97.12.26
このサイト内の広英社ホームページ(オフィシャル)でも紹介している筑波大学の宗像恒次助教授の新刊本が出ているので紹介します。「自己カウンセリングで成長する本」(発行/DANぼ、右図)で、広英社の「SATカウンセリング技法」でも詳説されたカウンセリング技法を、自分自身に用い、自分の成長のために応用する方法が、わかりやすくまとめられている。自分で出来るチャートなども数多く収録しているので、すぐに使えるものになっている。その上で、さらにくわしく知りたい方は、わが広英社の「SAT」の方もお読みいただければいいということになる。どちらも全国の書店で買えます。
がらっと変わって、わがNATTY RECORDSでは、来年早々にも下村誠プロデュースによるアルバムが発売されるようである。
「JUICE & LOVE」といういわき市を中心に活動しているロックバンドのアルバムで、タイトルは「GREAT LOCAL HERO」。
なんかウワサでは、「すごく、いい」らしいので、ご期待ください。詳しくはこちらに。また下村誠による解説も非常に面白いので、さっそく収録しました。ご一読ください。
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97.12.24
伊丹十三の死を悼む。
こんなことがあっていいのだろうか、って感じだ。前に勝新の時に、勝新はオレの青春だったと書いたが、伊丹さんは、私にとっては「父」だった。
ラカンやユングにおける「父」というのは、「母親と一体化してまどろんでいたい」こどもを母親から引き離して、自分自身の言語を獲得させる人のことである。母親と一体化していれば、言語をしゃべらなくても全部、察して理解してもらえるから言語なんて必要ないのである。そしてまさに日本という社会はなるべく「一体化」して、言語なしですませようとする社会なのだ。しかしそんなことではいずれやっていけなくなるから、ちゃんと言語を獲得しなければダメなのだ。
ということを、80年代のはじめに、みんながニューアカだのなんだのと、曖昧な言語でカッコつけようとしたときに、ひとり、きっぱりと言いはなっていた大人、それが伊丹さんだった(彼の著書「自分たちよ!」と対談である朝日レクチュアブックスの「快の打ち出の小槌」他が幸いにも残されている)。
そしてその実践が彼の主催する雑誌であり、「お葬式」という映画だった。「お葬式」がすごかったのは、曖昧な雰囲気、叙情、感性といった甘っちょろさで、まるで母親に対して「ねぇ、分かってもらえるよね」と言うだけで金をとろうとして、すっかり絶滅寸前になっていた「日本映画」の中に、完璧に「言語」でもって作られた映画を示した、ということだった。
そーゆう意味で、私にとって伊丹十三は俳優でも映画監督でもない、「思想家」であった。それがこんな死に方があっていいものだろうか。
死の原因をいまは憶測をすることは控えたいが、そのようなまでに言語を獲得し、自己を表現し、自己確立した果てに、人間はこんなにもろくも死を選んでしまうのだとしたら、あまりに悲しいし、情けないではないか。
私ごとだが、いまちょうど、このページの更新をさぼって、ひとつのマンガを書きつづけていた。それは雑誌G・Uに掲載したマンガの流れの中で、ぼくなりにこの10数年前に接した伊丹さんの「思想」に応えるものだという位置づけがあった。勝手なラブコールといってもいい。それを伊丹さんに見せることが出来なかったというのもくやしい(後で思い出したが、私の昔の作品、「黄昏マデ、2万マイル」の主人公は伊丹衆という名で、いうまでもなく、伊丹十三と笠智衆の合成だった)。
「父の死」とでもいうような、喪失感が痛い。
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97.12.18
下村情報しか更新してないが、音楽評論家としての下村誠によるCD新譜レビューを掲載しましたので、こちらをご覧ください。佐野元春の「THE BARN」ほか、いいのがそろっております。
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97.12.17
また更新があいて、早くお伝えしなければならなかった下村誠最新単行本のお知らせが遅れてしまった。このサイトでプッシュしている下村誠氏は、実は音楽評論家として有名で、というか名前を知らなくても、音楽雑誌を読んだことがある人なら、1度は必ず彼の文章を読んだことがあるはずだというくらいの人なのである。
一時、音楽ライターを休業していたのだが(このサイトを続けて見ている人なら「あれ、廃業じゃなかったっけ?と思うかもしれないが、まあ細かいことはこの際いいのだ)、ひさびさに単行本をだした。それが「地球音楽ライブラリー 小田和正」(TOKYO FM出版)だ。詳しい情報はこちらの「音楽評論家としての下村誠」のコーナーに掲載しているので、ごらんください。
また来年には新刊も予定されるなど、音楽評論家としての活動も忙しくなりそうなので、ご期待を。なお、年末のライブ情報も更新しましたのでごらんください。
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97.12.4
久々に見に行ったら、斎藤環さんのページが更新されていて、あらたに「宮崎駿」「バロウズ」論などが追加されている。いずれもユリイカに掲載されたものだが、早くも無料公開していただき、ありがたい。いずれも興味のある方はごらんください(といいつつ、まだ「もののけ姫」を見ていないことを思い出してしまった)。
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97.12.2
更新の間があいてしまった。ちょいと一週間ほど仕事に集中してやっつけちゃおうと思っていたのが、ダラダラ長びいたのだ。
プレイステーション用ソフトの「R?MJ(これでエムジェイと読む)」をやったのだが、これがひどい内容だった。クソゲーと言ってもいいのだが、クソゲーというのは最近はイイ意味でも使うようなので、とにかくひどい、レベルが低すぎるといっておこう。
これは病院に閉じこめられた少年少女のパニックホラー・アドベンチャーということで、「真の恐怖がここにある」などというコピーが書いてあるのだが、なんの恐怖も感じない。病院がせまい。というか実際に歩き回れる範囲が少なすぎるのだ。私はかつて「Dの食卓」をやったときに、このゲームの舞台が大病院でありながら、その病院に入ったとたんに一種の幻想空間に変貌して、洋館といったイメージになってしまったのが残念で、どーせなら病院を舞台にしていろいろやってほしかったと思っていたのだ。なんたって病院というだけで怖そうだ。と思ってたところに、この「エムジェイ」が病院ものだということを雑誌でみて、飛びついてしまったのだ。
それにしても、あっという間に病院から脱出してしまったのはまだいいとして、この事件のストーリーがあまりに古くさく、バカバカしい。子どもだっていまどきこんなものじゃ満足しないだろう。ネタバレになるのでくわしくは書けないが。
音楽もダメ、映像もたんにていねいに3Dしましたというだけで、背景も雑だし、なんのいいところもない。作品世界の雰囲気がぜんぜんできてないのだ。というわけで、こんなことを書いてもしょうがないが、皆様もこういうダメソフトのことを広めていただきたいものである。
ちなみにその雑誌では制作者がインタビューに答えて「同じような趣向のゲームがいろいろと出たが焦りはしなかった。自分たちの道を確信してましたから」などと言っていた。同種のゲームとはクーロンズゲートのようなムービー型のアドベンチャーを言ってるのだろうが、少しは焦れ!というのだ。この人たちはこの作品に3年もかけたのだそうだが、3年もこんなもんつくってりゃいいなんて、ほんとイイ商売ではある(なお、エムジェイのホームページはバンダイのサイト内にあるので、画像を見てみたい方は検索ページから飛んでください)。
他人のことをあれこれ言う前に、自分の仕事をきちんとしなくてはならないが、大島清さんの最近出た脳の本(「すべては脳から始まる」大和書房)によると、創造的な仕事は朝やるのがいいそうだ。ひとはいろいろとやりたい、創造的に生きたいと思っていても、時間がないからできない、というふうに思いこんで、ついつい創造的な仕事ほど後回しにしてしまうそうだが、それはフツウの生活のための仕事をしたあと、家に帰ってからやろうというのが、いけないのだそうだ。家に帰ってからの時間というのはたとえたくさんあっても、脳がやる気を起こさない時間なのだそうだ。そういう時間にやろうとしてやれないということの積み重ねが、「やりたいけど時間がない」というコトバになってしまうという。夜やるのをあきらめて、早く寝て、朝やるようにすると、脳が「やりたい」と思う時間なので、たった一時間でも夜の三時間分のことはできてしまうというのだ。
これはほんとに効果があるので、ぜひやってみたほうがいい。私はこの本を読むちょっと前からなんとなく自然のなりゆきで朝型になってきていたので、まったく納得してしまった。それにしても考えてみると、ほんとに無駄な時間をつぶしてきた、という気もしてくるが、そこは前向きに考えていきたいものである(いかにも朝型人間的な考え方・・)。
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97.11.18
問い合わせで気がついたのだが、ひょうたんから高麗開催日の情報が間違ってたので訂正します。18日から27日ということで、なんと今日から開催していたのである。失礼しました。ついでに今回開催されるイベントについての情報も掲載しましたので、アイタル通信のページをごらんください(新たに地図も掲載しました)。
なお、このページでケンゴさんのカリンバの音を聴ける(au)のだが、うちの環境のせいかもしれないが、インターネットエクスプローラー4.0(マック版)だとエラーが起きて聴けない。ネットスケープ(3.0)だと、大丈夫なのだが。
先日来紹介している紅葉さんのCDもすでに下村さんの許可を得て、サウンドファイルを公開できることになっているのだが、どうもこのエラーが気になるので、ちょっと対策を考えてから公開することにします。少々おまちください。
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97.11.17
私はサッカーは好きではないのだが、今回は熱狂した。私にとってサッカーは気兼ねなく楽しめる戦争だ。逆にいうとアメリカやロシアをのぞくほとんどの世界が、いまやサッカーを戦争として認知していて、その「世界」にやっと日本も参加することができた、ということではないだろうか。
そう考えてみると、戦争っていうのは、ようするに争いごとの共通言語だ、という定義ができる。お互いに優劣を争うための共通言語がなければそもそも「競う」ということも「闘う」ということも「支配する」ということもできない。戦いと言うことの意味がわからない種族がいて、それを征服して支配してみたが、誰も支配されていたことに気づかないということが、論理的にはありうる、ということだ。そんな極端なことはないだろうが(しかし、インディアンというかネイティブアメリカンには実際そういうことはありそうだ)、いわゆる戦争というのは、あまりにも分かりやすい暴力であるので、わざわざ共通言語にするという手続きなしでも、共通言語になってしまうのだが、サッカーの場合、どういう偶然から、こんなにまで「共通言語」になってしまったのだろう。
世界でそれがどのようにして共通言語になったのかは分からないが、その共通言語の世界に参加できたこと、つまりはサッカーという言語を獲得できたということ、これはすべて、日本代表メンバーとそれをサポートしたすべての人々の努力のおかげである。私はいま、自分が「コトバ」を獲得できたことに等しいョロコビをカラダ全体に感じている。
ありがとう!日本代表
さて、話は変わるが、下村誠ホームページでお伝えしているライブ(荻窪ROOSTER、11/16)に行ったのだが、今回、すごい内容が濃かった。
