ひるます航海日誌 1997(前期) INDEX

書評など、「月刊ひるます」に再編集して掲載したものは、オンラインマガジンにジャンプしますのでご注意下さい。

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97年後期(6月以降)の航海日誌はここ

97.6.30 冗談としての現実(ジョーダン・リアリティ)
97.6.28 大山鳴動・・・終わりの始まりか?
97.6.26 ペーパーメディア版「月刊ひるます」など
97.6.25 ロスト・ハイウェイ
97.6.24 岩手のうまい店
97.6.22 さらば勝新
97.6.21 秘密の「友人」?
97.6.20 達人・中井久夫
97.6.19 クーロンズゲートをふりかえる
97.6.18 サカキバラと宮崎?
97.6.17 帰還の挨拶
97.6.13 車中の人
97.6.12 逆襲のクーロンズ・ゲート
97.6.11 クーロンズ・ゲート攻略本
97.6.10 クーロンズ・ゲート中盤戦
97.6.9 「多重人格」説のその後
97.6.8 下村誠情報さらに追加
97.6.7 透明な存在?(多重人格について再び)
97.6.6 岩手に行くぞ
97.6.5 ミステリー映画祭の情報
97.6.3 下村誠情報
97.5.30 アジアの下心
97.5.29 例の事件について
97.5.26 クーロンズ・ゲートはじめる
97.5.25 世間とは・・
97.5.23 消えたマンガ家
97.5.21 遅ればせながら、平気でうそを・・
97.5.19 思想のダイナミズム
97.5.15 トーマス
97.5.13 責任ってなんだ?
97.5.12 その後の「日本国の研究」
97.5.11 3Dの話題・テレビの話題(吉本隆明最後のすがた)
97.5.10 3Dワールド
97.5.9 井沢元彦・養老孟司・クイックジャパン
97.5.8 イエモンの奇跡
97.5.7 無能な評論家たち
97.5.6 リンクが充実してきたぞ
97.5.5 3Dアート第2弾
97.5.2 猪瀬直樹の「日本国の研究」を研究する
97.5.1 梶田イフが来る
97.4.30 3Dアートができた
97.4.23 ペルー事件の解決
97.4.22 宮崎と多重人格について
97.4.19 長谷川集平さんの易占いのお知らせ
97.4.16 ワイルドティアーズ、ライブ情報
97.4.10 3Dに、はまる
97.4.7 猪瀬直樹
97.4.1 遅ればせながら・・
97.3.23 ひょうこま情報を更新
97.3.19 易の休止について
97.3.15 クロックタワー2(移動)
97.3.7 ひょうたんから高麗(こま)最新情報
97.3.6 中井久夫最終講義おこなわれる
97.2.28 ワイルドティアーズ最新ライブ情報
97.2.24 G・Uについてのお知らせ
97.2.23 Dの食卓(移動)
97.2.22 鶴見俊輔・池澤夏樹の対談(移動)
97.2.19 バイオハザードをクリア(移動)
97.2.18 瀧野隆浩「宮崎勤 精神鑑定書」(移動)
97.2.9 個人的な知(移動)
97.2.6 「シトリン」の新しい写真
97.2.5 岸田秀「官僚病の起源」(移動)
97.2.4 ワイルドティアーズのセカンドアルバム情報
97.2.1 ついに「月刊ひるます」が開始?
97.1.31 八卦の解説
97.1.19 Tシャツのお知らせ
97.1.7 マンガの新作・旧作

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96年の航海日誌(全)はここ

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97.6.30
容疑者逮捕以後、さまざまな情報が流されている(容疑者逮捕の感想の所で書いたように、おおむね予想通りの議論という感じだった)が、そんな中で私がいちばんおどろいたのは、例の「卒業文集」での村山さんのことだ。
こんなところで「村山さん」に再会するとは思いもしなかった。奇しくも、今日はちょうど村山内閣が成立した記念日なのである(94.6.30)。なんでそんなことを憶えているかというと、オレの誕生日でもあるからだ。「(こんな日に)いやだなぁ」と思って、ある会社のロビーで、閣僚たちの就任挨拶のテレビ中継を見ていたのだ。
さて、これがなんでことさらに「記念日」か?というと、日本において「現実というもの」がこの日を境にして、すべて「冗談」になってしまった日だからだ。くわしくは、「月刊ひるます」内の記事をご覧下さい。
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97.6.28
容疑者逮捕の知らせは、メシを食いながら見ていた「グルメ旅行番組」の中での「速報」で知った。あまりに突然のことの上に、容疑者が承知の通り「中学生」というのは、意外と一口にいえばそれまでだが、とにかくおどろいた。
ともかくも、今はなにもまだ「分からない」状態であり、いろいろと疑問もあるが、私もここでいろいろとコメントしてきたという経緯もあるので、ひとことだけ言っておこう(ちょうど関連記事を別ファィルに移動したところだったので、そちらへ)。
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97.6.26
きのうの項で、ネタバレ専門ページをつくり、そこにずっと以前に書いた「ツインピークス」の批評を掲載したことを報告したが、その批評は、当時私がコピー印刷で50部から100部くらいつくって友人・知り合いに無料で配布していた「月刊ひるます」に掲載したものだった。いま、「月刊ひるます」のコーナーにいちいち「オンライン」と冠をつけているのは、このペーパーメディア版と区別するためである。
このペーパーメディア版の一部(「易の研究」や「夢の研究」)は、すでにこのオンラインでも掲載してたが、今回探してみたら、まだ他にも電子ファイルとして残っているものがあったので、ついでに掲載してみることにした。とりあえず「パリ・テキサス再見」を掲載した。しかし本当におもしろかった時期のものは、電子ファイルにはなっていない。ほとんどをシャープの最初期のパーソナルワープロ(10文字しか表示できなかった。以前に思考の道具としての手帖について書いた時にふれたことがある)で、作成したためで、これはフロッピーもついていなくて、カセットテープに録音していたのである。
というわけで、いずれ、このペーパーメディア版もすべて電子化しておきたいものではある。

