ひるます28号

contents
Vol.28 ワシも伊丹堂で考えた号(99.4.26-5.21)

■グレート三題噺(99.4.26)
■バーチャル伊丹堂を開設(99.5.7)
■中島義道「哲学の道場」(99.5.11)
■哲学の謎(99.5.17)
■世界のナカタ…中田秀夫監督(99.5.18)
■「怒り」の構造(99.5.19)
■幻想のトキ(99.5.21)
■あとがき―リンク関係の話題から(99.5.22)

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Vol.28
グレート三題噺(99.4.26)

私と雑誌「グレートアンバランス」(G・U)を共同発行している(っていうか、ほとんど休刊状態ですが)鈴木さんのHP「G・Uアベニュー」が引っ越しました。アドレスはこちら http://www1.webnik.ne.jp/~g-u/index.htmlになります。
いろいろと新企画も始まるらしいので、よろしくお願いします。

ちなみに雑誌「グレートアンバランス」のバックナンバー紹介ページははあいかわらずこのベッコアメサイトの中に残ります。

と、書いたところで、去年アルバム「グレートローカルヒーロー」を出したバンドJUICE & LOVEの関野さんから、HPの案内がとどきました。
まず、JUICE & LOVEのインディーズレーベルDYNAMITE RECORDSのオフィシャルサイト「DYNAMITE RECORDS ON THE WEB」がここ。
関野さん個人のHPは、その名も「GREAT LOCAL HERO」で、こちらになります。
ウチのサイトの下村誠プロデュース作品でも彼らのファーストアルバム「グレートローカルヒーロー」を紹介してますので、まだ彼らをご存じない方はこちらからご覧下さい。まだ知らない人が多いだろうが、すっごいイイバンドですよ〜。エッチでコミカルで、しかも深い。オレの知ってる数少ない音楽知識で「たとえ」を探せば、トーキングヘッズかな(中後期の)? 強烈にイイ「センス」そのものを聞かされてる気持ち良さっていうか。関野さんのHPの日記を見たら、セカンドアルバムも予定には入ってるようなので、期待してます。

(ぜんぜん関係ないけど、映画「ローカルヒーロー」もよかった。この「ひるます」はもともとコピー雑誌「月刊ひるます」だったのだけど、その記念すべき第1号でこの「ローカルヒーロー」の映画評を書いたのだった。懐古回顧)

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Vol.28
バーチャル伊丹堂(99.5.7)

仮オープンですが、「バーチャル伊丹堂」を開設しました。
いうのもくどいですが、マンガ「オムレット」の世界をウェブ上に移して、いろいろと話しましょう、というものです。掲示板でもチャットでもないので、わたし宛メールで話したいキャラ宛にお送り下さい。その後、キャラの返事とともにウェブ上に掲載します。このマンガは「こころ」とか「世の中」について考える、というものですが、ここではテーマはなんでもアリということにしております。詳しくは「バーチャル伊丹堂」入り口からお入り下さい。
マンガのキャラが答える形になるので、自分もキャラで登場したい!という方は、画像データを添付して送って下さい(2センチ四方ていど)。
なんかポスペみたいになってきたなぁ〜。ではよろしく。

追加:4コマが古くなったので、レイアウト変えて消しちゃいました。なんか評判よくなかったようだし…。そのうちまたやります(懲りない奴なので)。

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Vol.28
中島義道「哲学の道場」(99.5.11)

前に中島さんが「哲学は病気だ」といってるのを取り上げて、「二流の言い方」とついつい口をすべらしてしまったが、この本を読めば中島さんのどこが二流なんだよっと自分に怒ってしまう。哲学的に(よーするにシャレでなくて、とことん)考えるってのはどういうことなのか?ということの「精髄」のようなものがここにある。これにつきあうことで、ちっとはその爪の垢をいただくことができるわけだ。

それにしても、そんなにまで考えることの結晶がここにあるのに、それを「病気」などと言わなくてはならなかったのか、ということがハラが立つ(中島氏に)。まるでワシが人をけなして喜んでいるようになってしまうではないか。よーするに韜晦である。それをまに受けた私がバカなのだ。