まず、ヤッチくんだが、いままで吟遊詩人というバンドでけっこう見てきたのだが、ソロとなってどうなるのかと思っていたら、なんとバンド時代とはまったく異なる独自の世界をつくりあげていて、驚いた。ヤッチという名前が、ただのあだ名でなく、ひとりのアーティストの固有名になる瞬間を見た、という感じだった。明確な言葉と耳になじむメロディラインで、聞く人に「映像的な世界」をきちんと提出し、そこに入っていかせてくれる。これ聞いてると、巷によくある「独りよがりの詩」や「サビの合間をうめるための詩」は、ほんとどっか行ってくれって感じ。意味明瞭は心地好い。
下村誠氏もソロはひさびさだが(オレが見たのが)、とくにやはり虹の箱舟がよかった。聞く度に「別な解釈」が生き生きとイメージになって浮かんでくる曲、といったらいいだろうか。私にとっては下村誠はこの一曲によって下村誠なのだというくらい、この曲はすごい。というと他の曲がたいしたことないと言っているように聞こえてしまうかもしれないが、もちろんそんなことはなく、ただこの曲がすごすぎるのだ。
黙っていても誰も書いてくれないので、そのうち私が下村誠のこの歌について大々的に書こうと思っているのだが、とりあえずはだまされたと思ってでもいい、皆様にこの歌を聴いてほしいのだ(くわしくはこのページの「スナフキン」の項目をごらんあれ)。
それから、前の項でお知らせした紅葉谷佳代のニューアルバムだが、同じく荻窪ROOSTERで来月にCD発売記念ライブをやるのでお楽しみに。詳細は下村誠ライブ情報のページに。
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97.11.10
突然だが、下村誠ファミリー?(もとい、NATTYレーベル)の紅葉谷佳代のニューアルバムが出る(第2弾アルバム)。もちろん下村誠によるプロデュース作品で、タイトルはMOOI(ムーイ)。11月25日発売。曲目、参加ミュージシャン等はこちらのページに。ファーストアルバムの情報も掲載しているのでごらんください。もみじさんは、NATTYの中でも最もポップな感じなので、気に入る人も多いと思います。
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97.11.8
昨日掲載した田口女史の似顔はあまりにも似てなかったので、大幅に修正しました。これを機に似顔絵コーナーもつくってしまおうか(無謀な・・)。
97.11.5の項目で、マックのエディタJeditのことを書いたばかりだが、なんと今日のMacWEEK Online JAPAN(http://www.zdnet.co.jp/macweek/)を見たら、バージョン2.0が出たとのこと。これまた何かのシンクロニシティか。
さっそくまつもとさんのホームページからダウンロードしたが、あまりの進化ぶりに感動してしまった。ただし今回のバージョンアップからは有料のシェアウェアになってしまったのだが、2500円はいままでお世話になってきたことと、これからのバージョンアップへのエールとして考えれば安いものだろう。
内容的には、インターネット関係の機能が充実していて、HTMLタグが埋め込めるのは当たり前として(太字や改行など装飾系のタグは、辞書登録してしまった方が早いが、マクロによるリンクの埋め込みは超ベンリ)、特にマクロを使ってエディタ上からブラウザやメーラーを操作できるのがいい。私はメーラー上で返事を書くのが苦手で(途中で煮詰まってしまって半端な状態で保存してあるのが間違って送られたら・・と思うと書けなくなる)、一回テキストファイルに書くのが癖なので、このようにエディタとメーラーが連動するのはうれしい機能だ。
それにしてもこれから年末にかけてマック関連はこまかいソフトが目白押しに出てくるので、またもや財布が苦しくなりそうだ。まずは件のクラリスメールの2.0だが、どの雑誌のレビュー記事でもベタぼめだし、今使っているクラリスメールLiteの使用感の快適さからしても、その評価は信用できる。しかしとりあえずLite版で、なんら不自由は感じてもいないので、これはちょっと待ってもいいかもしれない。なお、クラリスのホームページでは試用版をダウンロードできることになっているが、パスワードを要求されてダウンロードできなかったが、どうなっているのだろうか。
同じくクラリスのファイルメーカーだが、これは4.0が出る。今回はやはりインターネット機能が強化されて、データベースにネットスケープやIEなどのブラウザからアクセスできるようになるらしい。ネットワークでデータベースを使うとき、いままでは高価なファイルメーカー・サーバ版というのを使わなくてはならなかったようだが、これで単体のファイルメーカーがあればブラウザでアクセスできるということなのだろうか。しかしそれ以上に期待できるのは、モバイル端末(ザウルスとかカシオペアなど)のブラウザで、会社や自宅のパソコンにアクセスしてデータを収集したり入力できたりできるということではないだろうか。ホントにできるのかは知らんが。
もっともそれ以前の事情としてブラウザを立ちあげていると、たしかにすべてをブラウザ上でやってしまいたいという誘惑にかられるということがある。IEを使ってるうちにビル・ゲイツの魔力にかかってしまったのか(Win版のIEではブラウザとデスクトップが融合される)。それともそういう誘惑を先んじて読み取っていたビル・ゲイツがすごいのか。
ATOK11 for Mac ももうすぐ出る。OS8が出たときに、各雑誌とも付属のIM「ことえり2」をけっこうほめていたが、実際に使ってみると私のパソコンではかなり遅い。カスタマイズの項目も少なく、実用にはちょっとという感じなので、ATOK11に期待している。
個人的には3Dソフトのバージョンアップがたまっている。ShadeとRayDreamだが、どちらもマシン性能を要求するソフトなので、パソコン本体を買い換えないうちは食指が動かない。
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97.11.7
昨日の項の続報だが、お天気お姉さんは、降ろされなかったようだが、あいかわらずしっかりと、とちりまくっていた。さすがにカンペは出なかったが。あと、あいかわらず田口さんは真っ赤な服を着ていたぞ。
ということで、田口さんの似顔絵を描いた。ぜんぜん似てないが・・・(追記:あまりにも似てないので失礼かと思い、改めてテレビを見ながら描きなおした。前は記憶だけで描いていたのだった。というわけで、今回はちょっとは面影があるか)。
なお、田口女史のくわしいデータを発見したのでリンクを書いておく。「ようこそ女子アナデータバンク江」(http://village.infoweb.or.jp/~cyber/index.htm)だ。インフォシークから田口恵美子で検索しても一発でいけるのだ。
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97.11.6
ついこの前だが、自分がインテリ女フェチであることに気づいてショックを受けてしまったのだが、今、旬のインテリ女といえば松岡"ぐー"修造の結婚ですっかり有名になってしまった田口恵美子女史である。知る人ぞ知るというか、「私だけが知っている」とっておきのキャラクターだったのに、この件ですっかり知れ渡ってしまいくやしがる私はインテリ女フェチである以上に、ただのオヤジだろうか(ビジネスニュースのキャスターである彼女は各ワイドショーで必ず「オジサンのアイドル」として紹介されていた)。
ついに昨日(5日)は、新聞の番組欄にまで名前が掲載されるまでになったので、久々にビジネスサテライトを見たら、すげえド派手な赤いスーツにでかいイヤリングで登場していたのでおどろいてしまった。そりゃ注目されて気合いが入っているのだろうが、そういう時こそ、清楚に決めてほしいところだったのだが、・・などとどうでもいいことを考えつつ見ていたら、なんと最後のお天気のコーナーでお天気お姉さんが突然とちりはじめ、カンニングペーパーをとりだしつつも、さらに焦りまくり、映像を天気図に切りかえつつなんとかしのぐという、最近のTVにしては非常にめずらしい事態が起きてしまったのだ。田口女史への注目で視聴率がかつてなく上がってしまって、それにつられてお天気お姉さんもあがってしまったのだろうか。
お天気コーナーが終わったとたんに、田口女史にカメラが切り替わり、お別れの締めのシーンとなるのだが、女史のお顔は強烈に怒りひきっていたのであった。田口女史はいわゆる「お局(つぼね)様」なのだというが、この後、お天気お姉さんにどのような制裁が下されるかと思うと、気の毒でならない。注目の集まったこの時期だけに、田口女史の怒り心頭にもまったく共感してしまうが(ようするに野次馬的に楽しんでるだけなのだ)。で、次回(今日6日の放送で)お天気お姉さんが出演するかどうかキョウミがあるところだ。ぜひ皆さんもごらんいただきたい。
しかし私は今回、田口さん礼賛をしようと思っていたのだが、お天気お姉さんのせいで、ぜんぜん違う方向にキーボードが走ってしまった。ちなみにインテリ女フェチとは、書店の哲学・心理学・文化人類学・社会学などのコーナーに行くと、本より先にそこにいる女に目がいってしまう人種のことである。そのくせ、そーいう女がほかのシュチュエーション(電車とか会社とか喫茶店)にいるときには、全然目がいかない、という人たちである。つまりあくまで本や学問というものと関わっているかぎりで女にキョウミが生じるわけである。あわれな・・。
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97.11.5
下村誠のライブ情報を更新しているので、ごらんください。あと、恒例の「ひょうたんから高麗(こま)」の日程も決まったようなので、ごらんください。今年はちょっと短いようだけど、そのぶん集中していいんじゃないかと思います。
音楽系のリンクでは「NAPI MUSIC」にリンクした。ピアノと奄美の島歌のデュエットという不思議な音楽をつくっている高橋全氏のサイト。ショックウェーブでデモが聴けるので、ぜひ行ってみよう。
全体的にこのサイトのデザインをちょっとずつ修正している。MdNというマックのデザイン系の雑誌をみていたらHRタグによる罫線がかっこわるいと書いていたので、よくみたら、ウチのはHRだらけ、とくにSIZE=10というのがやたら使ってあって、確かにみっともないのだった。ウチのサイトはこれでなかなか歴史が古いので、ずうっと前の「HTMLでデザインなんかできるか」という時代の産物なのでもあった。いつのまにか時代に追い越され、いちばんかっこわるいサイトになってしまっていたのかと思うとはずかしい。あまり変だと気づかなかったのは、パワーブックの液晶が暗くて、HRによる罫線がほとんど見えなかったせいでもあるのだが。
IE4.0の製品版が、雑誌などででまわっているが、マック版はまだプレビューしかない。早く出してほしいところだ。メールはシステム8附属のクラリスメールLiteに変えたのだが、これが非常に使いやすい。システム8のファインダーのリスト表示と使い勝手が同じで、全体的になじんでいるのだ。
システム8にしてから、エディタのJeditが、何度かクラッシュしてしまったが、しらべてみたら今はバージョンが1.08になっていて、私のはずいぶん古いものだったのだ。Jeditのこのバージョンは背景色や文字色が選べるのだが、ブラウザでの表示と同じ色が表示されるように設定しておけば、テキストエディタ上でちょっとした見た目の確認ができるということにもなる。こんないいソフトがただで、しょっちゅうバージョンアップされているのだから、すごい。製造元の「まつもと」さんは偉い。この「まつもと」のホームページには、面白いシェアウェアが掲載されているので、システム8ユーザーは一見の価値がある。
ちなみに私は「もつもと」の製品、通信ソフトのJtermのユーザーだったのだが、あまりにもパソコン通信をしないため、初代の1.0からまったくバージョンアップしていないという不良ユーザーなのだ。
偉いと言えば、デジタルスクリーントーン(製品名パワートーン)のModeは偉い。私のCD−ROMが不調だと言うことはここに何回か書いたが、そのためにこのパワートーンがうまくインストールできないという事故があったのだが、これに対してほんとうに迅速に対応してくれたので、すぐにインストールすることができた。この迅速さは他の会社も見習っていただきたい。とくにこの間、問題のドライブのメーカーはなんの返答もよこさないのだ。