なお、今月は書きすぎて「航海日誌」の分量がふえ、非常にレスポンスが悪くなっているので、神戸事件部分を切り離して別ファイルとした。くわしくは「月刊ひるます」をご覧下さい。
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97.6.25
デビッド・リンチの「ロスト・ハイウェイ」を見た。オレにとっては、「ツインピークス」映画版以来の因縁の対決だ!とばかりにのぞんだのだが、これがなんと「傑作」であった。
「傑作」といっても、括弧付きの傑作で、説明が必要だが、それを言うには、ストーリーを説明しなくてはならず、この「ミステリー」じたての映画のネタバレをしてしまうことになってしまう。しょうがないので、ネタバレ専門ページとして「でぃーぷ・ひるます」をつくった。このページは、すでにその作品を観た方、ネタバレ覚悟でも読みたいという殊勝な方、それぞれ自己責任においてごらん下さい。ただでさえ、コンテンツが錯綜するこの「ヒルマス・ホームページ」が、さらに錯綜してしまいそうだが、しょうがない。
ちなみに「因縁」のもとになった「ツインピークス」映画版について、5年ほど前に書いたやはりネタバレ評論があるので、せっかくの機会なのでこの「でぃーぷ・ひるます」に掲載した。あわせてご覧いただきたい(もちろん「ツインピークス」をすでに観た人にかぎる)。
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97.6.24
報告し忘れていたが、岩手でうまい蕎麦屋を見つけたので、お知らせしておく(月刊ひるます内にあります)。
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97.6.22
「さらば勝新」は、ここ(月刊「ひるます」内)。「青春」とは何か、ということもあわせ書いておいたので、ご覧下さい。月刊ひるますのインデックスはここ。
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97.6.21
しつこくも例の事件についてだ。なお、先日の大塚英志氏への批判は急いで書いたので、はしょってしまっていたので、新たに若干補足しましたので、ご覧下さい。

「多重人格」説とミステリー「秘密の友人」の「一致」については、月刊ひるますに移動しましたのでごらんください。
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97.6.20
別冊宝島の「学問の鉄人 大学教授ランキング」というのが出ているが、臨床心理学の部で、中井久夫氏が「達人」として取り上げられている。この本では、現在最前線で活躍している人を(若手を中心に)「鉄人」、大御所を「達人」としてピックアップしているのだ(書名のようにかならずしも「ランキング」をしているわけではない)。
私のページに「広英社ホームページ」を併設しているように、私は中井教授をミーハー的に取り上げているわけだが、というのも、中井教授はその業績に比して(一般人に対する)知名度が低すぎるからである。そんなわけで、こんな「達人」などという小さな取り上げ方でも、注目されることはうれしいと思う。ちなみに以前、精神科医の斎藤環氏を紹介したが、そもそも彼に注目したのは、斎藤氏が「アエラ増刊」の「精神医学がわかる」という本の中で、精神医学の本を紹介するコーナーを担当し、中井久夫をとりあげ「ルネッサンス的天才」と評したのを見たときが最初なのである。ちなみに斎藤氏が自らのホームページに掲載している文章の中にも中井久夫についてふれたものがあり(「箴言知の基体としての精神病理学」)、これも非常に面白いので、ぜひジャンプしてごらんいただきたい。
中井先生といえば、神戸、神戸といえば、例の事件ということで、神戸方面はいまたいへんだろうが、頑張っていただきたいものである。

ちなみに岩手に帰ったとき、古い本棚から浅田彰の「構造と力」を見つけて引っぱり出してみた。当時(82年頃)こういう文体がめずらしく「いったいどこでこういう文体を見つけたのだろう」などと思っていたのだが、いま改めて読んで見たら「この元は中井久夫だ!」と直感的に思ってしまった。中井久夫の「西欧精神医学背景史」(「分裂病と人類」所収)の文体に似ているのだ。と、私は思うのだが、どうだろうか。どちらもひとつの「精神のようなもの」を主人公とするストーリーのようにして書いており(そういう意味では元のおおもとは、ヘーゲルなのだろうが)、それでいてヘーゲルのようにその「精神のようなもの」を実体化できないところにいる、という自覚(断念)の上で作られた文体、というか。

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97.6.19
ついにクーロンズ・ゲートも終了した。
感想はこちら。なお、「クーロンズ・ゲート」とは何だったのか、というより深い考察については、いずれ書きたいと思ってます。
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97.6.18
「SPA!」6/25号で、ネット上でサカキバラがどう取り上げられているか、という記事がのっていた。私は他の人のページやニフティなど今回はあまり見ていないのだが、この記事によると、マスコミの記者などが、ネットで情報提供を呼びかけるなど、どっちがマスコミかわからないと言うことが書いてあり、おもしろい。こういう「逆転」は当然おこりうることだと思っていた。大新聞の記事のほうが「こじつけ満載の推理」をしていて、ネットでの分析が冷静だという指摘もあったが、こういう「逆転」(それを「逆転」と見ること自体じつは失礼なのだが)が起こるだろうということは、常々指摘してきたとおりである(月刊ひるます参照)。なんであっけなくもこういう「逆転」がおこるかと言えば、ネットは金儲けのためにやってるわけではないから、ということになるだろう。
また先日の項で「罪と罰」についてふれたが、「罪と罰」については、ピープルネット上でも話題になったそうで、私はそこにはアクセスできないので、ご存じの方がいらっしゃれば、くわしく教えていただきたいものである。

大塚英志氏への批判については月刊ひるますに移動しましたのでごらんください。
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97.6.17
岩手に行って来たのだが、モデムを持っていかなかったので、ずいぶんと更新が空いてしまった。もっとも「遊びに行ったわけではない」ので、モデムを持っていったとしてもほとんど何も書けなかっただろうが。
まえまえから書いているミステリー映画祭だが、ローカルニュースによると、かなり盛況のうちに終了したということで、よかった。これからも毎年続いていくイベントになっていくようである。
ところで中心メンバーのひとりであるミステリー作家高橋克彦氏だが、いぜん、ワイドショーで神戸の事件にコメントしていた。これについては月刊ひるますに移動しましたのでごらんください。

