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夏目房之介『マンガと「戦争」』(講談社) 98.1.21
この本、マンガに表現された「戦争」を追いながら、「戦後精神史」を探る、というような企画だと思うのだが、著者もいうように、なんか「物足りなさ」が残る。本そのものは非常に面白くて、またいろいろと自分の思考が刺激されたりするのだが、読後感はそういう感じがする。なんだろうと、思うと、やっぱり「戦争」を語りながら、「戦争」とは何か、ということと、「戦争」をやる「国家」って何なのか、という点がすっぽり抜けてるからじゃないだろうか。
戦争とマンガというより、私はどちらかというと、戦争と「アニメ」の方が興味深いと思う。昔、「決断」という戦記アニメがあり、第二次世界大戦の日本軍をテーマにして、山本五十六を少々ヒーロー扱いしていたという以上の記憶はいまとなってはほとんどないのだが、「先の大戦」についての無意識的なイメージの多くをこのアニメに負っているのではないか、という気がしてならない。
以下、私の「アニメと戦争」論
夏目氏はこの本で、戦後のほんとうに戦争を知らない世代が、戦争のイメージを安易にフィクションにできるようになったという意味で「宇宙戦艦ヤマト」の意義を重要視しているのだが、私にとってはまた別の重要な意味合いがあった。
それはこの「ヤマト」によって、それまでのアニメでの「一話につき一体の敵を倒す」というセオリーがうち破られた、ということにつきる。
古くはウルトラマンから仮面ライダー、マジンガーZというアニメではなく特撮もふくめて、ようするに「戦い」が主なテーマになるお話においては、一話につき一体の敵が当然だったのだ。ところがこの「ヤマト」では、一体の敵というくくりがはっきりしない。全体的にはガミラスという悪の星の軍隊が敵なことははっきりしているが、それは組織としての軍隊なわけで、「一体」というのはない。個人的に個性を発揮する敵将が出てきて、それがこれまでの「一体」に近いが、それが一話ごとに交代するわけではない。ヤマトのストーリーは、長期的な時間の中での全体としての軍事組織との戦いなのだ。その中には、敵との戦いのない「一話」すら含まれている。
こんなことがなんで、重要なのかというと、こういう描き方によって、はじめて本当の意味で「戦争」が描かれるようになったからだ。というか、一話一体という基本的には「戦争」ではなく「格闘」でしかなかったアニメ・特撮の空間を、はじめて「戦争」の空間に変えたからだ、といってもいい。
ようするに大河ドラマだ、といってもいいが、ヤマトでもってアニメが大河ドラマ形式でもいい、ということにならなかったら、ひょっとしたら「ガンダム」もなかったかもしれない。ヤマトはガンダムを準備したという意味で重要なのだ。ガンダムはさらに「戦争」というキーワードでみた場合すごいことをやった。ヤマトは「一話一体」というセオリーを崩したが、「ヤマト」というこのストーリー上の主役が、ここで描かれる戦争の主役でもあるという点で、古典的なアニメ・特撮の範疇をまだ超えていなかったのだ。ガンダムはそれを崩して、「ガンダム(のいる部隊)」は、このガンダムというストーリーの主役ではあるけれど、このアニメで描かれている「戦争そのもの」にとっては主役ではない!ということにしてしまったのである(後半はだんだん「主役」になっていくのだが)。
戦争は個人の力で、どうこうなるものではない・・・これは、ガンダムシリーズの中で繰り返し語られる言葉だが、それはガンダムのストーリーの組み立て方そのものでもあるのだ。「主役」のメカ一体で、大きな意味での戦争の動向を左右することはできない、という位置づけのもとに、ある意味ではむなしい戦争を続けるのがガンダムの主役たちなのだ。とすると、ガンダムの主役たちは実は、失われた「一体一話」形式の世界を憧憬しつつ、むなしい戦いを繰り返す神経症の人々と言えなくもない。
そうするとガンダムシリーズの続編がなんで面白くないのか、が、よく分かる。ようするに戦う必要も理由も本当はないのに、戦いを続けているからだ。本当はそうする理由はないし、自分でもそれを分かっているのに(分かっちゃいるのに)、その行為をやめることができない症状を「神経症」というのだ。
戦争論に話をもどすと、ガンダムによってストーリーの主役が戦争の主役ではないという視点がうちだされ、これによって本当の意味での「戦争」がアニメ・特撮に持ち込まれたといってもいい。ヤマトが用意した「空間」に、ガンダムが「実体」を持ち込んだわけである。なぜなら、戦争とはまさにそういうものだからだ。
しかし、ガンダムが持ち込んだのは「実体」と書くより「実態」と書くべきものだったのかもしれない。つまり、その後のガンダムシリーズのていたらくを見ると、たしかにガンダムにおいては、戦争は「個人」ではどうすることもできない、悲惨なものであるという「実態」を取り込んでいるけれども、なんで戦争が起こるのか、戦争を起こすシステムはなんなのか、戦争を起こす国家とはなんなのか、という、それこそ「実体」にせまる考察はきわめて希薄だったと思わざるを得ない。それがしっかりと把握されていれば、戦争がこのストーリーの中の世界に起きる「理由」も明確になり、戦う「必要」も自覚され、主役たちが神経症的に戦う必要もなくなっていたはずなのだ。
というわけで、その後である。ヤマト、ガンダムをうけついで、「戦争」概念を追求するアニメは果たしてあったのか? エヴァンゲリオンは違うだろう。むしろ「一話一体」の世界ではないか。ナウシカ、もののけ姫は? こういう問いは意味がないのかもしれない。
戦争というものをエンタテイメントの中に位置づける作業は、むしろ「ゲーム」の中で傑作ができている。私もこのページで評している「フロントミッション」だ。フロントミッションは、ゲームという制約が多い中で、非常に丹念に戦争が起きる背景の世界を描いているし、決してその「戦争」において主役たりえない主人公たちを、練り込まれたストーリーで、巧妙に戦争に絡ませていく。そこには「理由」と「必要」が説得性をもって描き出されている。このシリーズは現在、「オルタナティブ」という外伝のシリーズもでており、今後このゲーム世界の中の「戦争」がどういうふうに描かれていくのか興味深い。
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