というわけで、ようやくデジタルコミックのプロジェクトも開始できたので、結果はいずれレポートしたい。
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97.10.29
ベッコアメがクラッシュして、まったく接続できなくなっていたが、2時間後につながった。さっそくベッコアメのページを見たら、不具合が起きたこととほぼ修復したことを書いていたが、メールは送れないし、次にアクセスしたらやっぱり接続できない。この文章が読まれるとしたら次に接続できたときになるわけだが、いつになることか。
前に本が読めない、と書いたが、西沢哲さんの「子どものトラウマ」(講談社現代新書)を読んだ。これは非常にわかりやすく書いている、というか、基本的に新しいモデルを提出してわかりやすくしている、という感じがする。パラダイムが変わったというか。
読みたい本がまたあった。木村修さんという人の「空手バカ一代」の研究(アスペクト)だ。この前、うしろの百太郎の話を書いたとき、一太郎に「空手でも習いに行け」と書いたのだが、つのだじろうが「空手バカ一代」の作画をしていたのをすっかり忘れていた(「うしろの百太郎」と同時に連載していた「空手バカ一代」は作画が影丸譲二氏に交代していたのだ)。私はこの影丸版の「空手バカ一代」にはまっていたのだった。この本は、マンガと現実の極真会の動向を比較しながら書いているので、興味があるのだ。現実の極真会にも空手にもまったく興味はないのだが。このへん、世のブルースリー・フリーク達にも通じるものがあるだろうか。などと考えてあるいていたら、若者が「ブルースリーって、ブルー・スリーじゃなくて、ブルース・リーなんだよな」などと話しながら私の横を通り過ぎていった。それはリアルタイムでもよく言っていたことだ。そんなわけで、シンクロニシティがまた渦巻いている(?)。
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97.10.25
マックのグラフィック関連の雑誌「Step By Step」に「劇画家・叶精作のスーパーPinup」が掲載されている。叶精作さんは、絵をみれば「あああの人」と分かると思うが、リアルなエロっぽい女性のイラストを描いてる人だ。この雑誌のコーナーではその絵の制作過程を図解し、そのスーパーテクニックを紹介してるのだが、これはすごい。
何がすごいかというと、下着姿の絵なのにちゃんと乳首を描いてからその上に下着を重ねている。ひょっとしたらこの図解には出てないが、ヘアーも描いているのだろうか(などとカマトトぶって言ってるが、こういうことは、上手下手の違いはあれ、フォトショップでエッチな絵を描くものなら実はだれでもやっていることなのだ・・)。
それにしても下着をここまで克明に描こうというのは、ほとんどフェチの世界だが、コメントに「この雑誌の印刷ではディテールがはっきり出てないかも」というようなことが書いてあるので、本物のデータはもっとすごいのだろう。想像しただけでも気分が悪くなる・・(あまりの細かさに)。
というのは冗談として、本題だが、このコーナーで叶氏が紹介しているメタフローとかいうフォトショップのプラグインが面白いと思ったのだ。これは平面画像を自由変形するソフトなのだが、たとえば平面上に描かれた編み目模様を、人間の足の写真にピッタリと変形して編みタイツを履いたようにするということができるのだ。こういったことはフォトショップ自体の変形機能ではとうてい無理で、私としては3Dソフトでテクスチャーマッピングするしかないと思っていたので、これには驚いた。もっとも、擬似的に変形して(足の輪郭から)はみ出した部分をカットするという方法なら他のプラグインフィルタでもできそうだし、ほとんどの場合、それで済むのだろうが。
私の場合は、今描いているマンガでいえば、女子高生のスカートのチェック柄を「変形して」スカートがしわになっている状態にピッタリ合わせる、というのに苦労しているので、このメタフローが「いいなぁ」と思ったのだった。というとただのエッチのようだが、なかなか大変なのだ。肥留間氏のイラストでも、肥留間氏が乗ってる本の文字は、3Dソフトでマッピングしているのだが、これもメタフローがあれば、2Dだけで可能になる。これは画期的だ。
ところで女子高生といえば、だいぶ以前からルーズソックスが紺のハイソックスにとって変わるということが、ワイドショーなどでも言われていたが、最近はたしかにハイソックスを見る機会がふえた。今描いてるマンガの女子高生はルーズソックスっぽいのだが、はたしてこれは描き変えるべきなのだろうか。悩んでしまうところだ。ともかく女子高生ならルーズソックスをかけばいいという楽な時代は終わってしまったということなのだった。
なお、雑誌Srep By Stepはホームページを開設しているので、そちらもごらんください(http://www.agosto.com/)。
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97.10.24
工芸としてのマンガに書いたように、マンガのペンタッチの修業で忙しく、本を読めない、映画も観れない。ビデオも字幕のはダメだ。手元をみながら「きける」テレビドラマぐらいしかつき合えない。で、深夜ドラマの「うしろの百太郎」については前に書いたが、その後にやってる(12チャンの月曜一時すぎ)アニメの「吸血姫 美夕」はおもしろい(ほとんど聞いてるだけなのだが)。
吸血姫の美夕がシンマとかいう妖怪みたいなのを退治するという話なのだが、その妖怪が人間にとりつく理由というのがちゃんと心理的なドラマとして描かれている。このへん何の脈絡もなくとりつかれたりする「百太郎」の後だけに、感心してしまう。美夕はなんで「吸血」なのかいまいちよく分からないが、彼女をサポートする妖怪的なチームと人間界の女子高生3人組などもキャラクター的におもしろい。その女子高生3人組は、学校で一番よく本を読んでる秀才タイプと、一番「強い」格闘技系と、ちょっと頭がよわそうだけどカワイイ天然系という風にキャラクターが描き分けられていて、いささか類型的に感じられるかもしれないが、むしろ類型的なことを楽しんでいるという感じも伝わってきて、なかなかいいのだ。
このシーズンは深夜アニメのラッシュということたが、関係ないと思ってる非アニメ系の人もこれは見ても面白いかもしれない。
他には「エルフを狩るモノたち」と「ウィルス」がはずせないところだろうか。あとテレビ神奈川では「マクロス」の最初のやつが再放送されているが、これは今見てもぜんぜん古くないかんじ。
お知らせです。大道芸ワールドカップin静岡が10/31〜11/3の4日間行われるとのこと。メールで知ったのだが、ウチのサイトにも「アイタル通信」というのがあり、関係なくもないので、ここでお知らせしておきます。今年の見所は、
昨年WCチャンピオンのパウロオ&ダニエラをはじめ、海外から18組み、
国内からは約37組み、総勢60組みのパフォーマーが静岡に集まります。
とのこと、このアイコンがリンクになってますので、詳しい情報をごらんください。
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97.10.23
前々から個人的に宣伝しているModeという会社(ホームページと詳しい情報はここ)のデジタルスクリーントーン(商品名:パワートーン)をやっと買った。すぐさま不具合に遭遇してしまったが、これはすでにModeのホームページで解決方法が掲載されている。不具合はレイヤー化機能がうまく作動しないというもの(レイヤー化というのは張り込んだトーンの部分のみをレイヤー、つまりアニメのセル画のように別画像として重ねることができる機能)。なんとこれは
この問題はデスクトップファイルを再構築することにより解決されます。
というのだから驚きだ。あまりに単純な対処法なので驚いたのだ。ともかく第一印象としてはこれは使える!という感じ。ソフトというものはこの第一印象の「入っていける」が肝心で、たとえば以前紹介した「エクスプレッション」にはそれがない。
しかし、今、おれは頭の中が完全にアナログ化していて、実際に使い始めるのはまだ時間がかかりそうだ。つまり「工芸としての手描き」にちょっと打ち込んでいるわけだ。
ところで、私はソフトはいつもは池袋のビックカメラで買うのだが(リボで)、今回は画材屋というよりは「マンガ材料屋」というべき「Too.」で買ったのだ。しばらく見ていなかったが、ついつい店頭においてあるスクリーントーンを見るとこれが驚きで、スクリーントーン(アナログの)って結構、安くなっているのだ。ついつい「パワートーン」との価格差を計算してしまったが、いずれにしてもこれはいいことだ。
ちなみに池袋のこのマンガ画材屋「Too.」(我らの世代にとってはIZUMIYAの方が通りがいいのだが)では、日曜にマンガ関係製品の20%OFFをやっている。丸井のバージンメガストアの隣なのでぜひいってみよう。
ところで「Too.」のお店で店員が「(アルプスのプリンターの)MD-1300の在庫がない」といっているのを小耳に挟んだ。アルプスのプリンターは私は初代の2000というシリーズを使っているのだが、その後の異常な進化にひと事ながら嬉しくなってしまうが、この品薄になっている1300という製品は、今までよりぐっと写真画質に近づいているようなのだ。それはともかく、アルプスのホームページにアクセスしたら、またまたプリンタドライバーがアップグレードされているではないか(Ver.4)。ここでダウンロードできるのだが、こんなに頻繁にユーザーのためにドライバをアップグレードしてくれるなんてすごすぎる。こないだ外部CD−ROMからインストールできない話を書いたが、このメーカーにも少しみならっていただきたいものだ(もっともこの場合ドライバーでどうにかなるというものでもないのだが)。
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97.10.22
インターネット美術館「MOGUA」のコーナーを久々に更新して、神田三紀仁の作品を掲載したのでぜひご覧ください。実はだいぶ前に投稿してもらっていたのだが、雑誌のG−Uの方に先に掲載しようと思っていたのになかなか雑誌の方がでないので止めておいたのだった。しかし今回雑誌の方もあらたに動き出したわけだが、それにあわせて三紀仁さんにも新たに描いてもらったので、前のはもうここに掲載することにしたのだ。
オンラインマガジンのリンクを新たに加えた。「kurukuru's catalog 」には異常に充実したエッセイ?が百科事典風に分類されている。とくに対戦型哲学史のコーナーはコンセプトが斬新だし、勉強になる。詳しくはオンライン雑誌へのリンクをごらんください。
資生堂のカクチカコが出ているCMにワイヤーフォックステリアがでてる。うちのと同じ犬種だが、やはりずっとりっぱに見える。しかしかわいさはウチの方が上、と親バカで思ってしまう。以前、車のセルボクラシックかなにかのCMにもワイヤーはでてた。ということでシトリンホームページもごらんください。
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97.10.20
リンク用のアイコンができたので、ぜひコピーしてホームページに張り込んでください。よろしく!なお、なるべくリンクは、ホームページ(トップページ)にお願いします。
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97.10.19
前項でシステム8がインストールできないと書いたが、結局、外部ハードディスクから起動して強引にインストールしてしまった。このような方法はどこにも書いてなく、今後どんな事態になってしまうのか不安だ。