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97.6.13
以前「岩手に行くぞ」と書いたとおり、いま、岩手に向かっている。その新幹線の車中の人となっているのだ。
それにしても、揺れがひどい。ふだんあまり「揺れ」など気にしていないのだが(とくに新幹線では揺れが少ない感じがする)こうしてパソコンを使ってみると、とんでもなく揺れていることを思い知らされる(しかし文句をいう以前の問題として、新幹線ではパソコンを使っていいのだったろうか)。
ずうっと以前、僕は岩手と新潟の間を急行電車で、よく行ったり来たりしていた。当時新幹線がなかったので、その「急行」でも10時間もかかったのだ。その長い車中の時間を、僕はだいたい読書をしてすごしたのだが、これがやはり「揺れ」のせいで、非常に眼球が疲れまくり、一度だけだが、2、3日、目が開かなくなったことがある。学校の、よくは知らない「先輩」が、自己流の「針治療」をしてくれて、だいぶ楽になったのをおぼえている。その時車中で読んでいたのが、忘れもしない、ドストエフスキーの「罪と罰」だった。
「罪と罰」・・そんなことを思い出したことに何か意味があるのかはわからないが、主人公ラスコリニコフの「超人思想」といえば、いまは妙に「神戸の事件の彼」と重なって思い出されてしまう。
事件と「罪と罰」の関連については月刊ひるますに移動しましたのでごらんください。
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97.6.12
しつこくもクーロンズ・ゲートの報告をしているが、前項で言った「どうしても進めないポイント」に見切りをつけて、かなり前にセーブしていたポイントにもどり、そこから「こつこつ」やりなおして、やっとクリアすることができた。「こつこつ」やり直すと言っても、例の攻略本を見ながら、よけいなイベントや会話をせずに、まっすぐにここまで来たのだった(こういうところで攻略本が役に立つとは思わなかった・・。ゲームになれた人にはひょっとして当たり前のことかもしれないのだが)。
というわけで、例の「進めないポイント」だが、このやり直しではすんなり何の問題もなくクリアできた。ようするに私の「セーブするタイミング」が悪かったのだとしか思えない。本来、その状態で「リフト」が動くはずなのに、その「リフト」を実際に動かす前にセーブポイントへ行ってセーブし、いったんゲームを終了して、またそのセーブポイントから始めると、どこをどうしようと、「リフト」は二度と動かない、ということらしい。
以上、本当にどうでもよいことで、すいませんが、私がいいたいのは、なぜ、その「進めないポイント」をあきらめたときに、まったくのゼロからではなく、中間のセーブポイントから始めることができたのか?ということだ。それは、このゲームにはハニー・レディという超エッチ系のキャラクターが登場するのだが、その登場シーンをいつでもリプレイできるように、セーブしていたからなのだった(ただし、キャラクターのコスチュームがエッチだというだけで、別にエッチシーンがあるというわけではないので、誤解なきよう)。何が幸いするかわからないとはこのことである。それにしてもこのハニー・レディというキャラクターはナビといって、ダンジョン(迷路)の中で、道順などのヒントをあれこれ教えてくれるだけなの役目しかないのだが、そんなことのためになんであんなエッチなカッコでサービスしてくれるのか、まったく分からない。そういう過剰な意味・無意味とりまぜたごった煮的装飾とサービスに、この作品はあふれていて、それが強烈な魅力となってはいるのだ。とにかく多くの人とこのよろこびを分かち合いたいものである。
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97.6.11
前項で、クーロンズ・ゲート中間報告をしたが、結局どうにもならず、「攻略本」を買ってしまった。この本(「コンプリート クーロンズ・ゲート」ソニー・マガジンズ刊)は、
 ・安い(いまどき千円台・・)
 ・グラフィックがきれい(オールカラー)
 ・インタビューが豊富(ポイントをつかんだインタビュー)
 ・攻略の解説はもちろん親切
などと良い点をあげつらい、(買ったことに対して)自分を納得させようとしているが、しかし、この本の攻略通りにやってみたが、どうやっても前に進めない。なにか特殊なメモリの書き間違いのような、トラップにでも入り込んでいるのか。まさかクーロンの「邪気」にやられたわけでもあるまいし。
この症状は「通路現る」というイベントで起きているのだが、心当たりのある方は、ぜひご教示いただきたい(なお、「攻略本」で、この時点が「中盤」ではなく、それを越えてすでに75パーセントまでクリアしているということが分かった)。
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97.6.10
クーロンズ・ゲート(プレイステーションのゲーム)の序盤の感想はすでに書いたが、中盤を過ぎたところでまったく進めなくなってしまった。あれこれ試してみるが、全然「道が開けず」、ただただ時間が浪費されていく。ただでさえ、このゲームは長く、普通にプレイするだけでもそうとうの時間がかかるのに、こんなことで時間を使っているのがもったいない。
やめりゃいいのだが、やめるにやめられない。一つのゲームの世界(または操作体系)に身体がなじんでいるのに、そこから離れてしまうと、戻るのにまた時間がかかってしまうのと、この「クーロン・・」の場合、全体が超大河ドラマになっているので、前段で示唆されていた伏線やアイテムなど、忘れてしまうのではないかという不安もある。ようするに「はめられて」しまっているのだ。
序盤の感想で予想したように、すでに風水バトルには飽き飽きしてきてしまったし、「地」の部分のドラマも(あまりに長すぎるせいもあって)だれてきてしまった。ようするに今やいいところがないのだが、それでもこのゲームが画期的に傑作なのはまちがいない。
ビジュアルのすごさ(私の3Dアートなどただただ恥ずかしいばかりだ)、とにかく独創的な「世界」の創造、新しいゲームシステムのアイデア、どれをとってもより多くの人々に、「こういう世界があったのか!」という感覚を味わっていただきたいと思う。
だいたい私はマックとプレイステーションがあれば、すべての人間は「退屈」という概念から解放される、と考える者である(「退屈」から解放されたからって何なんだ、ということはこのさい、おいといて)。
それにしても、この「クーロン・・」は長すぎる。だいたい、この世にあれだけのプレイステーション用ソフトが出回っていること自体、驚異だ。いったいどこに、それをやる時間があるのか。なにかゲームの面白さを残しつつ、時間も節約できるような、そういうムシのいい話はないのだろうか。
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97.6.9
透明な友人と「多重人格」説のその後については月刊ひるますに移動しましたのでごらんください。
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97.6.8
下村誠(ワイルドティアーズ)のライブ情報をさらに更新しました。かなりたくさんやりますので、ごらんください。(だいぶ先だが待望の下村誠ソロのライブもあるのだ)
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97.6.7
透明な友人と「多重人格」説については月刊ひるますに移動しましたのでごらんください。
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97.6.6
前の項で岩手の映画祭のことを書いていたら、本当に来週あたり岩手に行くことになった。これも何かのめぐりあわせか。
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97.6.5
来る6月12日(木)から15日(日)まで、(岩手県)盛岡市で「みちのく国際ミステリー映画祭」が開かれる。ミステリー名作映画の上映会のほか、阿刀田高氏、逢坂剛氏、大沢在昌氏、宮部みゆき氏などの座談会もあるという。というようなイベントを近々やるということは、岩手の知人から聞いていたのだが、今日、週刊文春を見ていたら、高橋克彦氏が告知していたので、くわしいことがわかったのだった。
しかし私がおどろいたのは、高橋氏が名作映画の上映という企画に対して「僕も、「逆吊り幽霊死棺破り」という作品を推薦させてもらいました」と書いていたことだ。しかもその「逆吊り幽霊死棺破り」が、「最近ビデオ化された」という。ビデオ化されていなければ、岩手まで駆けつけて観たいくらい、私はこの手のB級怪談映画にヨワイ。ホラーではなく、怪談というのがみそで、私の子どものころ(昭和40年代前期)はこんなのが異常に多かった。実際にそう多くは観ていないのだが、近所の映画館にかかるたびに、数十枚のスチール写真がウィンドーの中に掲示されていて、それを飽きもせずに眺めていろいろとストーリーを想像して楽しんでいたものだった。高橋氏は「僕のトラウマとなったとも言える映画」と言っているが、私の場合、実際に観れなかった多くのスチールがトラウマになっているようだ(見損なったことに「取り返し」をつけようという心理)。
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97.6.3
下村誠(ワイルドティアーズ)のライブ情報を更新しましたので、ごらんください。
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97.5.30
アジア風のファッションがはやっている。
と、今朝のワイドショーで言っていたのだが、そう聞いて外をあるけば、たしかにいるいる。というわけでわたしにもこれについてはご意見がある。くわしくはこちらをごらんいただきたい。
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97.5.29
たしか28日の読売新聞だったが、ある殺人事件の判決で「無期懲役」が出て、検察が控訴した、という記事があった。なんでもくわしい法律関係はよく分からなかいが、このケースだと「死刑」と「無期」のボーダーラインにあるそうで、「無期」という判決は妥当性を欠いたものではないのだが、さいきん「死刑判決」を回避する傾向が強まっているため、検察はあえて控訴したのだ、ということだ。検察というところは役所にしてはきちんとした「意志」をもっているところだということでもあるが、これに関しては私はいいことだと思った。なんか「人を意図的に殺した」ということに対する重さがなくなっている気がしていたところだった。そこにこの事件だったのである。
しかし、こういうことを言う以上は、はっきりさせておきたいが、「死刑」とはなにも「おかみが裁いてくださる」ことではなく、原則的にはわれわれ(国民の意)ひとりひとりの行為の「代理執行」なのだ、ということだ。それを明確にしないかぎり、公共性とか倫理とかは根拠づけられないのではないだろうか。
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97.5.26
またまた遅ればせな話題だが、クーロンズ・ゲート(プレイステーションのゲーム)をはじめた。まだ序盤の序盤なのだが、感想を書いておいたのでご覧下さい
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97.5.25
きのう阿部謹也氏の「「教養」とは何か」(講談社現代新書)を読んで「世間」と「公共性」の問題を考えた。くわしくは月刊ひるますをご覧下さい。
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97.5.23
「インター・オタク・ネット」(ダイヤモンド社)という本に、わがヒルマス・ホームページが掲載されている。ぜひ買って読もう。
私と「おたく」は関係ないんじゃないか、と思っていたのだが、なんと「マンガ」のコーナーに掲載されているので、うれしくなってしまった。自分でも「マンガを描いている」ということを忘れがちな日々である。これを機にマンガの方もテコ入れしたい。
考えてみれば私も「消えたマンガ家」のひとりではあるわけである(誰か捜しにきてくれないものか?)。私の旧作は自分で言うのも恥ずかしいが、かなり面白いのだ。ぜひごらんいただきたいのだが、ごらんのようにタイトルページをスキャンしただけのもの。いずれはちゃんとした「デジタルコミック」にしたいと思いつつ、さぼっている。
いずれにしても、新作旧作とりまぜて、今後、このサイトはマンガに力を入れていくことを誓います。

