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Vol.26 情けは他人のためならず号(99.2.18-3.8)

■他人事(99.2.18)
■続・他人事(99.2.22)
■祝い事(99.2.23)
■コワイ事(99.2.24)
■算術之事(99.2.25)
■教育之事(99.2.27)
■祝い事・其の二(99.3.1)
■告知の事(99.3.4)
■プレステの事(99.3.5)
■顔面之事(99.3.7)
■ナンカイ之事(99.3.8)

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Vol.26
他人事(99.2.18)
あっという間に「オムレット」発売から1ヶ月もたっちゃいました。そろそろ本屋から姿を消しつつあるので(シクシク)、まだの方はお早めにどうぞ・・。
というわけで、書店まわりしてたら、今日は「シッタカブッタ」の3巻目(小泉吉宏「ブッタとシッタカブッタ3 なぁんでもないよ」メディアファクトリー)と、講談社ソフィアブックスでやってるマンガのシリーズで「ユング」の伝記が出てた(さかもと未明「ユング「心の深層」の構造」講談社)。ユングの伝記はたしか別のところから同じよーなのが出てたような気がするけど・・。
ま、せっかくイロイロと「心理系」のマンガが出てるんだから、どっかの雑誌や新聞で「オムレット」も含めて大々的に特集を組んでいただけませんかねー(「オムレット」はちっちゃく、片隅にのっけるだけでいいんです。「シッタカブッタ」の刺身のツマでいいんです・・・と、言いつつ、今に見てろー!)。

他人事=どーでもいいハナシ、といえば、きのーの、日経ビジネスサテライトで、新聞欄に「ループの世界はもう現実」と書いてあったので、もしやと思ったら、案の定、鈴木光司氏が登場。
「リングはもう10年前に書いたもので、ビデオを見て一週間後に死ぬなんて、くっだらない内容なんすよー」だって。その「くっだらない」ものを、人工生命の世界(ループ世界)の中の出来事として「まともなもの」に仕立て直したのだ、と誇らしげにのたまっていた。なんでも「科学的」な装いさえあれば、エライってか?
それにしても、昔の自分は偽りの自分でした、なーんていうこの言い方。どっかで聞いたことがあると思えば、TOSHIじゃん。「面白さ」や「感動」をもっと素直に認めよーよ。

なーんて言ってたら、「リング〜最終章〜」が新たな展開を見せてて、前に「リング映画版」は完璧!と書いたが、こっちはこっちで別な完璧版という感じ。コワクはないんだけど、「呪い」の内容が原作より「完璧」になりそう。なりそう、というのはまだはっきり分からないからだが、「四人に一人は死ぬ」ということからして、明らかに呪いの内容(死を逃れる方法)が原作とは違っていて、(私の予想では)原作以上に「一貫性」があるのではないかと思ってるわけだ(ネタバレっぽいので以下略)。

最近メチャクチャ面白かった、というか「ホントに怖かった」のは、日野日出志の「はつかねずみ」と言うマンガだ。角川ホラー文庫の「HOLY」とかいう著名漫画家によるアンソロジー(他に手塚、永井豪、萩尾望都、美内すずえ、丸尾末広など)に入ってる。だいぶ前のだが、借りたのだ。あまりの怖さについついマゾ的に何回も繰り返して見てしまった。

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続・他人事(99.2.22)
このまえ「心理系のマンガ」がイロイロ出てるって書いたら、今日2/22の読売夕刊で、「母娘問題」を扱った樹村みのり(なつかしー)の作品「海辺のカイン」「母親の娘たち」が復刊という記事が大々的にのっていた。なんとこの発行元は、アダルトチルドレンといえばこの人として有名な斎藤学氏の「家族機能研究所」、の出版部門であるところの「ヘルスワーク協会」というところなのだそーだ。ややこしいが、ようするにこれもまた「心理系のマンガ」ということなのだ。なんかタイアップくさい記事だが(失礼)、やはり「心理系のマンガ」が続々刊行されているってことは確かなわけで、ぜひとも「オムレット」もついでに取り上げていただきたいものだと思った次第である(しつこい)。
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Vol.26
祝い事(99.2.23)
などと言っていたら、なんとFKSさんのホームページ「FKS's Meconopsis horridula」の「とりあえず読んでみました」のコーナーで、「オムレット」がとりあげられました。うれしい!
うちのページの紹介記事などより、端的に「オムレット」ってどーいうもんなのよ?ってことをスパッと書いていただいたので、これからはこっちをまず読んでもらおうか。
いずれにしても、このFKSさんのページ自体非常に面白いので、ぜひご覧ください。とくに本好きの方は、こんな本読みがいたかと驚愕し、嫉妬し、連帯感をいだき、笑い、癒されることだろう。雑文コーナーに載ってる「読書ロボ」は最高。