今のところとくに変わったことはないのだが、ひとつありがたいところがある。このサイトは(前も書いたが)めんどくさいのでまったく階層化していないため、現在200個以上のファイルがWWWという名のたった一個のフォルダの中にそのままむき出しで入っている。そのため新しいファイルを作成してWWWフォルダに保存したり、WWWフォルダでファイルの移動などを行うと、あまりの重さにまるでフリーズしたかのように、しばらく停止していた。これがシステム8では軽快に出し入れできるようになったのだ。前から今度のシステムでは「一個のフォルダの中に千個のファイルを入れても大丈夫」といわれていたがこれは本当らしい。
あとインターネットエクスプローラーだが、ブックマークの編集や履歴の保存などがネットスケープより格段に使いやすく、もう戻れないという感じなのだが、やはりプレビュー版のせいだと思うがフリーズしやすい。またテキストのスクロールが妙に遅すぎるようだ。
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97.10.18
うちのパワーブック(5300cs)だが、話題のマックOS8がインストールできない。これはパワーブックの問題というよりは、外部CD−ROMの問題のようだ。パワーブック関連のウェブ会議室でみると、パナソニックのCD−ROMでも問題が起きているようだ。うちのは加賀電子というところのなのだが、この会社のウェブページにアクセスしようとしたら、全然つながらない。ひょっとしてつぶれたのか(追記:この時はたまたまサーバが停止していたらしい。現在はアクセス可能、http://www.taxan.co.jp/)。このぶんではうちのパワーブックには永久にインストールできないではないか。
それにしても悪いのはアップルだ。なんでCD−ROMから起動しないとインストールできないような仕組みにしてしまったのか。せめて外部ハードディスク(とかパーティションを切った内臓ハードディスク)からインストールできるようにすべきではないのか。いかにも自社の一体化したシステムに閉じこもろうという戦略のようで気に入らない。
インストールできないので欲求不満になったので、マイクロソフトのインターネットエクスプローラー(IE)をインストールしてしまった。なかなか見た目がすっきりしていて、ネットスケープより気に入ってしまった(ちなみにIE3.0では、画像がはりこまれた文書とはりこまれていない文書との間にズレが生じてみっともないが、マイクロソフトのホームページからダウンロードした4.0のレビュー版では解消されていた)。
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97.10.15
先日来、宗像恒次「SATカウンセリング技法」を紹介しているが、先日10/11の「日経新聞」にその宗像氏のコメントが載っていた。「イイコ症候群まん延」という記事で、「生活家庭欄」に載っている。日経とってる人はぜひひっくり返してごらんください。イイコについては広英社ホームページ内の記事にも若干ふれているので、ごらんください。
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97.10.14
テレビ東京の深夜に実写版の「うしろの百太郎」をやっているのだが、これが全然おもしろくない。ホラー関係だからといってついつい見てしまったが、考えてみれば、もともとのマンガ版「うしろの百太郎」も好きではなかった。なにがいやかというと、これは実写でも忠実に再現されているのだが、主人公の一太郎があまりにバカなのである。気をつけろと言ってるのに、すぐ危険なところへ行って幽霊にとりつかれてしまうし、人が死にそうな目にあってるのにあたふたして何もしない。そのくせイイコで人はよく、すぐにだまされる。とくにマンガ版ではファッションセンスがまったくなく、ぱんぱんに太ももがつっぱったジーパンをいつもムチムチにはいていて、当然動きもにぶい。実写はいちおうジャニーズ系がやっているのだが、やはりへんな「ジャンバー」を着てかっこわるさを踏襲していた。連載当時は「オタク」なんて言葉はなかったが、このかっこわるさ、そして趣味が心霊で、あまり友達もいない(心霊関係の仲間ならいる)とくれば、まさに彼こそオタクの草分けだったのかもしれない。
その中でもオレがいちばん気に入らないのは、この一太郎、霊媒体質だからしょうがないのかもしれないが、すぐに霊にとりつかれてしまう、というところだ。そして霊にとりつかれるくらいだから、そうとうにいわゆる霊感は強いはずなのに、オヤジに「お前も訓練すれば霊が見えるようになる」などと言われて調子に乗って、ESPカード(なつかしや・・)で訓練したりしているのだ。違うだろう、やるべきことが。これ以上、霊感を強めてどうするのか。そんなことより、霊にとりつかれてコントロールされたりしないような、「強い人格」をつくるのが先じゃないのか。空手でもやったらどうか(当時連載していた少年マガジンには、「空手バカ一代」も連載していたのだ)。と言ってもしょうがないことだが、ほんとこの一太郎の間抜けぶりを見ているとイライラしてくる。こんなバカに、霊格の高い?と言われている百太郎という守護霊がついているのも、ドラマの設定としては納得できないものがある。
ちなみに私は「つのだじろう」と「つのだひろ」が兄弟だと、最近まで知らなかった。
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97.10.13
前項、前々項の行為障害の件だが、いぜんこのページでも紹介した神戸新聞ホームページでは、ちゃんと9月30日の時点での報道で、行為障害は大人の場合の人格障害にあたるということを報道している。さすがは神戸である。
インフォシークという全文検索エンジンに登録したので、ここからひるますホームページの内容を検索できるようになった。ぜひご利用いただきたい。このページ内にも検索ボタンをつけてもいいのだが、ローカルで内容をチェックする際にいちいちインフォシークのサイトを読みにいってしまうので、いまのところつけていない。ちなみに「中井久夫」で検索すると、このサイトの広英社ホームページがかなり出てくる。逆に言うと、それ以外の中井久夫への書き込みがあるページは非常に少ない。広英社といえば、いよいよ今週あたりからSATカウンセリング技法の本が店頭にでるようなので、ぜひごらん頂きたい(広英社ホームページに詳細情報を掲載した)。
あと遅くなりましたが、陶芸展「源流アジア」が盛況の内に、終了いたしました。たくさんの皆様においで頂き、ありがとうございました。次回もこのサイトでお知らせしますので、よろしく。
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97.10.6
前の項で「行為障害」についてマスコミはきちんと調べて報道しろ!と言ったのだが、その後、4日土曜の朝のフジの「ザ・ウィーク」では、件の町沢氏と、VTRだがご存じ小田晋氏(そういえば小田氏もカッパブックスから「神戸小学生殺害事件の心理分析」を出した)が出てて、「行為障害」なるものの実体は「反社会性人格障害」だということを言っていた。
ただ町沢氏は、反社会性人格障害が18歳未満で「行為障害」になるのは、18歳以下の場合「人格」がまだ確立されていないからだというふうに言っていた。また行為障害が必ずしも(18歳になれば)「反社会性人格障害」になるわけではなく(症状としてあらわれない場合もあるので)、「行為障害」という診断は独自に(も)ありうるのだという含みを残していたようだ。ここらへんレトリカルな、些末な感じをうける。どっちにしても、重度の行為障害といったら、反社会性人格障害のことだというのは、はっきりしているのではないだろうか。
この番組でもやはり町沢氏は人格障害(行為障害)という診断なら、鑑定しなくても分かると言ってた(少年の声明文など一連の書いたものからして「分裂病」の可能性が消去されるため)。しかし、その「分かる」というのは、あくまでもラベルづけのことなわけで、またもや「人格障害」なるものが医学的には手つかずのものであることを思い知らされるところだ(前項参照)。
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97.10.3
行為障害って何だ?
そんなもん聞いたこともないぞ、とか思ったら、やっぱりみんなそーなようなのだ。で、マスコミでの解説もろくなものはなく、なんか分かったようなわかんないようなものなのだ。
で、わかんなければ調べればいいので、新版精神医学事典(弘文堂)をみたのだ。項目としては「行為障害」というのはない。索引には2個でており、そっからページをくってみると、一個目はあきらかに身体的レベルでの障害を意味しており、今回のものとは関係なさそうだ。2個目は反社会性人格障害の中にあった。
なんと「反社会性人格障害」の診断をつける場合に、18歳未満の場合は「行為障害」とするというのである(文面はそのままではない)。なんたることだろう。ようするに「反社会性人格障害」の別名、ということではないか。診断基準のおおもとになっているDSM−4というマニュアルは、今回のニュースなどでもよく資料映像として映し出されたが、そこにはたしかに「行為障害」という項目があり、たしかに「8歳〜15歳にかけて発症する・・」うんぬんという記述があるようである。だからそれだけみると、「行為障害」なるものが、厳然として存在するかにとらえられてしまうのだろう。そして、マスコミだけが素人として、そのように伝えるのであればまだいいが、出てきて解説する精神科医なる人たちまでもが、「行為障害は、十代前半に発症する病気で・・・」などと言っていてはしょうがないのではないか。そうではなく(弘文堂の事典を信頼するなら)事態は逆で、反社会性人格障害という「症状」がひろくみられる中で、特に18歳未満の場合を「行為障害」と呼ぶことにする、というだけのことではないか。だから「行為障害」などという言葉にまどわされる必要はない、ということになる(それにとても、この弘文堂の事典はこの道では最も権威も伝統もある事典なのだと思うが、マスコミの人々というのは、この程度のものもしらべて見ようとはしないのだろうか。「あのセンセイに電話でちょっと聞けばいいや」ということなのだろう)。
しかしなんで「反社会性人格障害」が、18歳未満だと「行為障害」なのか。そもそも「反社会性人格障害」じたい、「およそ医学的な観点からとは言いがたい名称」(春日武彦氏)であるが、「18歳未満」という規定も「医学的」とは言えない。医学的でなければなんなのか、といえば、法学的か、社会学的な概念だと言うことになる。18歳以下は社会人ではないから、「反社会」という名称がそぐわない、というだけのことではないだろうか。
ではそもそもの「人格障害」とは何なのか。春日氏がそういっているのは、「諸君!」に掲載されたサカキバラ特集の中の「精神科医に「犯人像」などわからない」という文章なのだが、この中で氏は、人格障害というものは医学的な意味で「病気」なのではない、としている。「病人ではないから、基本的には医療の対象とならない。クスリも効かない」というわけである。氏の主張は一貫していて、こういう人格障害(病気ではない、人格のもともとのねじれ、ゆがみとしか言い得ないもの)と、分裂病などの病気としての「狂気」をごっちゃにするな、ということだ。なにか「信じがたい」凶悪な犯罪があると、人はその裏に何らかの「狂気」があるのではないか、と思い込みやすいが、そういう場合に念頭にある「狂気」のほとんどは、「人格障害」に相当するものであって、病気としての「狂気」とは無関係だ、ということだ(だから「病気としての狂気」を専門にしてきた精神科医に、凶悪犯罪などの「狂気」が分析できるわけがない、というのが氏の論のタイトルになっているわけである)。
今回の報道でも、行為障害はほっておくと「分裂病(病気としての狂気)」に進展する可能性があるということが言われ、いかにも「人格障害」と「分裂病」が連続したものであるかのような印象を与えている。こっちの方が重要な問題だと思うがどうだろうか。
ちなみにこの鑑定結果がでる前に出た町沢静夫氏の「壊れた14歳」という本では、少年をはっきりと「反社会性人格障害」としている。興味のある方はこれを読むといいだろう(そういえば春日氏の論文は鑑定前どころか少年の逮捕前のものだ。その時点で「犯人は人格障害」と言っているわけだから、いかに「人格障害」というものが医学的な診断とは関係ないかということが分かるというものだ)。
