、あまり生命論として捉えられることのない人だろう。
しかし、コリンさんがもうしつこく同じテーマで書いていることは、精神を集中するとき、人は強力なパワーを発揮し、意味を実感できる、ということなのだけれど、まさにそののことは生命論そのものだと思う。
この本の前半部分では明確に生命とは、物質世界への「自由」の挿入であり、支配のくわだてなのだということを書いている。それがバイタリズム(生気論)だというわけだが、そこでは人間の「目的」は自由を拡大し、この物質世界に意味をもたらすことだといわれている。
易占いやタロット、魔術についての項目が面白い。魔術とは未来の科学なのだ、という。京極の「魍魎(もうりょう)のはこ」のカバーに「一日も早い科学の再婚を」と書いてあったが、生命論と科学は昔、結婚していて、それが教会の支配下でへんな方向にいってしまったため、協議離婚していた、ということになるだろうか。生命論の持つ「目的論」的な傾向が、合理的な思考の展開をさまたげていたからだ。しかし、科学が合理的な展開をゆるされて行き着くところへきてしまった今、あらためて生命論の持つ「意味」や「目的」という考え方の重要さが分かってきたというところだろうか。
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