祝い事といえば、オレだけが知らなかったのかもしれないが、「ホラー狂日記」のホームページが復活してたことだ(リンクフリーってことなので、勝手にリンク書き込ませてもらいますよ)。
だいぶ前にサイト閉鎖という話を聞いて「さらばホラー狂日記」と書いたが、去年の10月頃から復活してたみたい。とにかく質量ともに充実しているので、ここを見に行っていると、忙しさで萎えがちなホラーへの情熱がふつふつとわき上がってくる。最近は「リング〜最終章」の感想も毎週アップしているので、放送日の翌日は必見か。

もうイッコ、うれしいことに「ツインピークス」ファンサイトから、うちの「でぃーぷひるます」をリンクしていただいた。TARO'S HOMEPAGEである。このファンサイトをつくってる本人も「いまさら」とおっしゃってるが、そのTAROさんの文章は、懐かしさと滑稽さと悔恨と、そして愛と憧憬が入り交じったペーソス溢れるもので、ツインピークス・ファン(いわゆるピーカー)なら、自分のことのように感じて、爆笑しつつも共感してしまうでしょう。
ちなみに「オムレット」に登場する肥留間氏の口調は、ワウワウで放映した吹き替え版「ツインピークス」のクーパー捜査官ことカイル・マクラクランの吹き替えの口調に影響されている。どーでもいい話だが(そういえば「オムレット」の前身である「肥留間氏の魔法の本」は、肥留間氏が善と悪の二人に分裂するなど、ツインピークスにそっくりなところがある。これもどーでもいい話だが)。

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Vol.26
コワイ事(99.2.24)
きのう紹介した「ホラー狂日記」みてたら、ロメロ監督が「バイオハザード」を映画化するんだとか? 知らなかった。それにしても「バイオ」が原作でコワイものが作れるのか心配だ。

一方、ダヴィンチに京極夏彦や「新耳袋」著者による「怪談之怪」という団体結成(なんかプロレスみたいだけど)の記事が載っていて、これは面白かった。怪談は芸である、っていう当たり前にして、あまり誰も言っていないことをキチンと言っている。京極によれば「妖怪は(怪談とは逆に)怖がらないためのシステム」なんであって、「妖怪は怪談の墓場」だというのが、まさに卓見。
ついついほだされて、件の「新耳袋」(木原浩勝・中山市朗著、メディアファクトリー)も購入してしまった。実ハ、私のまわりには「怪談」や心霊関係の文庫本を、コンビニにいくたびに買ってしまうという人間がいて(コンビニとかキヨスクで必ず売ってるでしょ、この手の本)、かなり蔵書があるのだが、この「新耳袋」シリーズ(第三夜まで発売中)は持っていなかった。単に単行本で高いから、という理由だろう(存在するのは知ってたから)。
さすがにコンビニ本とは、おもむきが違う、というか、独特の雰囲気がある。話そのものは古いだけに、他の本や稲川淳二に流用・脚色されたもので知っているものも多かったが、それでもコワイ。ある一人の人間による語り、というスタイルをとっているので、奇妙にも「私小説」のような雰囲気、空間を感じ、それがリアルさを感じさせるのかもしれない。「遠野物語」をはじめて読んだ時の感覚に近いかも知れない。