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97.9.30
前項でドローソフト「エクスプレッション」をけなしたが、文句だけ言っていてもしょうがないので、デジタルは(ペンタッチに関しては)あきらめて、結局、丸ペンとGペンで描くことにした。
久々のペンであるが(ひるますの過去の作品はここ)、おどろいたことに昔よりきれいに描ける。実際に比較してみると、どーだか分からないが、描いている感覚として、ラインがよく「見え」、したがってよく「コントロールできている」という感じがするのだ。
皮肉なことだが、デジタルで描くという体験によって、逆にアナログの線が描けるようになってしまっていたのである。デジタルといっても、とくに「ベジエ曲線」という数学的な曲線で描くということが大きな影響を与えているのではないかと思う。
つまり、ベジエ曲線で、肉筆的な線を「トレースし」、いかにも肉筆であるかのように「模倣した」という経験によって、肉筆的な線というものがどういうものかということが、はじめて「見え」たというわけである。
というと、ほんとバカみたいな話だが、これは本当にバカな話なのである。ようするにどんな人にとってもマンガというのは「ある特殊なテクニック」だということは、自明のことなのだと思うが、私にとってはそうではなかった、ということである。
逆に言うと、私にとってはマンガというのは、「自然な過程」だったということである。「自然な過程」というのは、私がとらわれている「絵」に関する先入観である。無意識から湧き出るものが芸術だという思い込みがあるのだ。私自身はそう考えていなくても、それこそ無意識にそのように、とらわれている思い込みである。テクニックではなく、自然に、無意識にわき上がってくるものが芸術、つまり「絵」であるというような。
もちろん、絵描き、芸術家の中にはそういう人もいる(自然に、無意識にわき上がってくるのが芸術であることを、実行している、というか、実行してしまう人が)。しかし、私はそうではない。なにを表現するか、という「ビジョン」に関する部分では、そのような「沸き起こってくるもの」が大事だろうが、それが「見え」た段階で、それをどう表現するか、というレベルでは、あらゆるアートは「工芸」である(繰り返すが、そうでない人もいる。だから、私にとっては、ということだが)。
というわけで、ようやくマンガの「工芸」としての側面が見えてきたということになるのだが、とすればあとは「修行」しかすることがないのである。まさに三十の手習いということになってしまった。(ビジョンアートとテクニカルアートについてはここをごらんください)
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97.9.28
小浜逸郎氏の「子どもは親が教育しろ!」(草思社)がおもしろい。詳しくはこちらに。
ドロー系グラフィックソフト「エクスプレッション」(フォーチュンヒル社)を、使ってみたのだが、ちょいとお粗末すぎる。
これは基本的には「イラストレーター」と同じベジエ曲線で描くドローソフトなのだが、その(数学的な)曲線にペンタッチの「ストローク」を加えることができるというものなのだ。私がこのページでなんどか言ってきた「ベジエ曲線にペンタッチの味わいを与えるにはどうするか」という問題を解決するソフトなのだ。
というか、それを期待していたのだ。たしかにコンセプトを聞くとすごい製品のように思ってしまうが(実際どの雑誌でも「画期的」とか「ペインターを凌駕する」などと書いていた)、基本的に問題なのは下絵を張り込めないことだ。これでは白紙の上に描くしかない。あるいはイラストレーターやフォトショップで下絵をパス(ベジエ曲線)で描き、それを取り込む、というテもあるのだが、その方法では、厖大なパスをいちいちチェックして「ストローク」に変換していかなくてはならず、かったるい。しかも変換作業中に下絵と照合することができない。機械的な製図ならどうにかなるが、アートワークをつくるのに、これではまったく不便だ。
またベジエ曲線にストロークを与えるときに、ストロークライブラリというウインドウから選択するのだが、そのインターフェースがかっこわるすぎる。ペインターと同じ会社の製品なのだから、ペンやブラシなどの選択方法を統一して欲しい。こんなにかっこわるくては「創造する意欲」などわいてこない。(人のせい、いやソフトのせいにするわけではないが、ペンのストロークの次にいきなり犬のイラストが並んでいたりするのをみると、誰でもガクっとくるはず)。「エクスプレッション」つまり「表現」という名前にはじない製品に早いととこバージョンアップしていただきたい。しかもこの出来で製品化したのはそっちの責任なのだから、低価格でやっていただきたい。。
それにしても私はグラフィックソフトではとことん失敗している。「スマートスケッチ」というやはりドローソフトもひどかった。これはいまはどこでも見かけない。「エクスプレッション」もこのように消えないことを祈るばかりだが。
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97.9.27
先日来お伝えしている陶芸展「源流アジア」だが、さっそく私もいったのだが、非常にいい作品が多い。見ている方が、想像力をかき立てられる感じで、そういう展覧会はそうそうあるものではない。ぜひ銀座近辺に用事のある方は、お立ち寄りいただきたいものである。
これも先日お伝えしたカウンセリングの本宗像恒次「SATカウンセリング技法」だが、いよいよ来週には店頭にならぶ(上の広告では「発売中」になってるが)。詳しい紹介については広英社ホームページではまだ準備中なので、私の紹介記事をごらんください。キョウミのあるかたは、ぜひ書店でご注文ください。
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97.9.26
先日お伝えした陶芸展「源流アジア」だが、いよいよ今日から開始なので、ぜひおいでください。なお、出品している堀込和佳だが、陶芸の他に絵画・イラストもやっており、このサイトで紹介している広英社の本「ストレスをこなすからだの不思議」のイラストも描いているので、このページもごらんください。
サカキバラの「作文」なるものが公表されたが、異常にうまい文章である。まさに「作文」(虚構の意)という感じで、心情の吐露とは思えないのだが、どうだろうか。心の中の魔物、という言葉がなんどか出てくるが、ちょうど私は春日武彦氏の「心の闇に魔物は棲むか」(大和書房)を読んでいたところだった。これは非常におもしろい本で(春日氏の本はぜんぶ面白いが)、専門用語ばかりで何をいってるかわからない精神医学の本にうんざりしている方にはぜひ読んで頂きたい本だ(春日氏自身がそういううんざりした地点からものを書いているから、「ほんとうのこと」がズバスバと出てきて爽快ですらあるのだ)。
専門的な話といえば、DTPの出力代が異常に値下がりしている。うちの近所だけなのかもしれないが、8月あたりから値下げしたというところが多い。私はアルプス電気のマイクロドライプリンターを愛用しているのだが、最近ドットのズレやダブリが目立ち、(決して製品が悪いのではない。酷使しすぎているのだ、たぶん)買い換えねばと思っていたのだが、これだけ出力屋が値下げしてくると、外へ出した方が(品質対比の価格が)安いのでは、と思えてくる。もちろん、外部へ向けてプリントしたものを提出するという機会が増えてきたということが、背景にあるわけだが(デジタルマンガの続報はまた改めて)。
あと先日妖怪協会誌「怪」のことを書いたが、これに載ってる京極の小説は異常におもしろいので、ぜひ読んでいただきたい。あと荒俣さんの「ネアンデルタール人」のも非常に興味深いのだが、コリン・ウイルソンの「アトランティス」を下敷きにしているようなので、こっちも読まねばと思っている。コリンさんの本は、「神々の指紋」もどきの本なのだが、ふつうのトンデモ本が超古代なら超古代の「事実」を提出してただおどろいてみせるところで、コリンさんは常に「その意味を問う」というところが、決定的に違っている。こんどのアトランティスものも、宣伝文句にそういうことが書いてあったので、ぜひ読まねばと思っていたのだが、忙しさにかまけてすっかり忘れていた。
あとふと思ったのだが、さっき紹介した春日氏の本もじつはコリンさん的な考え方が基本にあるように思える。それは「想像力」の問題ということである。
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97.9.25
まもなく広英社から、カウンセリングの本が出る。宗像恒次「SATカウンセリング技法」である。
宗像氏は、先頃、PHP研究所から「本当の自分を見つける本──イイコ症候群からの脱却」という本を出したのでご存じの方も多いと思うが、今回の本は、氏が提唱するSAT技法について詳しく説明したもの。一見、カウンセラーをめざす人のための専門書という感じだが、氏は自らの技法をカウンセラーだけのものではなく、対人関係が大事になるあらゆる職業(ほとんどの職業が入ってしまう)の人に使ってもらいたいと考えているので、たとえば看護婦・薬剤師などはもちろん、教師や営業職など、普通の職業の人にも「使える内容」となっている。
イイコ症候群は宗像氏の用語で、一般にはアダルトチルドレンといういい方で広まっているものと重なるところもあるのだが、より明確に(単なる心の癒しということではない)自己成長というものを重視している点で、数歩先にでていると思う。アダルトチルドレン本で、なんか物足りないものを感じている方にもぜひ読んでいただきたい。
なお、SATは、「構造化連想法」の意味で、フロイトの「自由連想法」に比較した場合のこの技法の特徴を表している。この技法を一言で説明するのはむずかしいが、近頃の金属バット事件やサカキバラ事件で問題となっている「いいなりになるだけでなにもしない」ことを勧めるだけのカウンセリングを乗り越え、新しいカウンセリングのありかたを呈示するものである。
なお、宗像氏は筑波大学助教授。あのペルーの大使館人質事件で、人質に対する心のケアを担当したことでも有名である。宗像氏の主宰するヘルスカウンセリング学会のホームページはここ。
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97.9.20
源流アジアと題して、足達禎子、堀込和佳の陶芸作品展があります。
ネイティブなイマジネーションにあふれた作品がそろってますので、ぜひご覧いただきたいと思ってます。
9月26日(金)〜10月9日(木)までの、AM10:00〜PM7:00、銀座の児嶋画廊(問 03-3564-5072)。
場所は下の地図をご参照下さい。

97.9.19
前々項で、京極の「伊右衛門」は、吉井さんで映画化してほしいと書いたが、よく考えてみたら、すでに京極ファンがやっているホームページで、京極作品映像化のコーナーというのがあった。それは京極夏彦ネットコミュニティなのだが、思い出してから、あわててそこを見にいったが、まだ「伊右衛門」の映像化については出ていなかった。
このページでは読者からの投票によって、配役をランキングしているのだが、吉井さんは「榎木津」というキャラクターのところにランクされていた。そういえば(いまさら言うのもなんなんだが)、私はもともと「榎木津」は吉井さんしかない!と思っていたので、さっそく投票しておいた。ほかに唐沢や阿部寛などフツーの役者がランキングされているが、そんなフツーの人に「榎木津」ができるわけがない。ぜひ、イエモン・ファンの皆様にはこのランキングに投票していただきたいものである。
こうなってみると、「伊右衛門」について言えば、あえて京極の「わらう伊右衛門」の映像化でなくとも、四谷怪談(もの)の映像化であればなんでもいいから吉井さんにやっていただきたいというのが、私の気持ちだ。それほど私は四谷怪談そのものにいれこんでいるのだ。というわけで、四谷怪談のイメージをラフスケッチしてみた(右図)。いずれきちんと色をつけて掲載したい(というか、マンガ作品にしたいのだが。なお私のマンガについてはここ)。