ここでは哲学的に考えることができるセンス、というものを、そのセンスというモノがそもそもない人たちに伝えるというネチっこい努力があるが、私としては、「ああ大変なことで…」と思いつつ、もうバカバカしいくらいにビンビンと分かる、ということを感じていた。ようするに私は哲学的センスはあるのだ。

しかし私は「哲学者」にはなれない。哲学的に考えるという努力を続ける根性がないのだ。そういう人がいてもいいのだろう。哲学的センスはあるが、哲学者にはなれず、その中間くらいにいる人。哲学的なセンスがぜんぜんないのに、何か哲学的に語った気になっている、というのよりはなんぼかいいだろう。

私にとっては中島さんのような「哲学者」が一方でキチンといるということはなんか、ほっとするものがある。哲学的センスがありながら、哲学者にはならず(中島さんがこの本でいうように、哲学者となって生活するには、多大な資金とまわりの人々の迷惑というモノが必要ななるだろうから、なれない、と言った方がいいのだろうが)、しかしこの現実において徹底して考えることはやめない、そういう道をワシは「テツガク」と前に書いたが、もちろんそんな名付けはどうでもよいのだ。ここで言いたいのは、そういうふうに「哲学者」にはなれない人でも、この「哲学の道場」は、ものすご〜く役に立つってこと。中島さんが、自分で「役に立たない」とか「病気だ」って言ったって、書かれたものや発せられた言葉はすでに中島さんのものではないんだから、しょうがないでしょう。そういう気持ちのいい本であった。

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Vol.28
哲学の謎(99.5.17)

野矢茂樹氏の「哲学の謎」と「無限論の教室」(いずれも講談社現代新書)を読んだのだ。最近、哲学づいてるみたいだが、また哲学本だ。野矢氏はいま「哲学航海日誌」という分厚い本が店頭に並んでるのだが、金がないのでこっちでガマンする。それにしてもこの2冊はどっちも面白すぎる。

ただし、先の中島さんの「哲学の道場」を読んでなかったら、なーんでこんな役にも立たないことをチンタラ考えなくてはならないのか?というキモチが頭をもたげてきて、あまり入り込めなくなったのではないかと思える。そーいう意味では中島さんにも感謝している。というよりも、はっきり言って私自身が「哲学病」にかかっちゃったのでは?と思うくらいです。気をつけねば…。しかし前の項(中島さんの「哲学の道場」について)でも書いたけど、哲学には修行が必要であって、単に病にかかっただけでは、そもそもそっちへ行くことはできないのだから、まあだいじょうぶでしょう。私は辛抱弱いのだ。

というわけで、野矢さんの本だが、「無限論〜」の方は、タイトルどおり哲学というよりは数学に近い(私は図書館で借りたが、この図書館ではしっかりと「数学」のコーナーにあった)。しかしだんだんそれが「哲学」そのものであることが分かってきて、そのダイゴミが面白い。はっきり言って数学的な議論はまったくわからない点も多かったが、この先生(ダジマ先生)自体が面白い上に、生徒(ぼくとタカムラさん)の突っ込みのテンポがよく、ぐいぐい引き込まれてしまう。なにかが「わかる」ときに、「ちょっと時間をおく」ということをして、それこそ読書の中に講義の「時間」がさしこまれ、それがどくとくの「わかるという経験」をつくりだしていく。ラストはこの授業(の学期)が終わる、という感動的なシーンまで用意されていて、はっきり言って私は泣いてしまった(涙もろすぎ、「哲学」には向きませんな)。