その「遠野物語」の柳田国男を、先日ここで紹介した「日本史鑑定」(高橋克彦、明石散人、徳間書店)という対談本で明石先生が、メチャクチャ非難している。これは「遠野物語」そのものをいわばファンタジーとして楽しむ、ということとは、まったく別の文脈での話として、非常に共感できるものなのだ。よーするに「遠野物語」の元ネタを提供した佐々木喜善が、柳田によって「抹殺」されたのを憤ってるんだけど、ワシも出身が岩手な上に、アカデミズムとはまったく無縁の身、という点で佐々木喜善に同情し、ひるがえっては明石先生の憤りがありがたく思ってしまうのだった(意味のない共感幻想ではある)。

ところで前からナイナイと言ってた明石先生のノベルス第一作「鳥玄坊先生と根源の謎」も、結局図書館で見つけて読んだのだが、その本も、この「日本史鑑定」も、明石先生の意外にも「と」(トンデモ)な一面がフィーチャーされていて、ちょっと一言では語れない。まだ読んでいない方は、ノベルス第2作の「鳥玄坊 時間の裏側」の方が、「と」の度合いが低い、というか通常のSFの文脈で読めるっていうかで、とっつきやすいと思います。この第2作についてはこちらに

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Vol.26
算術之事(99.2.25)
今夜の「リング〜最終章」だけど、呪いの解法が原作とは違ってて、ある意味で「完璧」になったんではないか?というのは、予想通りだった(ま、誰でも分かったんだろー)けど、その「解」が「4分の1」になるというのが、どーゆう計算をしたらいいのか見当もつかなかった。直感的にはわかるんだけどね。実際、京野ことみは、なんらフクザツな方程式をつかわず、実際に数を数えて!それを「証明」していた。だいたい京野ことみがイキナリ方程式なんか解きはじめたら、その方がドラマとして違和感がでてしまうだろーが。長瀬くんの方は、ちゃんと方程式らしきもので証明して見せたが、映像上はどーせ説明しても分からないと視聴者をコケにしたのか、パッパッパとはしょってしまった。そこが知りたくて一週間も楽しみにしてたのに! これでは数学の教科書を引っぱり出してみるしかないではないか。

奇しくも?今日、仕事場で、「「算数」を探しに行こう!」(石原きよたか著、沢田としき絵、デジタルハリウッド出版局)という本が話題になって、さっそく見たのだ。小学校の先生が、生徒たちが数学ギライにならないよう、単位だとか、面積、比例、確率という概念を、物語によって教えようと生徒向けに作ったテキストをもとに単行本化したもので、朝日新聞でもデカデカと取り上げられ、売れているという本なのだ。オビにはしっかり「プレゼント」にも最適、なーんて書いてあって、さすがデジタルハリウッド商売がうまい(デジタルハリウッドは、いわゆるマルチメディア専門学校である)。
それはともかく、この内容だが、ストーリーがオモシロイし、語り口がいかにも「児童文学」っぽくて、入って行きやすい。アマチュアとは思えん、いい雰囲気がかもし出されているのだ。実際の教育現場では、いろんな人がこーゆう物語やら何やらによって、算数を楽しく勉強しようと工夫されている、ということで、この手の「テキスト」はあまた作られているらしい。そんな中にあって、これは確かに「本になる」価値があると言えるわ。とくに、主人公たちが、算数を「勉強」したり、だれか偉い人が登場して解説してくれるっていうんじゃなくて、それぞれの主人公がじぶんで考え、ヒラメキを実行して確かめてみる、っていうパターンになっているところはすばらしい。
こっからはオレの問題なのだが、だがしかし、オレはここに出てくる例題、というか、実際の数の計算の部分、とくに確率のところがよく理解できなかったのである。オレのアタマが小学生レベルだと言うのか?がーん。これでは「リング」の「4分の1」が解けなくて当たり前である。
ま、実際は、物語以外のホントに「算数」的な部分を、もおちょっと書き込んでいただきたいってところだろうか。これはテキストであって実際には先生の授業でフォローされるっていう前提で、「算数」部分が控えめになっているのだろう。しかし、本として出回る以上、先生はついてこないので、あえてそれは言っておきたいわけだ。

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Vol.26
教育之事(99.2.27)
きのうついつい見るのを忘れてしまったのだが、筑紫哲哉の「NEWS23」の新聞欄の見出しが「メディアを疑え」とかいうもので、よーするにどこぞの外国の教育では、マスメディアを信用するなっていう教育をきちんとしている、というネタらしいのだ。オウムのビデオ事件のTBSが、そういうネタをやるのも嫌みだが、この「マスメディアを信用するな」というのは、なかなか「よい教育」ではないかと思ったわけだ。