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97.9.16
せっかくスペースがあるので、わが雑誌「グレート・アンバランス(G・U)」の広告を掲載してみた。(このページの上)。ながらく停滞していたのだが、今回新たな発想で、ようやく新装刊することになった。ただしタイトルが「G・U」のままいくかは未定。いちおう連続性はあるので、G・Uという名前はどっかで残るとは思うが。ともかく今は爆発的に企画がとびだしているので(ひるますのマンガも倍増する予定)、キョーミのある方は、上の広告欄をクリックしてください。
テレビ東京で夜中にやってるアニメ、「ハレルヤ・ツー・ボーイ」のオープニングアニメがよくできてる。アキラか松本大洋かという感じだ(いや、ひょっとしてバイオハザードか?)。
神戸新聞ホームページで、例の事件の続報を読むが、こっちの大新聞よりずいぶんと詳しく書いているのでおどろいた。リンク許可うんぬんがめんどくさいので、アドレスは書かないが、サーチエンジンなどから簡単にとべるだろう。
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97.9.13
でたでた、「怪」がでた。読売の夕刊にでかく出ていたので、あわてて買いに走った。まさか妖怪専門誌なんてものが、この世にありうるとは思ってもいなかった。しかも水木しげる・京極夏彦・荒俣宏のそろい踏みである。こんなうれしいことはないが、この3人の対談が掲載されていて、そのタイトルが「不幸の消滅」というのは、なんとも象徴的だ。この3人の組み合わせというのは、すでに妖怪まんだら〜水木しげるの世界というムック本(これについてはすでに書いた)が出たときに、予兆があったわけだが、こんなに早くそれが現実のものになるとは思ってもいなかったので、よろこびもまたでかい。
ちなみに京極堂の「わらう伊右衛門」(わらうは漢字だが、ばけるとイヤなので、かなで書いておく)は、まだ買ったまま読むヒマもなくつんどいている。しかし私にはこれが傑作だということはわかっている。私は読まなくても本の内容がわかってしまうのである。この作品の映画化のさいは、ぜひイエモンの吉井さんを主演にしていただきたいものだ。もちろんイエモン=伊右衛門というダジャレからいうのではない。イメージが合いすぎているのだ。
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97.9.8
イエモンについて書いたが、とくにイエモンの「笑い」にスポットを当ててみたのだが、「それを言うなら、イエモンは笑いと性だ」という指摘があった。たしかに言われてみると、それは重要だ。性を語らずして、イエモンを語ることなかれ。
私の性についての考え(なんじゃ、そりゃ)は、実はでぃーぷ・ひるますというコーナーの中の「エヴァンゲリオン」についてのコメント(シンジ君の謎)に、こってりと書いている。これは現代は、男の「エロス」が失われた時代であり、男女かかわらず真の自立のためには「自らの身体のエロス化」が必要だ、ということを書いたのだが、まさにイエモンは、この「エロス化」の理想を身をもって示しているように思う。実際、イエモン以外で、「エロス」を感じる男性アーティストはいない(この「エロス」というのは、男の色気なんていうなまやさしいものではないのだ)。
というわけで、でぃーぷ・ひるますのコーナーもあわせご覧いただきたい(なお、このコーナーはネタバレを含むので、自己責任にてご覧下さい)。
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97.9.7
チケットが余ったので、急きょ、イエモンのライブにいったのだ(西武球場)。いろんな意味で衝撃を受けてしまったので、さっそくレポートを書いた。イラストまでついたゴーカ版なので、ぜひご覧ください。
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97.9.6
スクールゾーンの第3巻がでた。ちょっと2巻から間があいてしまったので、あまり乗れなかったが、考えてみると、前にも書いたように、この人の本領は「おはなしづくり」で発揮されるので、スクールゾーンという作品はこの人にとっては傍系のものだという感じがする。
しかし、突っ込んで考えてみると、この作品は、そういう「おはなし」についての「おはなし」(メタおはなし)にもなっていて、著者としては、新たな境地を開拓しようとした意欲的・実験的作品だったのかもしれない。つまり、いわゆる「学校の怪談」をテーマにしていながら、単にお話によって恐がらせるのではなく、学問的(民俗学的・都市伝説学的)アプローチによって「学校の怪談」そのものを解体しつつ、そこに新たな「恐怖」を創造するという「すごい作品」なのではないか、ということだ。スクールゾーンは一応この3巻で完結しているのだが、「第一部完」となっているので、続きに期待したい。
この手のマンガ本はコンビニで容易に手に入るので、ぜひお買い求めいただきたい。
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97.9.2
いろいろデジタルのマンガについて書いているが、話ばっかりではなんなので、とりあえず2Dイラストのコーナーをつくってみたので、ごらんください。
これはカラーだし、ゲームキャラふうにしようと思ったので、前の項で書いた「ペンタッチ」のことは気にせず、ほとんどベジエ曲線(ようするに数学的な曲線)だけで書いている。色があるとなんとなくごまかせる感じもするが、どうだろうか。この件については後ほど、くわしくソフト使用法や事例などあわせ研究成果を報告したい。ただこういうベジエ曲線でのライン取りですむのなら、マンガ描きというのは確実にスピードアップするという感触をもっている。
書店で調べものをしていたら、洋泉社の映画秘宝シリーズで「幻の怪談映画を追って」というのが出ていた。いぜん、日本のB級怪談映画好きについて書いたが、そのデータやポスター、裏話が満載された本で、私にとっては涙ものである。たまたま私は先日、ワウワウで放送して録画していて見ていなかった「怪談 累が淵」を見たのだが、またもや偶然の一致だ。ぜひ皆様もお買い求めいただきたい。
なお、そのいぜん書いた項目では、「逆吊り幽霊死棺破り」が、「ビデオ化されている」などと単純に書いてあるが、そのビデオ化をしたのが、この本の著者・山田誠二氏であり、そこに至る過程は並々ならぬものがあったということを初めて知り、ここに畏敬の念を表するしだいである。えらい!(本の内容も、出だしからして猪瀬直樹が本気で書いたときのノンフィクションみたいに素晴らしく、気に入った。)
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97.8.29
先日スクリーントーンはりこみソフトのことを書いたが、さっそく開発元のモード(モードのホームページはここ)の方よりご回答をいただき、感激している。
グレースケールだけでなく、さまざまなパターンが用意されているということなので、そこがマンガ的な表現をデジタルでやるという場合に、使えるということなのだろう。ちなみに私はほとんどグレースケールのスクリーントーンしか使ったことがないなのだったが(スクリーントーンが高いから)、このソフトが手に入れば、いろいろと使えるかと思うと期待は高まる。
(ちなみにスクリーントーンは画像データとしてはすでにいろいろと出回っている。フォトショップのプラグインソフトになっている、というのが、今回のモード製品「パワートーン」の特徴だ)
しかし私にはスクリーントーンでの仕上げ以前に、ペンタッチがうまく描けないという問題がある。まずはこれをなんとかしたい。鉛筆の下書きや、ベジエ曲線でのラインどり(むかしで言えば「ひさうちみちお」風のロットリングによる描画)だとそこそこ見られるが、ペンタッチの味わいをつけようとするととたんに見られたものでなくなる。これをなんとかしないと、「マンガ風」にはならないので、苦労しているところである。
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97.8.28
池袋に新しい書店ジュンク堂というのができた。超大型書店という謡い文句なのだが、どうも店内はせまっくるしく感じた。ただ探してた本はすぐに見つかり、じっさいのところ、品揃えは充実していると認めざるをえない。
広告に「いつのまにか本の街になっていた池袋」というコピーがあったが、ほんとうにそうなった。とくにマンガ関係の書店はそろってる。
というわけで、池袋へおいでの方のために、池袋一うまい中華屋を紹介しておこう(ぜんぜん本とは関係ないが)。
それは海外天である。「えびつゆそば」と「えび餃子」の組み合わせが、私はおすすめだ。昼は飲茶セットもあるらしい。しかし私はほとんどえびそばしか食わない。というか、どの中華屋へいってもほとんど、えびそばしか食わないのだ。だから、言い直すと、ここは池袋一えびそばがうまい店だ、ということになる。ピーダッシュ・パルコに向かう道をまっすぐいった寿司屋の二階だ。

97.8.27
ぜんぜん更新していないのに、おいでいただきありがとうございます。
マックでマンガを描いているとかいたが、うれしいことにフォトショップのプラグインでスクリーントーンが張り込めるソフトがでるという。松戸にあるモードという会社が開発したとのことで、モードのホームページはここ。
考えてみればグレースケールで描いても、ある程度の線数でレーザーなりセッターで出力してしまえば、マンガとして印刷は可能なのではないかと(勝手に)思うのだが、どーなんだろう。やっぱスクリーントーンを使うからこそマンガという味わいがある、ということなんだろうか。よくわからないが、ともかく私はこのソフトがいまいちばん欲しい。ちなみに発売は九月上旬とのこと。
紙媒体用マンガのほか、まったく更新されていない3Dも、あらたな企画はすすんでる。この前、岩手に帰ったとき、鬼の館という珍しい「鬼に関する博物館」に行ったのだが、そのときに、「鬼を(3Dで)つくりてぇ」と痛切に感じたのであった。
あとあまり宣伝したくないが、中井久夫のエッセイがみすずからまた出た。「アリアドネからの糸」というブンガクの香りただようタイトルで、メインは「いじめ」である。私のいじめ論もまだ読んでない方はごらんください。
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97.8.20
中井久夫の「精神科医がものを書くとき1」の帯が新しくなった(右図)。カバーも消費税に合わせて新装になっているのだが、デザインは変わっていない。しかしこの帯の変更で、ぐっと渋くもまたかっこいい表紙となった。色の他にキャッチコピーもかわったので、ぜひ店頭でごらんいただきたい(広英社ホームページはここ)。
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97.8.18
ひるますのイラストがちょっと新しくなった。背景をちょっと3Dで追加したのだ。ちなみにこのイラストはマンガの予告編として描いたのだが、その後、本編はいっこうに進んでいないので、こういうことでつないでいるという次第なのである。
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97.8.16
前に書いておいた稲川淳二の怖い話だが、先日サンシャインプラネタリウムでみてきた。怖い話についてはいまさら論評するまでもないのだが、期待したとおりプラネタリウムへの心霊写真投影もあり、満足した。ただ私はプラネタリウムというものはもっと巨大なものだと思っていたので、サンシャインのはちょっとこじんまりしすぎていてがっかりしたのだが。そしてこの日以後、東京の気温は急激に下がったので、私にとっては、これが「夏の終わり」となった。
ところで、稲川淳二の心霊写真CD-ROMが発売されているので、さっそく買ってしまった。これはマック&ウィン両対応で1300円という格安ものだ。稲川淳二の解説(音声)がついているだけでも得した気分なのに、この解説がただの解説ではなく、ちょっとした稲川淳二一流の「怖い話」にもなっているし、このパッケージ自体がムック本になっているのだが、これにも稲川淳二のこわい話がのっているという、ものすごいお買い得なのだ。ぜひいまの内に買っておこう。