「哲学の謎」の方は、名前のない哲学者(哲学青年?)二人による対話がえんえん続くというスタイルで、誰がどー言ったとかいう「哲学史」的なハナシはいっさいなしで、とことん「その場」で考えていく、というカタチをとっている。この本でもやはり「わかる」ための時間がはさみこまれている。いちおう入門的な本なのだろうから、ひととおり「哲学」をかじった人には「わかってることばっかり」って感じで物足りないのかもしれない(私にはそうではないが)。しかし特に後半の規範から、言語の意味、行為・意思・自由の問題を扱うところは「圧巻」という感じがする。とくにこれらの問題を「根元的な虚構の在り方」に持っていくところが、まさにそこだ!という感じで納得できた。

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Vol.28
世界のナカタ…(99.5.18)

神様、ナカタ様、といってもサッカーじゃない。
中田秀夫監督です、「リング」の監督の。「リング2」まだ見てません。

「女優霊」をやっと見たのだ。とにかく感服いたしました。まさに天才、神の使わしたお方です。最後の方は、「リング」の方が怖かったけど…、とっさに頭の中で編集して完璧版「女優霊」を思い描いてしまいました。ある意味では映画「リング」って「女優霊」のリメイクでもあるのだなってとこでしょうか。

ついでに中田監督のビデオ作品「呪死霊」も借りて見たのだ。これは「本当にあった怖い話」もので、TVでいやというほど見てる系統の作品(もちろんそういうのも私は好きだが)、当然「いかに中田といえども…」という思いをいだきつつ、見たわけだが、これがまた凄い(マジで怖いんだよ)。

というか、これを見てこそ、私ははじめて中田さんを「神」と思った(このビデオのトップにまさに「GOD HANDS WORKS」というロゴが出てくるが、これで刷り込まれちゃったのかチラ)。映画であれくらいできる、というなら、ある意味で「個性的」であったりすれば可能なことなのかも、と納得してしまえる。実際映画「リング」の時はそれほどまでにナカタをたたえる、という感じにはならなかった(原作者鈴木光司氏へのフクザツな感情からして素直に映画の感動にはまっていなかったともいえるが――関係ないけど、鈴木光司さん、長者番付オメデトウ)。しかし「女優霊」で、ナカタの凄さを身にしみた上で、このビデオ作品を見ると、まさに彼はホンモノだ、ということを念押されるという感じなのだ。ビデオというもう身も蓋もない媒体を使いつつ、それでも中田的世界を現出させるのだから、凄いということだ。

ビデオでも…ということは、ようするに中田の凄さって、演出力だってことだけどね。あらためてそんなことを言っても、すでに大概の人は中田は演出がすごいと思っていたかもしれない。実際、「女優霊」の劇中映画って、それ自体で凄い作品になりそうな完成度(密度のこさというか?)を感じるでしょ。ただ、演出力が凄いっていっても、それに先立つイメージが出来てるからこそ、それに向けての演出もできるわけで、結局の所、中田の凄さはこのヴィジョンの凄さにある。ようするに「陳腐でない」ってことだ。たしかに「いかにも幽霊」というセンは、はずしてないんだけど、そのヴィジョンは強烈な「違和感」をかき立てるのね。違和感を感じつつ、それは「こんなことありえない」とかいうカタチで、映画の文脈から冷めて遠ざからせるたぐいの違和感ではない。むしろ映画的文脈に引きずり込んでいく違和感、リアルな違和感、とでもいうか。ホントに「霊」を見たとしたら、たぶん単に怖いというよりも、こういう違和感が先にわき起こるのではないか?というような感覚、といったら少しは伝わるだろうか。こういう感覚をもたらす映画はちょっと他に記憶がないのだが…。

ともかく中田監督は、まさに世界に誇れる世界のナカタなのだ。そーいえば中田監督って今、普通の映画とってるらしいけど、ホラーはとり続けてくださいよ〜。

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Vol.28
「怒り」の構造(99.5.19)