ところで、「消えたマンガ家」といえば、太田出版だが、マンガの復刻シリーズで水木しげるの「悪魔くん」が出ると先日お伝えしたが、これもすでに出ているようだ。ぜひ買って読もう。
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97.5.21
遅ればせながら、いまだに売れているらしい「平気でうそをつく人たち」について書いてみた。
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97.5.19
ひさびさに「思想のダイナミズム」にふれた。「思想のダイナミズム」とは何か、というと、要するに「根本的な問題に正面から取り組む思考」ということだ。これは私がつねづね言っている「自分の頭で考える」というのとは、またちょっと別なことだ。「自分の頭で考える」のは、すべての人がそうすべきだ!と私は言い切っているが、しかしすべての人が「根本的な問題に正面から取り組む」べきだ、とは言えない。哲学エッセイストの池田晶子によれば「哲学する」のは、どうしようもない「癖(へき)」なのであって、誰にでもススメられることではない、ということだが、まさに「根本的な問題に正面から取り組む」のは、そういう癖がそうさせるとしか言いようがないからだ。このようなスタンスは、多くの人が「とりあえずは分かったことにして」避けているものだ。あるいは根本的な問題に対する答えとしての大理論なんてものはもうないのだ、というような共同の諦念として。しかし答えは仮説にすぎない(それが「答え」である限り、ヴァーチャルなものであるに決まっている)という断念と、実際に思考のジャングルへ分け入っていく行動は矛盾するものではない。もしそうでなければ、人間はいまここで終わったっていいというくらいのものである。
で、紹介したいのは、精神科医の斎藤環氏だ。その精神病理学についての論文や、文化的な(おたく文化への)論評などには、そのような根本問題(ようするに人間とは何者なのかということ)への姿勢が感じられる。
斎藤氏はこれまでに発表した論文・評論をホームページに掲載しているので、興味のある方はごらんいただきたい(オンライン雑誌へのリンクに掲載)。スタジオボイス誌の「エヴァンゲリオン特集」で、精神病理学から見たエヴァについて書いていた方なので、興味がある人も多いかもしれない(このエヴァ論もホームページに掲載されています)。
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97.5.15
先日、クイックジャパンについて書いたが、そのなかで「きかんしゃトーマス」についての記事があった。フジテレビ朝の「ポンキッキーズ」でやってる人形アニメなのだが、あぶない感じがするとか、ドラッグムービーのようだとすごい評判なので、さっそく早く起きて見た(朝8時より放送)。期待以上の問題作。子どもの無邪気な悪意をおおらかに描いている。その悪意がそのまま「世界」になったような画風(画質)なので、なんとなく不気味に感じられるのだろう。しかし私はこういう評判がたってからはじめて見て、まだ二回見ただけなのだが、その二回がほとんど同じような内容だった。ということは、このトーマスたちは、私が見てなかったこの長い間、ほとんど同じようなドラマを延々と繰り返していたのだろうか。
さて、これを見てから仕事にいくため外へ出た。近所のオバサンふたりが、自転車に乗ったまま(自転車をつきあわせて)世間話をしていた。井戸端会議ならぬ、自転車会談だが、私はそれを見たとたん、強烈な既視感におそわれてしまった。トーマスたち機関車がレールの上でおしゃべりをしている姿にそっくりなのである。
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97.5.13
「青木大使問題」について書いた。「解任」だか「辞任」だか知らないが、その一報に接する前であったが、とくに修正すべき点はなにもない。ごらんいただきたい
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97.5.12
あまりの行政のひどさにあきれて猪瀬直樹の「日本国の研究」の研究を書きつけておいたが、その後の情報を追加した(記事の末尾をごらんいただきたい)。
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97.5.11
3Dについて前に書いたとき、必ずしもメモリはいらないのだ、などとゴーゴしたのだが、早くもその言葉があやしくなったきた。少し複雑なレベルに入りつつあるのだが、やたらメモリ不足で停止がおこるようになってしまったのだ。だいたいパワーブックで3Dやってる奴なんているのだろうか?(オレだ。そういえば以前、オレはカラークラシックでDTPをやる男でもあった。)
それとは別件なのだが、インターネットへのファイル転送もエラーが起きやすくなっている。シトリン画像などは下半分が切れてしまっているようだ。私の方が悪いのだろうか(いゃ、そんなはずはない)。