ところで私の心霊写真体験というと、ものすごいのが1枚あったのだが、(小学生の頃)私と姉貴が見つけて母親に見せたら、母親が「これはテレビ局に送らねば」などといってもっていたのだが、どうしたわけか失してしまったのだ。
あれがいまあったら、日本の心霊写真史上に残る(?)すごいものになったはずだと思うと悔しいが、ここで簡単なイラストで再現してみよう。

場面は墓場だが、特殊な場所と言うわけではない。私が子供の頃住んでいた家のすぐおもてが墓場だったのだ。しかもいま考えるとヘンだが、この墓場はこの町の繁華街のど真ん中にあった(つまりウチもある意味で町の真ん中にあった)。だからこの墓場の中で、私はよく遊んでいたのだが、そんなときにとった写真なのである。
私と姉が並んで写っていて(私3歳くらい、姉5歳くらいだろう)、その背後にある墓のちょうど後ろに日本髪をゆった女の顔が半分だけ写っているのである。これが完全に「ひと」という感じで写っていて、いわゆる心霊写真のような木の陰がそう見えるというようなものではない。くっきりと写っているのだ(もちろん首から下はないし、顔だけ出したとしては不自然な位置なのである)。ほんと、失したのがもったいない。
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97.8.13
わが愛機ノートパソコン「パワーブック5300」だが、ついにクリックボタンがイカれた。
最近はマック上でマンガを描きまくっているのだ。このサイトの更新が遅れ気味なのも、そのせいなのだが、壊れるほどクリックやドラッグを多用したのだと思えば、充実感を感じるところもあり、あまり腹がたたない(いずれ作品はここにも掲載したいのでご期待を)。
症状としては、思いっきりたたくと反応することもあるのだが、ほぼ死んでいる状態。クリック感というか、手応えそのものがないので、物理的というかメカニズムの故障だと思う。こういうとき、マックの一個ボタンというのはいいのか悪いのかわからなくなる。ウィンドウズの2個ボタンはひょっとするとソフト的に予備として使えるのではないだろうか。とりあえず古いマウスをひっぱりだして、代用したが、やはりマウスの方がだんぜん使いやすく、かえって仕事ははかどった。この故障も怪我の功名か。
しかしやはりヤワすぎるぞ、と一言はいっておきたい。
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97.8.11
気を抜いていたら、あっという間に10日間も更新をあけてしまった。夏バテと貧乏脱出作戦のため、いろいろと忙しかったのだ(前からちょこちょこ書いているが、私は超貧乏なのだ。今月末にはここのプロバイダーさんとの契約更新もあるのだが、はたしてそれを乗り切って、このサイトは存続できるのだろうか?)。
ちなみにこの更新の空白期に私はちょいとまた岩手に行っていた。まえにここに書いた蕎麦屋にももちろん行って来たのだが、あいかわらず旨かった。今回はさらにいろいろと発見もあったので、おいおい報告したい。また新しいコンテンツの企画もばしばし立てているので、ご期待いただきたい。
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97.7.31
たびたびお伝えしているがHasikenのライブがある。
8/28(木) 南青山マンダラ(問:チケットぴあ)なので、よろしく。
最近、ホラーマンガにこっているのだが、つい最近まで恥ずかしながら犬木加奈子さんのことを知らなかった。業界ではすでに巨匠のようだが、私は傑作「スクールゾーン」を読んだ時に、「面白いけど日野日出志のマネじゃん(絵が)」などと思っていたのだ。この人がすごいのは「お話」にこだわる、ストーリーテラーとしての資質だろう。キャラクターが描きたい人、思想が描きたい人、アクションが描きたい人、世界観を描きたい人、といろいろな作家はいるが、本当の意味で「お話」が描きたい人というのはそんなにいない。というか、これだけは本当の素質がなければ「描けない」ものなのかもしれない。「お話」が描きたい人として思いつくのは、なんといってもスティーブン・キングであり、マンガ家では梅図かずおだろうか。(もちろん手塚治虫もそうだといえばそうなのだが・・やはりどこにでもいそうな無名な人の「お話」を描きたい人ではなかったような気がする)。
私がこの「スクールゾーン」を読んだのは、週刊アスキーでのコミック評でみて気になったからだったのだが、こういうカタチでコミックを紹介してくれているのもうれしい(いわゆるオヤジ週刊誌はまったくコミックの紹介はない。実態としてはオヤジたちもジャンプやマガジンを読んでるようなのだが)。最近はなかなかマンガをチェックするというのももはや大変なことになっているので。
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97.7.26
97.7.24の「朝日新聞について」で紹介した「週刊言志人」の運動だが、私のコメント(疑問点)に関してご本人から説明をいただき、このページに書いた「プロバイダー自体が問題なのでは?」ということについても、すでにちゃんと調査を開始していらっしゃる(現在調査中)ということも分かったので、ここで報告しておきたい。
この件についてはまたフォローしていきたいと思っている。運動というのはとにかく大変なエネルギーを必要とするもので、ハタからはそのターゲットに対抗してものを言っている部分しか見えないものだが、その背後ではその「ひとこと」を言うためにいろいろな調査・取材がある。それを考えると、このようにことを進めている人たちには頭がさがる。たとえば私は「早急に少年法を改正するべき」と思っているのだが、そのことについても言えるのは、ここでそのことについて書いたりしてもなんら事態は進展しないし(まだ真正面からとりくんで書いてもいないが)、さらには「識者」たちがマスコミを舞台にして、あーだこーだいくら言ってさえ、事態はなんの進展もないのである。それを「変える」には何らかの政治的な運動が必要なのだが、さてどうすればいいか、ということになると私には決定的ないいアイデアというものはない。とりあえずやれることはやる、ということしかないのだが。
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97.7.25
きのう、朝日の問題に関連してコメントしたが、ちょうどいま出ているSAPIO8/6号(小学館)が、新聞というメディアへの批判を特集していた。これにより朝日の偏向性というものの一端が明らかになると思うので、あわせてごらん頂きたい。この特集は朝日に限定せず、新聞一般をターゲットにしていて私も共感している。特に西部邁さんの、今回のフォーカス「問題」に関するものは、リアリティの問題も含めて共感した(私のリアリティについての考えはここ)が、このような考えを読むにつけ、西部さんは、インターネットホームページなどに比べて比較的「強い」メディア(雑誌「発言者」の意)を自分で持っているのだから、自分のメディアに堂々と少年の写真を掲載すべきだと思わざるを得ない。これについてはすでに立花隆氏について言ったことと同じことである。
私は「新聞」というより「新聞とテレビ」の複合体としてのマスメディアがそもそもの問題だと考えている。これについては、そういえば以前にも書いている。「個人の表現の発信」という文書の中で、栗本慎一郎の「情報の集団処理システム批判」を紹介した部分だ。こちらもごらん頂きたい。
このSAPIOには、例の「新ゴーマニズム宣言」が連載しているが、今回はサカキバラだ。これは傑作なので、ぜひ買って読もう。今回のゴーセンは、私でいえば「過剰な感情移入はやめよ」で書いたことと重なる部分も多く共感したが、さらに突っ込んで言いきっており、爽快なのである。
ちなみにきのう「私はそもそも朝日なんて買わない」と書いたが、よく考えてみると97.7.14の「言葉が熟すとき・・」という記事で朝日を読んだと書いている。これは仕事場で読んだのだった。
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97.7.24
ウチのオンライン雑誌へのリンクからもリンクさせていただいている「週刊言志人」さんによると、「朝日新聞が、あちこちのプロバイダーに圧力をかけて、自分たちの気に入らないホームページを閉鎖させ、利用者を追放処分に追い込んでい」るとのこと。くわしくは「週刊言志人」の記事をごらんいただきたい。
この件は例の神戸での殺人事件に関連して起きていることで、私のページも人ごとではないのだが、ここで言われているような朝日によるプロバイダーに対する圧力というのはよくわからない。そのプロバイダーは朝日に脅されてホームページを閉鎖したというのだが、そんなプロバイダーなら、そのプロバイダー自体がどうも弱腰過ぎるというか、なんの「志」もないのではないか。
朝日新聞にちょっと言われたくらいで顧客の貴重なデータを消去してしまうような、権威におもねるプロバイダー(朝日に権力が実体としてあるというよりも、そういう「権威」主義者たちが朝日に権力を与えてしまっているのじゃないか)ならば、とっととつぶれてしまっていいじゃないかと私は思う(ウチのプロバイダーがそんな奴でないことを願う)。そんなプロバイダーは「自由な言論とコミュニケーションの場」としてのインターネットを自ら作る意志がなく、したがってそこに参加する資格がないからだ。
しかし私も朝日新聞の姿勢自体には(とくに今回の事件に関しては強く)疑問をもっている(基本的には偏狭な価値観を、あたかも客観的な事実であるものとして報道するという姿勢に)。フォーカス「問題」での私の態度は朝日や灰谷氏に近いのではないかという印象を持たれたかもしれないが、まったく逆のものであることは先日の問題整理の記事をごらんいただければはっきりするだろう。この件に関しても朝日を弁護するなんの理由もない。
朝日にしても、TBSにしても(私はまだ忘れてはいない)、自分たちが「公共性」の代弁者としての存在理由を持っているということで根本的に錯覚している。彼らには「自分自身が必ず存在しなくてはならない理由」などは実はないのである。それがなくても誰も困らないんだという健全な市場原理にさっさと気づくべきだろう。朝日がなくなったって、「公共性」を語るメディアがなくなるわけでもない。朝日も「週刊言志人」の記事で言われていることが事実なら、不買にも値するだろう(ともかく私の主観的な発言だけでは不手際になるので、ぜひこのページもごらん頂きたい)。私はそもそも朝日なんて買わないけどね。
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97.7.23
更新がとぎれたので察しのいい方は気づいていると思うが、「攻殻」を始めてしまったのだ。ゲーム自体は私にはとてつもなく難しく、なかなか進めないのだが、「攻殻」の世界そのものが非常に気に入ってはまっている。
私は原作のコミックも読んでなくて、映画版のアニメだけを見ていたので、この作品に興味を持てなかったのだが(それほどあの映画版はつまんないと思う)、今回のゲームの「原作に近い」キャラクター設定を見てはじめて興味を持ち、原作を読んだのだが、これはスゴかった。そのスゴさとは別に、今だから言えるのは・・・やっぱりエッチじゃなければ「攻殻」ではない!ということだ。それにしても講談社は関連の便乗商品(攻略本、アートブックなど)を立て続けにだしており、この金欠の時期、私を悩ませる。
ついでに「オタク日記」を書いておくと、妖怪まんだら〜水木しげるの世界というムック本が出ており(世界文化社)、衝動買いをしてしまった。
このムック本はいろいろと「文化人」が水木しげるの作品について論ずる内容のほか、貸本のカラー写真や、鬼太郎グッズの写真、未発表のマンガ(熊楠の幼年期を描いたもの)などが収録されており、ファンは必携だ。唯一、中沢新一氏との対談は「もうやめてくれ」という感じだが、京極夏彦氏のエッセイと「注釈」はすごい。
