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Vol.3 (1996.4)

■個の表明から始まる新しいコミュニケーションの形 (1996.4)
■森岡正博「宗教なき時代を生きるために」 (1996.3)

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Vol.3

個の表明から始まる新しいコミュニケーションの形

雑誌「G-U」Vol.2の佐野元春特集に書いた、インターネット元春ホームページについての記事を再録。私はインターネットの普及によって、個人が自分の考え方を発信し、コミュニケーションが生まれ、マスメディアによる一方的な情報判断の文化(システム)は崩壊していくと思っている。そんな考えを佐野元春のインターネットについての考えにそって、書いたエッセイ。ただ文中では可能性を期待しすぎたところがあって、実際の元春ホームページはどうなんだろうか。どうも単なるデータベース的なものにしか感じられない。やはり佐野元春「個人」がやっているわけではないというところに問題があるのではないだろうか。

インターネットがブームだが、その謳い文句が「個人の情報を発信しよう」というものだった。なぜ今、そもそも「発信」なのか?「個人のホームページをつくり、他とリンクするという態度自体、そもそもコミュニケーションの性質が違っているでしょう。まず個を表明するという態度が基本にあるということです。まさにそれは他者とのコミュニケーションを新しく肯定的に捉えているのではいかという気がします。」と、佐野元春は 『THIS』Vol.3のインターネットについての記事の中で語っている。

私はこれまで長いこと、コミュニケーションというと、なんとなくその場の雰囲気を取り繕うだけの「つきあい」のようなものをイメージしていたと思う。が、この雑誌「G-U」をつくり始めてからはそのイメージは完全に崩れてしまった。特にインタビューをお願いした吉田ケンゴさんからは、コミュニケーションというのは、発信なんだという言葉をいただいた。そして、いろいろな人々とのコミュニケーションの中で、雑誌をつくり、人に見せて買ってもらったりする中でそのことは実感として分かってきたと思う。コミュニケーションとはたんに場をとりつくろったり、情報を受け取ったりすることではなくて、自分から何かを表現し、そこでそれまでは起きなかった何かが起きることなのだ。

まずは自分から、自分が何に興味があって、何がやりたいのかをはっきりと表明する。そこで反応がある人からはそれ以上のものがかえってきたり、そこで新しいものがつくられたりするけど、そうでない人からは別に何も起きないかもしれない。でもそれでいい。何かが起きるか起きないかはコミュニケーションしてみないと分からないからだ。それが元春のいう「個を表明することから始まるコミュニケーション」なのだし、「コミュニケーションそのものを肯定的に捉えること」なのだと思う。

元春の言葉はインターネットについて言われているが、それはインターネットに限らず、いろいろな場面でのコミュニケーションについても言えることではないかと思う。私はインターネットは「元春ホームページ」を覗くくらいしか使っていないのだが、ネット空間とは無縁な、日常生活での場面でも元春のいうような「個の表明から始まるコミュニケーション」を始めようという多くの人々に出会い、そういうコミュニケーションを求めている雰囲気を感じている。

とすれば、これはインターネットをひとつの契機として、大きく表面化してきた事だけれども、実は世界的に(共時的な現象として)人々が「個の表明から始まるコミュニケーション」を始めようとしていることの、ひとつの予兆のようなものかもしれない。大げさかもしれないが、文明そのものの「質」が変化し始めているところまで繋がっているような…。でも、そういうふうに考えないと、インターネットというハードがスゴイんだ、という発想にすぐ人は飛びついちゃうと思う。元春も前出の記事の中で「コンピュータと個人の向かい合いの中で完結してしまうだけではなく、そこから先、実人生の中でそこで得たアイデアをどう拡張して行くかが、一番の課題だと捉えています」 と言っている。

このようにハードウェアよりも個の存在や表現、そしてコミュニケーションのことを第1に考える元春だからこそ、そのホームページがインターネット上に開設されたということは意義深いものがある。というのも、このホームページはいろいろな雑誌で取り上げられているのだけれど、特に『日経トレンディ・臨時増刊号インターネット特集』(95年11月20日発売)では巻頭で大々的に取り上げられ、「日本で立ち上がったホームページとしては最も優れた作品」と評価されている。ということは、今後、インターネットにホームページをつくろうという人、コミュニケーションをする人にとって、この元春ホームページが良い手本になり、当然元春のコミュニケーションに対する考え方もそこに反映され、インターネットも表現する個人にとっての「良い道具」として使われるてゆくのではないか、ということなのだ。そういう意味でも、元春ホームページの立ち上げに関わられた中川さん他、スタッフの皆さんに敬意を表したい。みんなスキで楽しいからやってんだろうから、こんなこと言われる筋合いじゃないかもしれないけど(笑)。

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Vol.3

森岡正博「宗教なき時代を生きるために」

法蔵館、1996.3

いかに宗教にならずに「生きる意味」を追求し続けるか、という点で、著者・森岡氏とは共感する。

そのような生の意味の追求(生きていることという謎への問いかけ)を追求することは、しかし背後に「それを人に教える」事によって自分を高め、他人を支配しようという隠された権力欲求があるという指摘には、ほんとうに身につまされるものがある。こうしてインターネットに書き込むこと自体にそういう欲望が現れているのではないか。

そしてそういう権力欲がオウム事件につながっていくものなのだ。そうならないためにどうするか。森岡氏は「孤独になる勇気を持つことだ」という。そうなのだ。なにかせまっくるしい共同体、私でいえば自分でつくっている雑誌やこのインターネット雑誌をひとつの共同体とみなして、そこで「その人達に認められること」で自己実現しようとするのではなくて、あくまで自分は自分でものを考え、感じ、その過程に自分を実現すべきなのだ。

それ以外にも人には問題を「見えなくする構造」があるという指摘も、忘れないよう胸に刻んで置きたい。無意識の探求と称して夢の研究をする以前に、単に見えてないことを見るべきだ。そのためには他人がよい鏡となる。他人と接触することは、自分を知るための一番良い方法なのだ。たぶんこうやって人前に書き込むことにはそのような「意義」はあるのだろう。

それ以外にも尾崎豊についての分析も「生きる意味」といった志向をもつ表現についての普遍的な議論になっている。

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