テレビの話題だが、「電波少年」で吉本隆明氏が、水槽に顔をつけて水中で笑うという企画をやっていた。それはいいのだが、ふだんの話ぶりなどがもう哀れなくらい「じじい」で、ガクッときてしまった。私は例の「宗教の最後のすがた」に関して、先日も芹沢俊介氏を引き合いにして、再度こきおろしていたのだったが、こんなよぼよぼのじいさんにかみついてもしょうがないな、という感じで力が抜けたのだった。

あと「はなまる男」薬丸くんの出ているアメリカンファミリー保険のCMだが、これはだいぶ前からやっていて、ずっと言いたいと思っていたことがある。このCM、薬丸たちがアメリカンファミリー保険の代表で、外人たちがそれにおののくという構図になっている。これは逆ではないか。つまり外資系の保険会社が入ってくることによって日本の保険会社が脅威にさらされているのが実態なのだから、おそれおののくのは日本人側というのが、ほんとなのでは。
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97.5.10
3Dソフトの「シェード」のページからうちの3Dページにリンクしていただいた。ありがとうございます。このページには3D作品を発表している人々へのリンクがあるので、ぜひご覧いただきたい。先日、テレビ東京の「TVチャンピオン」で立体イラストレーターチャンピオンというのをやっていた。これは3Dではなく、実在するオブジェの作品を対象にしていたが、3Dの興味から見ても非常にインスピレーションあふれるものだった。3Dは手作りよりもはるかに「自由度」が高いはずなのだから、もっと自由につくっていいのだ!(当たり前だが)という感じ。
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97.5.9
井沢元彦「逆説の日本史」について書いてみた。中で映画「ジャック・サマスビー」についてふれたのだが、偶然にも今日ワウワウで放送するらしい。ひさびさの偶然の一致だ(月刊ひるますへ)。