村瀬学さんの「「怒り」の構造」(宝島社)を読んだのだ。別に怒った気分を鎮めようとこの本を手にとったわけじゃーありませんけど…。

村瀬さんはここで何度も名前を出してるけど、話題の?「13歳論」の著者であり、私がさして興味もなかった「なぜ人を殺してはいけないのか問題」に首を突っ込むきっかけを作ってくれた人でもあります。その後「13歳論」も実は読んだのだけど、タイミングが合わず、感想を書き込んでいなかった。村瀬さんの本はどっちも、社会とは?とか近代とは?とかいう大上段から行くのではなくて、こういう「怒り」とか「13歳」とか「ことわざ」とかの、ごくごく身近なところから、考えを深めていって結果的に、すべてが繋がっていくような大きな地点に引っ張っていくという展開が魅力だ。「13歳論」なんか特にそうだけど、13という数への異常なほどのこだわりで論を展開して行くんだけど、結論はたとえば俗流心理学のように「13歳だから○○」という型にハマったところには行かない。よくあるじゃない「三人兄弟だと真ん中は自分勝手になる」とか言う決めつけ型のハナシって(ん?どっかで聞いたような…)。

面白いのは、サブタイトル「この不本意を生きるかたち」にあるように、怒りということが成立するには、かならずその前提に「不本意」と感じるコトがある。つまり暗黙のカタチではあるが、「〜は、かくあるべき」という信念・倫理・道徳のようなものを、それぞれがあらかじめ持っているのだ、としているところだ。言われてみれば当たり前だが、そうであれば「怒り」はむしろ「倫理的なもの」という面を持っているということなわけで、こういう見方はあまり見たことがないような新鮮さを憶えた。

私の言い方で言えば、怒りにせよなんにせよ、感情はリアルをめぐって起きる、のだが、怒りとは、「〜は、かくあるべき」という信念的・道徳的なコトのリアリティをめぐって起きるのだ、と言えばより精緻になるだろうか。コトとしてのあり様をめぐってそれが起きている、ということは、先日の野矢さんの言葉で言えば、怒りは「根元的な虚構を巡って起きている」ということになる。

ふとそんなことを考えたのは、先日、竹田青嗣さんと西研さんの対談『哲学の味わい方』(現代書館、またまた、哲学ですが…)を読んでたら、最後のところで竹田さんが面白いことを言っていて、「自我とは何であるかというと、…自我というのは自分自身の中でルールが確立されているということです」というのね。このルールということで竹田さんは「いろいろなレベルがある」けど、「いちばん大きいもの」として「真・善・美」をあげてるのだ。これは一見古くさい道徳哲学に見えるかも知れないけど、事実としてこの「真・善・美」が、「ほんと――うそ」「いい――わるい」「美しい――みにくい」という基準として、しかも「身体化」されたものとして確立されている。そうあるべき(例えば「自立」の基準として)ではなくて、すでにそのように好むと好まざるとにかかわらず出来上がっている。だからこそ、誰に教えられなくても「怒ったり」できるわけだ。

竹田さんのいっている「善」のルールについて、深〜く考察したのが、結果的にはこの村瀬さんの「「怒り」の構造」ってことになるだろう。それにしてもこういうエッセンスだけを抜き出しても(オレには)面白いんだが、村瀬さんの本の面白さは、村瀬さんが文芸評論というジャンルにいることもあって、そこで引用されてくる「ブンガク作品(哲学的作品も含む)」の事例の豊かさだ。「13歳論」もそうだけど、そこで扱われている本は、読んだことがあるものでもないものでも、こんなにも自分の関心に身近なものだったのか、とあらためて驚かされるばかりだ。

とくにこの「怒り〜」の本では、アラン(哲学者)のいう「怒りの鎮め方」のハナシが役に立った(やっぱ怒りを鎮めようとしてたんじゃ…?)。ようするに怒りは硬直だから、それをやわらげる体操をすればいいってのだ。体操というのは、規則(ルール)にかなった身体の動きという意味で他者性を巻き込んでいて、それは「礼儀」に繋がっている。礼儀とは、自分の感情と共に対人関係の場をも和らげていく、身体レベルでの体操なのだっていうことなのだ(社交ダンスが典型的でしょう)。う〜ん、深い。オレもかくありたいね。怒りに燃えたら、ダンス、ダンス、ダンスと唱えようかしら。ってわけで、村瀬さんの本はメチャクチャ面白いので、オススメしておく次第です。

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Vol.28
幻想のトキ(99.5.21)

トキね…。中国産のトキ…。
中国産のトキでも日本で孵化すると、「日本のトキ」になるとでもいうんだろうか。そこの風土に適応しちゃったりして。
日本はガラパゴス島なのか?