番組自体は見ていないので、なんともいえないのだが、ちょうど河上亮一さんの「学校崩壊」(草思社)を読んでたら、学校が機能しなくなってくる(先生の権威がなくなってくる)のは、地域社会という「世間」が解体してくることとウラハラになってるって話があって、それを一つの「情報ネットワーク」と考えてみると、地域社会という情報のネットワークが解体して、マスメディアという情報ネットワークが、学校にも家庭にも「侵入」し、それに征服されちゃったってことになるだろう。

逆に妙木浩之さんの「心理経済学のすすめ」(新書館)では、そのような情報ネットワークの侵入によって、子ども達は「情報処理能力が高まる」などの利点もあるのだとして、それを「評価」している。それも一理あるのだろう。しかし当たり前だが、マスメディア的な情報ネットワークが身の回りにあるだけで、子どもが自律的にその中でうまく生きていけるようになるわけではない。だいぶ前に「コミュニケーション」について書いたときにも引用したが、マスメディア=情報の集団的処理に参加しているだけなら、なんら「自分で考える」必要がないのであり、栗本にいわせれば「近代は思考停止を好む」のだ。そういう意味で、マスメディア的な情報ネットワークに可能性を見いだしたりするのは、甘すぎるのであり、まだ「マスメディアを信用するな」と言った方が「イイ」のではないか?ということなのだ。

それにしても肝心なことは、「信用するな」というのが、単なるアナーキーなもの、否定的なもの、懐古的なものであっては、しょうがないってことなのだ。当たり前だが、問題なのは個々の情報を信用するかどーかということではなくて、その背後にある「価値観の体系」みたいなものだろう。教育がしなくてはならないのは、「信用しない」根拠、というか、バアイによっては信用してもイイわけだから、よーするに自分で考えることを、ちゃんと教えるってことなのだ。単に信用するなというだけでなく、そこまでやるってことなら、確かに「イイ」でしょ。それができるためには、教える側に、マスメディアによる集団的情報処理に対抗するだけの「哲学」がなければならないし、あったとしても実際に自律的な人間を生み出すということはタイヘンに違いないけれども。

よーするに理屈としてはとりとめもない「でかすぎる話」なわけだが、今回の「脳死」に関するバカ騒ぎを見ていると、ついつい「信用するな」という声を大にしていいたくなってしまうわけだ。今回のことについて言えば、なんの「速報性」もないこと。すでに「法律」で決まったことであり、実行されることによってなんら急激な事態の変化がもたらされるわけでもない。粛々と見守ればいいわけで、議論したければ、別のところでするべきだろう。一日も早い「メディアのゆるやかな死」を願う次第である。

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Vol.26
祝い事・其の二(99.3.1)
魚柄仁之助さんの「食べ暮らしダイエット」(文芸春秋)が出た。なんでこれが「祝い事」かというと、この本の表紙絵と中の挿し絵を私の実の姉(堀込和佳)が描いてるのだ。
きのうの新聞広告でもちっちゃく「画・堀込和佳」と出ていた。ちなみに「和佳」と書いて「ワカ」と読む。このページでも以前、陶芸の個展などの告知をしたことがあるのでご存じの方もいるかも。ナチュラルというかネイティブなかんじのアートやイラストを描いてる人である。よろしくお願いしたい。
ちなみに魚柄さんは「台所リストラ術」などの著書で有名な方である。この本の宣伝文句は「あらゆる無駄をそぎ落とせ。うおつか流生活術公開。――あるある、いっぱいある。暮らしに不要なもの、無駄なものが山のようだ。九州弁の語り口も楽しい食生活改善マニュアル」ということである。

追記:その「食べ暮らしダイエット」だけど、のっけから「じゃりん娘チエ」のばあさんの話がのってて気に入ってしまった。「じゃりん娘チエ」のばあさんの話ってのは、人間の不幸ってのは、「ひもじい、寒い、もお死にたい」の順で来るって話で、不幸に落ち込みそうになるチエに、ばあさんが言って聞かせ、ラーメンを食わせるという場面があるのだ。つまり不幸に直面してもとりあえず食ってあったまればいいってことで、ワシもこれを読んで以来、もっとも基本となる人生訓としていただいていたのだ。こんなところで「同士」に出会えるとは〜。