養老孟司の「臨床読書日記」を読みかけたのだが、手塚治虫のマンガ記号説についてのところが面白かった。大塚英志が、手塚治虫のマンガ記号説批判について書いている本への書評なのだ。マンガ記号説というのは、手塚が自分で「マンガは記号だ」ということを言ったのをさすが、そういうといかにも、後の劇画などにくらべて、手塚のマンガが「リアリティのない」「浅薄なもの」であるかの印象を与えるのではないだろうか。しかし手塚がいかに自分のマンガを記号だと言おうと、その言葉は彼自身の「表現」によって裏切られている。なぜなら、彼自身は子ども時代の自然体験や医学修行の中で「自然」や「身体」についての「実体験」を経験してきており、それをまさに「記号化」しているのだ。つまり彼は「記号を創出した」のであって、彼に続く後の世代のマンガ家たちが「すでに記号化されたシステム」の上にいるのとはまったく異なるという意味のことを養老孟司は書いていて、納得した。ようするに手塚は、記号化されたシステム(唯脳論で言えば脳化社会)を切り開いたというダイナミズムの中にいたのであって、単に記号化された世界にスタティックにとどまっていたわけではなかった、ということだろう。
しかしそれは大きな概念的な意味での「マンガという記号体系」というレベルでのことだ。手塚以降の作家についても、実際的・具体的な個々の創造という場面で見れば、彼らもまた「実体験」からの「記号化」という「創発的な行為」をしていることはまちがいない。手塚以降の作家がすべて、たんに「記号システム」の内部で創作していたのでないことはあきらかだ。そうでなかったら、私たちはそこになんら新しい「経験」を見いださないだろう。
こう考えると逆に、身体(自然)と記号化の「間」の問題として、創造という行為が定義されるというか、創造のなんたるかが「分かる」というものだ。そういう意味で養老孟司の考え方はいつも「役に立つ」のだ。

雑誌「クイックジャパン」だが、まだ映画版エヴァンゲリオンを見ていないので、読めない部分が多すぎる(ウェブでも読みにいけないところが多いのだ)。今号では「元オウムアニメーター」へのインタビューがのっており、面白い。ほんとこの雑誌はやってくれる。カルトマンガの単行本がついにシリーズ化されるとのこと(例の徳南晴一郎「復刻版・怪談 人間時計」に続くシリーズ)で、狂喜、と言いたいところだが、第一弾が水木しげるの「悪魔くん」(貸本マンガ時代のもの。後にテレビ化された時に発表された「百目の子」や「メフィスト」などが出てくる妖怪マンガとは別物)ということでがっかり。もう持ってるよ。それにこれは独占しておきたいという気持ちが強く、あまり多くの人に読んでいただきたくないのだ。ここにははじめて書くが、私は水木フリークであったのだ。
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97.5.8
イエモンのライヴ(横浜アリーナ)をワウワウで中継していたのだが、終わったとたんに大雨になり、電波がぶっつりと切れてしまった。なんというタイミングだ、と思ったのだが、考えてみるといまどき雨がふったからって、ぶっつり切れる衛星放送なんてあるのだろうか。ひょっとしてウチだけか?。
なお柏木ハルコのマンガの感想を書いたのでごらんください(月刊ひるますへ)。
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97.5.7
前の項でウェブの充実を誇ったが、それは世の評論家たちの無能ぶりがあまりにひどいと感じていたことが、背景にあったのだ。
いまだに忘れられないのは、宮崎判決の日の毎日新聞夕刊にのった芹沢俊介氏のコラムだ。五段ぶちぬきで大々的に面をとりながら、まったく何も言っていないに等しいものだった。睡魔と闘いつつ宮崎の公判を傍聴しつづけ、しかし何もメモすることがなくて、取材ノートも全然うまらなかったなど、どうでもいいことを書いた上、「宮崎の魂は不在だ」などと個人的な文学的思いを書いて終わっているのだ。宮崎の魂が不在なのでなく、自分の魂(脳)こそ不在なのではないか
それだけの労力と時間と経費をつかいながら、なんら「問題」を提起できないような評論家の文章にいったいなんの価値があるのか。しかも後日の文化欄的コラムでなく、当日の、つまり新聞としてはもっとも早い報道としての社会面にこんなものがのっているのはどういうことか。そもそも新聞の権威など信じてもいない私ではあるが、それと新聞自体が「見識」をもっているかどうかはまた別の問題である。毎日新聞の編集部・整理部の見識というものがどこらへんのものか、ということは、これでよく分かったが。
この記事の内容については、ここに引用するわけにもいかないので、図書館にでも行ってバックナンバーをチェックしていただきたい。すでに宮崎については、マスコミが多重人格説にかたよった報道をしすぎていることを指摘しておいたが、この芹沢氏の場合、それ以前の問題、というか、まったく問題外の言論ではないか。
ところで芹沢氏といえば、私は以前吉本隆明「宗教の最終のすがた」について書いたのだが、この本は吉本氏ひとりの著書でなく、芹沢氏との共著(というか対談)なのだった。私の誤植である。この時点で私は吉本氏をかなりこきおろしており、芹沢氏はたんなる腰巾着ではないか、と思っていたので、このコラムはまさに「やっぱり」という感じだったのだ。吉本氏の腰巾着というのは言葉がひどすぎるかもしれないが、この本のように気が合う(意気投合!という感じ)というところからして、そういう人物は「社会性」とか「公共性」という感覚がまったく欠落している人だろうなと予測していたからだ。このコラムに欠如しているのは、まさにそういう社会的感覚だ。被害者・その遺族への感覚、法の裁きと精神障害との関連という視点、自分がその裁判にかかわってそれを世間に問うということのスタンスがもつべき「社会感覚」、そういうものがまったくないのだ。このコラムで彼は、やはり評論家の大塚英志氏とともに「弁護側証人」として出廷したということを、ちらっと書いているのだが、そのことがどういう意図によるものかもここにはいっさい書かれていないのだ。
そうこうしているうちに、別冊宝島の「こころの傷の処方箋」というのが出て、これにも芹沢氏があきれた文章を書いているのだ。この別冊宝島そのものは非常におもしろいつくりをしていて、いずれ感想も書いておきたいが、この芹沢氏の文章はなんだ。こういう人もそれでメシをくっているのだから、たいへんだろうが、もうちょっと編集者が見る目をもつべきではないか。
というわけで無能な評論家たちについて書こうとしたのだが、芹沢氏だけで長くなってしまった。つづきは別の機会に。
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97.5.6
リンクが充実してきた。オンライン雑誌のリンクだが、私が考えているのは「個人のメッセージ」を発信するウェブのネットワークがひろがると、この現実世界そのものが変わってしまうだろう、ということだった。そのバックボーンはかつて「ワン・トゥー・ワン 個人の表現の発信」に書いたので、参照いただきたい。
今のマスコミは、単なる情報発信機関ではなく、個人の感情や意見を一定の方向に方向付ける情報処理システムだ。そこでは人は「考えることをやめる」ことを強いられている。考えるということは、自分の思考のもとに「現実をかえる」ということである。だから「考えることをやめる」ということは、「現実を変えない・変えられない」ということである。この社会では一部の官僚や企業家、マスコミ人士のみが「考える」権利(権力)を持たされているかのようだ。
というと責任をなすりつけているように思われるかもしれないが、表現や発信の機会も力も雲泥の差があるのだからしょうがないではないか。しかし、そういう状況を根底からくつがえすのが、インターネットという「武器」なのだと、私はいまでも信じている。「インターネットは空っぽの洞窟」と言った人がいたが、それはそれでかまわない。そういう人はとっととネットワーク社会から撤退していただきたい。
結局、マスコミは必要だとしても、それは「一次的な情報の収集力」ということにとどまる。その情報の二次的な処理(判断・論評・行動化など)が、マスコミというシステム上で「共同化」されていることが問題なのだ。それは個々人がそれぞれの責任においてすべきことだからだ。しかしそれを隔絶された個人の内面や個人的なご近所だけでおこなってしまうと、そこに「ひとりよがり」というものが生じる。そこでインターネット上で、そういった意見をオープンに公開し、人目にさらされながら鍛錬していくということが必要になる。また当然、意見を個人から発信して現実的な力を形成するまでに広げていく、という可能性もある。そんなことができたことは、これまでの人類の歴史では一度もなかったことなのだ。そういう意味でインターネットは革命的な武器だというのだ。
しかしせっかく「武器」を手にしても、それを使う人がなければどうしようもないわけだが、そういう「人」はどんどんふえている。それが私のリンクにも反映されているのはうれしい。リンク先にも同様なリンクがある。たとえば「週刊言志人」さんのところでは「みんなで広げようオピニオンの輪!」というリンクがある。それをさらにたどっていけば、またそういう人たちに出会えるだろう。
というわけで、すでにインターネットしている皆様には釈迦に説法であったが、あえて言ってみたのは、このネット上で発言する人々の充実度を誇りたい、という気持ちに駆られたしまったからであった。
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97.5.5
3Dアートのコーナーに「シトリン」を追加したので、ごらんください。
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97.5.2
猪瀬直樹「日本国の研究」の研究を書いた。書評ではなく単にこの本の内容を自分で使いやすいよう「引き出しにまとめておく」意味でダイジェストした。行革や特殊法人などに興味のある方、つまり天下りや役人の仕事ぶりに怒りをおぼえている向きは、ぜひご覧下さい。そして、猪瀬氏の本も買って読もう。
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97.5.1
梶田イフのライブのお知らせ。イフは去年下村誠のナッティレーベルからCDを出したジャパニーズ・ラスタマンである。またわれらの雑誌G-Uにもインタビュー記事がのっている。
さて、スケジュールだが、