なくしてしまったものを求めるキモチは分かる。トキ保護センターのおやっさんのあのうれしそうな顔。この人はそれによって癒されるなら、癒されてもいいような気もする。しかしこんなニュース、ほかの人にとってはたいして意味ないんじゃないの?もうそれは単なる1動物の誕生でしかないんだから。路地裏で猫の子5匹生まれたってのと一緒じゃん。

逆にいえば、あくまでもトキは生き続けているのだ、と思いこみたいという願望、それはトキが普通の動物ではないのだ、と思いこみたい願望と等しいってことだ。それは単にトキが希少動物だというだけのことではない。この前ナントカ新聞で、トキのような有名なものは希少動物の氷山の一角だ!と声を大にしていた動物保護関係の方がいたけど、そこからしてもトキが注目されるのは、決して希少動物だから、だけではない。

思い出すのは、小学生のみぎりに見た「公共広告機構」のTVスポットだ。トキが沼地らしきところで、ドジョウかなにかを採って食っているシーンで(当時は放し飼いだったんですねぇ)、そこに小学生の作文がナレーションで重なるってやつなのだ(あー、歳がバレバレ…って、プロフィールに書いてるから同じか)。

「ボクは、がっこうの じゅぎょうで
 トキが ニッポニア・ニッポンという がくめい
 だということを ならいました。
 いままでは なんでもなく おもっていましたが
 これからは トキを たいせつにして いかなくては
 いけないなあと おもいました。」

うろ覚えだが、この太字にした「いけないなぁ」というのは、今でもイントネーションから声質にいたるまでハッキリ憶えている(なんか方言みたいなイントネーションだった。佐渡の小学生だったんだろうか)。…なことはどーでもいいが、よーするにトキってのは日本の象徴であり、その色合いからして「国旗(日の丸)」のメタファーなのである。つまりは、天皇制ってことですか。

ま、それは普通の結論でなんつーこともないんだが、マスコミは「トキが孵化した、ばんざい、よかった」じゃなくてさー、もうちょっと「トキ保護センター」ってなんなのよってことを問うべきじゃないですか。
誰も言わないけど、このトキ孵化成功のニュースって、これでクローン技術によって「日本のトキ」を復活させる準備が出来たってことなんじゃないの?本音としては。そこんとこ、言うべきことはちゃんと言って欲しいよな。

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Vol.28
あとがき―リンク関係の話題から(99.5.22)

Vol.28はここで打ち止め(次回よりVol.29に入りま〜す)というわけで、ここで告知を。

シンクロニシティ(偶然の一致)ネタが好きで、このページの日記でもなんどか書いてるし、シンクロニシティ・ウオッチングというシンクロニシティ収集ページにも投稿してますが、今回はこれまたお世話になってる 未確認飛行ニュース! (メールマガジン)の第39号編集後記で、オレの(というか、オレからこのメルマガ編集長のタオさんへと連鎖する)シンクロニシティが掲載されてます。
ご興味のある方は、このHPでメルマガを申し込み下さい(HPでバックナンバーも見れますけど、ホント、面白いんで)。

それと、昨日の「幻想のトキ」の記事ですけど、 于論茶 のページ の掲示板でその于論茶さんが、紹介してくださってます。うれしー。
于論茶さんのページにはマスコミ論、社会論、…というより何というか「モノを考える上で、スゴク大事なこと」を提起するような、スルドイ記事がありますので、ぜひご覧下さい。

于論茶さんは、森岡正博さんの「生命学ホームページ」のリンクから見に来て下さったそうですが、この森岡さんのリンク集でも「オムレット」を御紹介していただいてました。ありがたいことです。

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