下村誠の「精神」世界(94.11.11)
雑誌G・U創刊準備号に掲載した下村誠プレ特集の記事「シモムラ・ワークス」より
下村さんの歌を初めて聴いたのは、いつだったんだろうか…。なんて言ってもそんなに古いことではない。
CD「ホーリー・バーバリアンズ」を初めて聴いたときの印象は、ひょっとしたら本人には意外かも知れないが、「これは精神世界だ!」というものだった。
「精神世界」というと超能力やUFOのことだと思っている人もいると思うので(笑)、一応勝手に定義してしまうと、「精神世界」というのは、「日常的な世界(現実)の背後に、濃密な意味のある(真の)世界が存在する」とした上で、その「真の世界」とは「精神」というか、「心」だという領域だという考え方だ。
まぁ、そういう考え方としての「精神世界」にもピンからキリまであるわけだが、そういう考え方は、まずもってこの「現実」を「真の世界」ではないとする点で、「背世界的」というか(分かりにくいので、言い換えると)非現実的というか、夢想的というか、厭世主義的というか、宗教的というか、ともかくこの世は気に入らないから「あっち側」(それはオタクの部屋であったりもするのだが)に行ってしまおうというような考え方を含むものだ、というようなイメージを持っている人もいるだろう。
しかし、私が下村さんの曲に持った「精神世界…」というのは、全くそういうものではない。それは、言ってみれば「真の世界」を求めるといっても、この現実を否定するのではなく、むしろこの現実を真にリアルなものとして受け取ろうというものだ。
つまり普段私たちは、現実を単なる偶然的でよそよそしい物質的な出来事として受け流してしまったり、また社会的な制度や秩序として捉えて目的化したり意味づけたりしている。もしも、そのように受け取られた現実のみが真の現実だと言われるならば、理屈では何も反対する事は出来ない。しかし、そのような現実がほんとうに「リアルな現実」と言えるものだろうか。たとえば、真に「リアルな現実」とは、すべてが自分自身にとってよそよそしいものなどなく、肯定的に、しかも生き生きと(自分にとって真にリアルに)感じられる瞬間、といったものではないのか。
もしもそういう瞬間が、何も一時の興奮状態などというものでなく、むしろ逆にそこで現れてくる世界こそ、「真の世界」だとしたらどうだろうか。とすれば「真の世界」とは何も宗教的な意味での「彼岸(あっち側)」なのではなく、いま・ここに生きている自分自身の「こころ」であり、「精神」ではないのか…。そして「こころ」とか「精神」というと、何か頭の中で考えたこと・意識的なこと、というようなイメージを持たれる方にもいるかもしれないが、ここでいう「精神」とは、内面的なものであると同時に、実在的なものでもある。いわばそれは現実の中に見いだされた「生命」そのものなのだ。
というようなことが、下村さんの曲に感じた「精神=世界」であり、「生命=世界」なのだった。それは突拍子もない印象かもしれないけれど、しかしそう間違ってはいないのではないか。というのも、下村さんの歌を聴く度ごとに、自分自身の中で、そういう「こころ」とか「生命」そのものを生きようという意志が喚起されてくる、という感じを受けるからだ。
生きる意味を 探すより
僕はありのまま 僕でありたい
…
旅人になろう
心に帆をかかげよう
(下村 誠「海への風」)
いましかない いましかない
確かに生きてるって
感じるのさ
…
君の心 輝いてる
君の心 続いていく
(下村 誠「虹の箱舟」)
実際にその音楽を聴いていない人に、こういう引用でどの程度伝わるか分からないが、いわゆる「精神世界」っぽい言葉、ニューエイジっぽい概念を巧みに取り込んだ音楽が多い中で、下村さんの曲ほどに、それを聴く人自身が、自分自身の「真にリアルな世界」への意志を喚起させられるような音楽は少ないだろうと思う。
こういう音楽はどこから生まれてくるのだろうか。下村さんは、だいぶ以前に書いた佐野元春についての文章でこう言っている。
「…そして彼は人間の生命の持つ限界を自分の力で覗いてやろうと思った。さらに彼は硬直した自分の意識をほぐし、変革し、拡大するためのきっかけをマンハッタンで発見したのだろう」(下村 誠「詩人の声」チャート3号所収)。
ここで言われている「硬直した意識」にとって現れてくる現実が、「意味のない日常的な世界」「よそよそしい物質としての世界」「制度によって目的化された世界」であれば、「変革され、拡大された意識」にとって現れてくるものが、真に「リアルな現実」であり、自分自身の「精神」「生命」としての世界なのだ。そして、ここで語られているのは、いわば「精神世界」が、開かれた瞬間の、「変容の体験」そのものなのだ。それは佐野元春に託されて語られてはいるが、形を変えた下村さん自身の体験でもあるに違いない。
自ら「真にリアルな現実」を創造し、持続していこうという「意志」を持つ者だけが、聴く人にもまた、そういう意志を掻き立てさせるような、そういう表現ができるはずだからだ。
話が大きくなってしまったが、下村さんについて書こうとすると、この点だけはどうしても避けられない。しかしまだ下村さんの曲を聴いていない方は、まぁ、肩肘を張らず、気楽にふれていただければ、と思う。下村さんはそれに応える単純ハッピーな面も持っていて、そこがまた不思議な魅力にもなっているのだ。
下村誠についての情報は「下村誠ホームページ」をご覧ください。
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