ということなので、よろしく。
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97.4.30
3Dにはまった話は以前書いたが、ついに3Dアートのページをつくったので、ごらんください。まだ試作品です。
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97.4.23
ペルー事件が解決し、よかった。何がよいかということが、人によって違うだろうが、私は「強行」がよかったとする。テロやゴネによって何かを得ようという態度が嫌いだからだ。私がなんらかの理由でテロリストにならなくてはなかったとしたら、私は真にリアルなテロリストをめざす。ゴネによって仲間を釈放させるのではなく、刑務所を襲撃することだろう。
それはさておき、フジモリと青木大使の会見はよかった。「自分はこれをやった」という充実感とともに、他者(社会)への深い共感を表現しきっていた。とくに青木大使は、こんな「個人」が日本もいたか、しかも役人に・・という驚きをいだかせた。ぜひこういう人にこれからの行革にとりくんでいただきたいものである。
この二人に比してやはり橋龍の会見はみっともなさすぎる。人質が全員死んでしまったかのような、あの不快な表情。フジモリに「私も同じ状況であったら同じことをしていただろう」と、強行策に「理解を示した」ということだが、まるで犯罪者に対する「理解」のようないいざまでもある。そしてそもそも橋龍に、自民党内の穏健派を押さえ込んで強行策をとれるだけの根性があるかも疑わしいではないか。
また橋龍だけがあいかわらず「原稿読み」会見に終始したのは言うまでもないことなのだが、これに関して言うとNHKのアナウンサーがフジモリが声明を発したシーンを報道するときに「フジモリ大統領は声明を読み上げました」と、ついつい(だと思うが)言ってしまったのがご愛敬だ。声明は「読み上げるもの」という発想がしみついてしまっているのだろう。反省されたい。
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97.4.22
宮崎に死刑判決が下ってはしばらくたってしまったが、それに関しては多重人格についてを書いたので、ごらんいただきたい。。
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97.4.19
ひるますの易占いは休止してしまいましたが、絵本作家にしてロックミュージシャンの長谷川集平さんがインターネットで易占いをはじめたといううれしいお知らせをいただきました。詳しくは長谷川集平ホームページをごらんください。
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97.4.16
おまたせ。ワイルドティアーズのライブ情報を更新しました。特にスペースシャワーの収録用のライブは無料のようなので、ぜひおいでください。
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97.4.10
前にバイオハザードをやって、見るものすべてが3Dに見えてしまったということを書いたが、そこからさらにポリゴン・ゲームにはまっていくという方向へは行かず、3Dグラフィックを描きたいという方向へ入っていってしまった。
その第一作目がホームページの肥留間氏キャラクター人形だ。暗すぎて顔が見えないほか、手がテキトーすぎるなど問題もあるが、第一作と言うことで自分でも気に入っており、掲載してしまった。
3Dグラフィックについてはここ
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97.4.07
ウォルフレンと猪瀬直樹の対談を教育テレビでやっていたが、池袋のリブロ(西武百貨店内)で今週の土曜(12日)猪瀬氏のサイン会があるとのこと。猪瀬ファン(?)は急げ。私も京極のサイン会以来サイン会おたくと化しているので、行くと思う。氏の新刊「日本国の研究」を買って整理券をもらったのだ。
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97.4.1
遅ればせながら、エヴァンゲリオンについて、はここ
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97.3.23
「ひょうたんから高麗」ついて、さらにくわしい情報を掲載しましたので、ごらん下さい。 目次へもどる