さらに!
京極夏彦関係のメールニュース「釣瓶火通信」で、「オムレット」のCMを掲載していただきました。ありがとうございました。このメールマガジンは「まぐまぐ」で申し込めます。くわしくは「京極夏彦ネットコミュニティ 」のホームページをごらんください。ちなみに「オムレット」のp116には京極夏彦の似顔絵(似てない)が載ってますので、ヨロシク。

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Vol.26
告知の事(99.3.4)
風邪で沈没しております…。

下村誠ホームページをひさびさに更新しました。ビッグニュースとしてはやはりスナフキン復活でしょう。3月13日(もお来週じゃん)にライブがありますので、かけつけましょう。はじめて下村誠を聴くという人にはとくにこの「スナフキン」というバンドスタイルで聴いて欲しいのだ。あと下村誠による南澤時正「ヒストリー」のCD評も掲載しましたので、ごらんください。

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Vol.26
プレステの事(99.3.5)
なかなかメインとなる記事もないまま身辺雑記風にVol.26がダラダラと続いております。

プレステ後継機(プレステ2?)の詳報がでているが、メルマガの「ソラリスの月」が異様に熱のこもった調子で報じていて、面白かった(ソラリスのHPはこちら)。プレステ2がどんなモノになろうとも、ドリームキャストを買う必要がないことは変わりようもないので、そんなに期待もせずにこのニュースを待っていたのだが、このスゴさは、期待を裏切りすぎである。
かくゆう私、ファイナルファンタジー8は、もちろんやっていません。「8」の予約開始のときに、勝手に「FF8予約開始記念」と称して、中古屋で「FF7」を1500円也で買い(これっていけないこと?)、いまだに半分もいっていないという人間である。だって「FF」ってぜんぜん、面白くないんだもん。
そんな私が「プレステ2」を喜ぶというのは、これによって「FF」のムービーシーンレベルの画像でゲームができるようになる、というからだ。
つまり「FF」ってCMでばんばん流されてる超キレイな画像はぜーんぶ「ムービーシーン」で、こっちは操作もナニもできなくてただ眺めてるしかない部分なワケで、こーゆうのってゲーム中に流されると、逆に演出過剰で気がそがれちゃったりするんだよね。あと次のイベントをクリアできなかったために、何度もくりかえし「見る」はめに陥るってこともざらにあるし。「FF7」ではそーでもないが、ワシの場合、「クーロンズゲート」では、このかったるムービーにかなり泣かされた。ワシがやってないソフトではやはりスクエアの「パラサイトイヴ」が、そういう感じだったそーだ。
なんで人にそんなストレスを押しつけてまで、ムービーシーンをつくるのか!という怒りを感じていたのだが、それもすべては「この日」、つまりプレステ2の登場、のためだったと考えれば納得がいく。つまりムービーシーンは、リアルタイムに3Dキャラクターを動かせるハードが登場するまでの、技術的な予行演習でもあったわけだ。逆に言えば、これまでムービーとしてしか使われなかった膨大な3Dデータを新たに加工すれば、ゲームとして使用可能になるということでもある。
とすると…、いま思いついたけど、ひょっとして「クーロンズゲート」の、あの迷宮の中を、自由自在に歩き回ったりってことが可能になっちゃうわけじゃん。これはスゴイ。それだったら何のストーリーがなくても面白そうだ。「クーロン」知らない人にはまったくわかんない話でなんだが。

ま、いずれにしてもプレステ2なんて先の話。とりあえず今気になってるのは、「サイレント・ヒル」だ。これは「バイオハザード」風のサバイバルホラーと雑誌で紹介されていたが、「バイオ2」のときに、ワシは「せっかく舞台設定を都市にえらんだというのに、なぜまたぞろ地下秘密基地に入って行かなくてはならないのか。「街」を舞台にするだけで、いろいろなアイテムやイベントなどがそれこそ山のようにあるはず」と苦言を呈したのだが(「でいーぷ・ひるます」)、この「サイレント・ヒル」は、まさに「街」(というか「町」か)そのものをゲームで使い切ろうというコンセプトが感じられるからだ。

