「黙阿弥の明治維新」に泣く(99.1.22)
泣ける論文、というのは久しぶりだが、これは泣けた。この本は著者渡辺保氏が、幕末から明治にかけての歌舞伎の作者、黙阿弥の全体像を再現しようと試みたものである。
まずスゴイのは、渡辺氏が当時の脚本から、その作品をまるで「見てきたように」、役者の息づかいが聞こえるがごとくに、再現するその迫力だ。途中、一カ所、「私も見たわけではないが」という但し書きがあって(見てなくてあたりまえだが!)、それまであまりにも自然に読みすすめたために、そこではたと「そうだよな、見てきたわけじゃないんだ」と改めて思わされるというくらいなのであった。
しかし泣くのは、その芝居の再現があまりに迫真的だから、というわけではない。あくまで著者がそれを通して、黙阿弥の全体像を描き出そうとしている、そのことに泣けるのだ。どういうことかというと、著者が描き出す黙阿弥像とは、江戸歌舞伎の最終ランナーでありながら、明治になってもとことん芝居づくりにとりくみ、新たな演劇をつくり出そうとした人、である。著者によれば、そこには歌舞伎が歌舞伎のまま近代劇に進化していく可能性があったのであり、現在の演劇のようにいったん歌舞伎という伝統を否定した上で、西洋の演劇を輸入したところから新たにつくり出し、一方に伝統という固定的なものとして歌舞伎を保存しておく、というあり方とはまた違った、別の世界がありえたのだ、という。しかし日本の演劇はそういう方向には進まなかった。進まなかっただけではなく、そのように努力した黙阿弥の業績を評価することもなく、むしろ江戸の伝統という枠組みの中に、押し込め、封印してしまっていたのだ。
そして著者は、丹念に脚本を読み込み、当時の役者の資料を駆使して、黙阿弥の演劇世界を再現することで、その封印を解き、全体像を提示するわけだ。これが泣ける。それは、オレが黙阿弥だったら泣いて喜ぶ、ということと同じだ。自分が何をやってきたか?を少なくとも一人は「分かった」ヤツがいたわけだ。もちろん黙阿弥は単に認めらなかったわけではない。むしろ死ぬまで超人気作家として認められつづけてきたのだ。しかし著者がその典型を永井荷風にみるような「黙阿弥=江戸の美学」という一面的な評価、認め方によって、その業績の全体は打ち消されてしまっていたのだ。(ふと思えば、これと同じコトを現代における宮崎駿において行ったのが、「運動の倫理」を書いた斎藤環ではないか(『文脈病』収録)。彼はまさに誰もが認める、今をときめく宮崎を、その全体像を提示することによって「擁護」してみせていた!)
さらに著者は「江戸の美学」という一面的な理解が、歌舞伎をドラマとしてではなくて、リズムや名セリフ(という部分)として鑑賞する現代の歌舞伎の鑑賞法につながっていると指摘している。これがまた黙阿弥は別として興味深いところである。
私も思い当たるのだが、まずは歌舞伎を分かろうとするときは、リズムに身をまかせるのだ。そうするととりあえず何かが「分かった」気になれる。これはお神楽とか伝統音楽なども同じで、かつてはレゲエ、いまアイルランドなどといっている人も同じだと思うが、よーするにリズムは世界共通の言語である、というように、とりあえず「分かった」気になれるものなのだ。それがその先の理解に入っていけるかどーかの「鍵」であったりする。しかし、それはいわば両刃の刃なのだ。つまり「分かってしまう」がゆえに、そこに理解が終わってしまう、ということでもあるからだ。奇しくも、美輪明宏様がご著書「人生ノート」で、黒人音楽が、音楽をダメにしたとおっしゃっている。黒人音楽はリズムにはじまりリズムに終わるからだろう。そこでは、リズムを背景に押しやり、ドラマ、つまりメロディと言葉(つまり「思想」)の融合としての「うた」が生まれる土壌がなくなるのだ。もちろんそこから、なおかついいものを生み出している人もいる、ということはまた別問題として、である。
歌舞伎に話をもどすと、リズムや名セリフには、それだけをドラマから切り離しても成り立ってしまう一種の陶酔感があるだけに、むしろ歌舞伎は意図的にそういうところに生きる道を見いだしていったのではないだろうか。だからこそ、黙阿弥以外の作品もいまや「切り売り」されて、ほとんど通しでは演じられない、のだろう。しかし、そうではなくて、歌舞伎はやはりドラマ=思想なんだ、ということこそ、著者が黙阿弥から受けとったコトだろう。歌舞伎=ドラマ=思想こそが「全体」であり、リズムと名セリフは「部分」なのだ。これはボクが、横尾論、大菩薩峠論を通してこの一週間言ってきたことと、実はまったく重なってくるコトだ。「部分」を通して実現される全体こそ、ボクらが見据えるべきところであって、部分に還元してことたれり、とするのは、「青年」の思想だとでもいうことになるだろうか。「黙阿弥の明治維新」は「大人の本」である。
|