97.3.19
ネット易占いは非常に遅れてご迷惑おかけしてましたが、やはりかなり忙しくなってしまいましたので、しばらく休止させていただきます。これまで易占いのメールをくださった皆さん、とても貴重な勉強をさせていただきましたこと、感謝いたします。
なお易そのものは簡単に自分でできるものですので、易のページに掲載の資料などご参照ください。なお、易を解説したマンガの紹介はここです。 目次へもどる

97.3.7
先日、今年の「ひょうたんから高麗(こま)」はどうなるのか、と書いたが、さっそくわかったので、お伝えしておきます。今回、97年春は、3月25日からの開始で、いつまで続くかはお楽しみ?の予定。まぁ最低一週間はつづくはず。特にこの間の日曜日にはライブ関係が充実するそうですので、ぜひおいでください。なお、交通は、西武線(池袋または新宿発)の高麗駅下車、徒歩10分。「巾着田」近辺で開催します(地元の人はみんな知ってますから聞いてみてください)。 「ひょうたんから高麗」についてくわしく知りたい方は、ここをごらん下さい。 目次へもどる

97.3.6
昨日の5日だが、中井久夫先生の最終講義がおこなわれた。この3月で神戸大学を(定年で)退官されるためだ。で、この講義は誰でも入って聴けるということなので、私も講義を聴いてきたのだ。
テーマは「精神分裂病について」ということで、中井先生の分裂病へのとりくみを、寛解過程論から風景構成法、例の「微分回路」の話、免疫における超システムと分裂病で失調する「自己システム」との類比の話など、2時間で一気に語ってしまうという豪華な内容であった。
私は中井先生ははじめてじかに見て、言葉を聞いたので、いままで本の上で活字でしか見たことのなかった言葉が、具体的な一人の人間の言葉として、こちらに入って来るという感じで、非常によい体験をさせてもらったと思う。しかも最後の最後で間にあった、というのがよい。ミーハーだが。
しかしこういうことも、「うらやましい」「なんでもっと早く知らせてくれなかったのか」と受け取る中井ファンの人もきっといるだろう。ついつい告知が遅くなってしまったのだ。そもそも「告知」すべき性質のものかもよくわからなかったし。ということでご容赦いただきたい。
中井先生は、4月からは甲南大学の臨床心理で教鞭をとることになっているので、甲南大で講義を受けられる方は、ぜひホームページをつくって、講義内容をレポートしていただきたいと思う。 目次へもどる

97.2.28
ワイルドティアーズのライブが決定!
3/11渋谷ラ・ママ、3/16下北沢LOFTです。くわしくはここ目次へもどる

97.2.24
告知が遅くなりましたが、G・U第2号(VOL.2)がおかげさまで売り切れとなりましたので、よろしくお願いします。この第2号は「佐野元春特集」ということで売れたようだが、去年の夏にでた第3号でも若干、佐野元春関連の記事がでてますので、第2号が買えなかった方は、ぜひこちらをお買い求め下さい。くわしくはこちらまで。3号は大量に在庫がありますので、ぜひお願いします。
考えてみると、第2号は元春特集以外にも、吉田ケンゴさんの濃密?深淵?インタビューがあったり、オレのマンガもこの回は評判よかったし、やっぱり内容がよかったのだろう。そういえばこのホームページ内の吉田ケンゴ関連コンテンツ「アイタル通信」もずいぶん長いこと更新していない。その後、ケンゴさんはテレビの「噂のテンベストショー」などにパチカ(アメリカンクラッカー状の楽器)を持って登場したということだが、どうしていらっしゃることか。そろそろ恒例のイベント「ひょうたんから高麗」の時期も近づきつつあるこのごろではある。 目次へもどる

97.2.6
シトリンの新しい写真を掲載しましたので、ごらんください。犬めくりも真っ青? 目次へもどる

97.2.4
ワイルドティアーズのニューアルバムの情報が入ったので、こちらに掲載します。下村誠ファン、尾成彩ちゃんのファンはごらんください。 目次へもどる

97.2.1
ついに月刊ひるますが更新を再開しました。いずれはきちんとした「雑誌」にしたいと思っていたのだが、この忙しさからいってほぼ不可能なことが明らかになってきたので、この「航海日誌」の中からまとまったもの、時間がたっても一応意味ありそうなものをピックアップしてまとめたものだ。なんか業務縮小みたいで情けないが、そのぶん、この航海日誌に集中しますので、どうかよろしく。 目次へもどる


97.1.31
易占いの結果がわかりやすくなるように、「卦」(いわゆる八卦ってやつ)の画像データと簡単な説明をつけたので、占った方も占わない方もご参考までにごらんください。デジタルコミックのコーナーに追加してあります。 目次へもどる

97.1.19
ネット美術館では掲載アートをプリントしたTシャツの販売を開始しましたので、ぜひご利用下さい。
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97.1.7
本年もよろしくおねがいします。
かなり長いこと更新があいてしまったが、世の中もバカバカしい事が続き、私も風邪で寝込んだりしていた。そんな中でもようやく始動し、まずはマンガの新作に手をつけはじめた。気がはやいのだが予告はここ
ついべに「ひるます」の過去の作品もデータとして掲載した。これはひるますの過去の栄光自慢である。 目次へもどる


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