関係ないけど、映画「シン・レッド・ライン」のポスターは、まるでゲームムービー(つまり3Dっぽい)。プレステの戦争ゲームの広告だと思ってしまった。

[追記]その後、「サイレント・ヒル」をやったのだが、これはメチャクチャはまってしまいました。上で書いたとおり「町を使い切る」ってのはまさに期待通りだったが、それ以上の内容があふれている。単に現実の町をぶらぶらするのではなくて、町や建物内部が、「裏世界」に変貌してしまうイベントが起きるのだが、これがビジュアル的にもよくできている。まるでデビット・リンチの世界そのもの。というかリンチは実際そーやってないけど、私がリンチに期待している「世界」というか? この「世界」の怖さに比して登場するモンスターがいまいち怖くないのが難点か。ゾンビ化した住人にしてくれたら、完璧に「バイオ2」に鉄槌を下していたのに…。(99.6.21)

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Vol.26
顔面之事(99.3.7)
春日武彦さんの向こうを張って?ひるますの「顔面考」として「似顔絵コーナー」をはじめました。
といっても、「オムレット」のために何人か似てない似顔を描いていたのだが、都合により載せてないのが残ってるので、それを再利用しようって魂胆の企画です。いちおう着色して、コメントをのせようと思ってます。
というわけで、第一回はヴィトゲンシュタインです。それにしても似てないが、ヨロシク。

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Vol.26
ナンカイ之事(99.3.8)
「オムレット」の感想で、いちばん多いのは、いうまでもなく「むずかしかった」というものだけど、ネガティブな意味でむずかしい、ワケ分からんというのではなくて、けっきょくは考えてる対象、伝えようとしている内容そのものの、フクザツ怪奇さ、とらえどころのなさから来るものだということをわかった上で、そういって下さる方が多いのは、非常にうれしいことです。
たしかに簡単にはいかない。それは確かなんだけど、私としては基本的に誰にでもわかる言葉と、考え方だけを使って、「いわくいいがたいこと」をある程度、メイカクにできたと思ってるわけです。それに比べると世のナンカイ哲学本は、基本的に「いわくいいがたい」言葉と考えを使って「いわくいいがたい」ことを表現し、結局はナニもメイカクにしないままだったりするわけですから、オムレットのほうがよっぽどカンタンだったりするわけです。でもだからといって、当の問題そのものがカンタンになるわけではないってことでしょう。
「むずかしかった…」っていうのは、でも「わかった」ってことだし、「わかるってことはアタマを肉体のように使って、ある意味で苦労してわかる」ってことなんだってことが、共有できたってことでもあるから、僕にとっては「うれしい」ことなわけです。僕だって、これを「考え出す」のは「むずかしかった」し、苦労したわけですから。

なーんて書いてたら、ある方より「(オムレットには)あたり前のことが書いてある」という感想をいただいた。実ハ、私はこれを待っていた。この「あたり前のこと」だという感想が、実ハいちばんうれしい、というか、言って欲しかったことなのだ。つまり「心とは何か」といういわくいいがたい問題は、というかもんだいはなんであれ、メイカクにできたときには、突拍子もない超常識的なカタチではなくて、きわめてふつうのこととして納得できるカタチになるはずだからだ。あるいは非常に斬新なことであっても、「言われてみれば当たり前」という納得ができるものなハズだ。したがって、「当たり前のことが書いてある」と言われたということは、その境地に近づきつつあるってことだからねー、だからうれしいわけである。
ちなみに栗本慎一郎が、坂口安吾論の中で、もしも安吾がじぶんの経済人類学を知ったなら、これを正しいというか、あるいは「きわめて当たり前のこと」としてうち捨てるだろう、というようなことを言っていた。別にうち捨てられたいわけじゃないけど(当たり前だ)、チヤホヤと認められたいのではなくて、「当たり前だ」と認められたいってことである。ま、小説やストーリーマンガが「当たり前」ではしょうがないだろうが、何ごとかをメイカクにしようとするものは、「当たり前」を目指すのだ、ということだろうか。

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