あと、来月14、15日に池袋サンシャインのプラネタリウムで稲川淳二のこわーい話のライブがある。なんとプラネタリウムである!・・・あの天蓋に「心霊写真」が映し出されるのだろうか。考えただけでも恐ろしいが、私はさっそくチケットをとってしまった(これで「エヴァ」も「もののけ」も観れそうにない。私はくりかえすがすごい金欠なのだ)。まだ席はあるらしいので、近所の方はいそぎチケットをとろう! ちなみに開演は八時半という「夜更けの公演」である。
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97.7.20
きのうも時間がないと書いたばかりだが、私がいちばん気になっているのは、プレイステーションででた「攻殻機動隊」だ。またゲームに手を出すと時間がなくなってしまうのは分かり切っているのだが・・。そういえば「バイオハザード」もディレクターズカットが出るそうで、また時間を奪われそうで怖い。
そういえば今日のサンデープロジェクトで小田晋さんが「バモイドオキ神」は「バイオモドキ」のアナグラムだ、と言っていたが、私もはじめて見た瞬間に直感的にそう思った。しかしこれは直感以上のうらづけはなく、なんとも言えない。別の番組で山崎哲氏が、アングリは「アングリマーラー」であり、オウムの影響が感じられるとしていたが、しかしこの二つを結びつけるものはまだない。情報をまちたいところだ。
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97.7.19
書いておくべきたくさんのことがあるのだが、いそがしい上に次から次へと「動き」があって書いている時間がない。今日も例の事件での第四波とでもいうべき動きがあった。つまり「犯行メモ」のことだが、「事件発生」「犯行声明」「少年逮捕」につづく、大きな変化点となるだろう。ふりかえってみれば、この「変化点」はすべて、世間−マスコミの論調の変化点でもある。「犯行声明」の時点において問題にもされなかった「義務教育」の問題?が、「少年逮捕」で一気に問題化され、ここのところやや沈静化しつつある(「学校」が直接の原因でこのような犯罪が起きるわけがないという当たり前の冷静な論調がふえてきた)わけだが、この「犯行メモ」によって「教育問題化」の議論も終息に向かうことが予想される。
また少年逮捕の段階ですでに、今回の犯行メモに見られるような「宗教性」の存在を指摘していたのは社会学者の大澤真幸氏のみだった(日テレの「ザ・ワイド」でのインタビュー)ということは言っておこう。一部、小田晋さんもそのようなことを言ったが主たる要因としては見ていなかったと思う。
というように状況が変化しているところで、少々遅くなったがフォーカス「問題」をあらためて整理してみたので、こちらをご覧ください。
ところで今日はエヴァの公開日だということであるが、もちろん私は観にいってない。仕事をしていたのだ。私のエヴァ解読は「でぃーぷ・ひるます」のコーナーに書いておいたが、このまえ講談社メチエ選書の「現代思想で読むフランケンシュタイン」を読んでいたら、これも非常にエヴァ解読のヒントになるところが多い(?)。フランケン・・にも興味のある方は急ぎごらんいただきたい。ところで私のフランケン・・への思いは尋常なものではない。これについてはいずれ書きたいと思っている。
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97.7.14
朝日新聞夕刊に「透明なボク」なるコラムのシリーズが掲載されていて、先日は河合隼雄氏が書いていた。その中で河合氏は「言葉が熟すのを待て」と書いている。これは同世代の子供たちの「言葉が熟すまで」、語らせるのを待てと言っているわけだが、それは私が「過剰な感情移入はやめよ」とくり返し言ってきたこととつながるものだろう。さらにこれについて思うことはこちらに書いたので、ご覧下さい。
それにしても週刊アスキーでは大槻ケンヂが「サカキバラは僕のかわりにつかまった」などと、それこそ「熟しもしない、何の意味もない言葉」を吐き散らしており、なさけなく思った。
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97.7.13
ちょっと前になるが、小谷真理さんという方の「聖母エヴァンゲリオン」(マガジンハウス)という本をみつけて「おおっ!」とびっくりしたというか、「やられた!」と思った。私が「おおっ!」と思ったのは、他でもない、この本の帯に「あなた、女になりたいの。」というコピーが書かれていたことだ。
これに何で「おおっ!」と思ったかということを書くと、「エヴァンゲリオン」のネタバレ、というよりも「エヴァ」ファンの神経をさかなでするものになってしまうかもしれないので、例によって「でぃーぷ・ひるます」のコーナーに書いておきます。ヒマな方は自己責任においてごらんください。
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97.7.12
このサイトでお伝えしている下村誠の音楽仲間「梶田イフ」のライブ情報が入りましたので、「アイタル通信」のコーナーに掲載します。
なかなかこの「アイタル・・」のページは更新してないが、もともとは「アイタルな(ピュアでナチュラルな、手作りの)アート・イベント・コミュニケーションの情報を発信します」というのがうたい文句のページで、イフさんの音楽は、まさにそういう感じだ。
というわけで、このコンテンツもこれから充実していきたいと思ってますので、このページにふさわしい情報ならなんでも載せますので、どしどしメールで情報をお送り下さい。
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97.7.11
先日、デビッド・リンチの「ロストハイウェイ」の攻略本を掲載した(「でぃーぷ・ひるます」のコーナーをご覧下さい)が、扶桑社の文庫本で「ロストハイウェイ」が出ているとは知らなかった。これはシナリオ(映画ではカットされている部分もあるとのこと)や、リンチのインタビュー、リンチ主義者?の滝本さんの批評などがのっているのだ。私も自分の書き込みを「攻略本」などと称していきまいた手前、読まねばと思っているのだが、しかし一方では、この作品ってそれほど時間と労力をつぎ込む価値があるのか?と思うのも事実だ。なんか「閉じた作品」というか、もうその先の広がりってあまり期待できないって感じではある。とりあえず、そういう本もあるということをここで紹介するにとどめる。
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97.7.9
すっかり「サカキバラ」専門ページと化していましたが、ひさびさにワイルドティアーズについてお知らせです。
8/3(日)高円寺ショーボートでのライブは、ワンマンと書き込んでいましたが、元Hasikenの上村美保子さんの新ユニット「PARALLEL(729)」とのジョイントであることが分かりましたので、訂正してお知らせします。
上村さんといえば、そのHasikenのライブでもソロを何曲かやっていたし、Hasikenの「グランドライフ」のバックボーカルに泣いた人も多いのではないだろうか。たのしみにしていただきたい。
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97.7.8
先日、14歳の容疑者への過剰な感情移入についての批判を書いたが、その中で坂口安吾のある文章を引用したのだが、夕刊紙(東スポ)を見ていたら今村昌平監督の次回作が安吾原作の「肝臓先生」だという記事が出ていたので、ちょっとした偶然の一致となった。まだまだシンクロ率(シンクロニシティの起こる頻度の意。エヴァとは無関係である)は、落ちていないようだ。
ところで、この記事のとくに安吾の部分近辺は、あわてて書いていたので説明不足かとも思っていたので、加筆していたところだった。私の書いたものは、基本的に書きなぐっているので、しょっちゅう後で書き換えたりするということになるわけである(例のプロファイリングもどきの「推理」ものは書き換えていないけど)。この書き換えはこちらをごらんください。
ところで私はこの「肝臓先生」は読んでなかったので、いま読んでみたが、異常によかった。「異常によい」、安吾の作品についてはそれ以外に言葉がない。
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97.7.6
各マスコミでは、例の声明文への「14歳の人々」の感情移入しまくりの感想なるもの(つまり首切り殺人者への「共感」の表明)がたれ流されていて、いっときあきれてしまっていた。が、その後の報道番組では、若干、同世代の人々の「(そのような共感への)反発」が表明されており、まあ当たり前のことではあるが、それほど世の人々も、若者も「おかしく」はなっていないのだ、と気を取り直した次第であった。この過剰な感情移入についてのコメントはここ。
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97.7.3
かていの問題・・・。例の中学校校長が、学校側の責任を追及されて、「いまはまだかていの問題ですから」といったところ、アッという間に「校長は問題を家庭の責任にした」ということになってしまったが、私はどう考えてもアレは「仮定の問題ですから」といっているとしか思えなかった。と思っていたところ、きょうのあるワイドショー(フジ系の朝)で実際、そのように訂正していたので、私の「耳」の方が確かだったようである。しかし、この一言で「学校を問題視しようという」マスコミの大きな流れができてしまっているようだ。しかし私は今の段階で学校の問題を詮索し、原因さがしすることについてはかなりの疑問がある。これについては若干加筆したので、「月刊ひるます」内の記事をご覧ください。
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97.7.2
周知のごとく、フォーカスがバカなことをやったが、なんの主義も論理もないあいまいな態度でこんなことをやっていることがほぼはっきりしており、あきれた。少年法への「問題提起」をしたいのであれば、言論でやるべきで、なぜこんなスキャンダリズムでことを起こさなくてはないのか。このようなこと自体が単に新たな問題になるだけのことではないか。今回の事件があの少年によるものだとして、その少年の「ニヒリズム」と、この企業のニヒリズムはまったく同質のものではないか。「弱い相手」ならなにをしてもいいということなのだから。こんな企業に少年のことを「問題」にする資格があるのだろうか。
私が怒りを感じるのは、このような行為が「問題提起」どころか、真摯な議論に水をさすものでしかないからだ。「問題提起」をしたいのであれば、堂々と言語によってするべきである。はっきり言っておくと、私の主義は「14歳でもきちんと裁判を受け、刑罰を受けるべきだ」というものであり、死刑だってありだと思っている。適正な議論によってそこへ持っていきたい、というのが私のいつわりない気持ちだ。
しかもこの段階では彼はあくまで「容疑者」でしかない。当たり前のことを言うようだが、いったい河野さんの「事件」での反省はどうなったのか。なぜ少なくとも「起訴」(今回の場合はそれはないが、それに相当するような段階)を待てないのか。まえに大塚氏への批判を書いたときに、彼が「容疑者も定かでない段階で、プロファイリング的報道をする」マスコミを批判していることを紹介し(て批判し)たが、それは逆で「容疑者が定かになった段階」だからこそ、やたらなことは言うべきでない、のではないか。つまり容疑者が定かでないときは、犯人逮捕という目的において、さまざまな情報を提供していく必要があるが、容疑者が特定された時点では、その容疑者についての仮定の議論はできないのではないか、ということだ。
ところで、先日の記事で村山氏によって「日本における現実がすべて冗談になってしまった」ということを書いたが、まさにこの事件は「冗談としての現実」の上でおきているような感じがしてならない。この「フォーカス」の編集長は冗談で出版をしているとしか思えないではないか。われら大人にとっては「現実が冗談になった」ですむが(ほんとうはすまないのだが)、それが子供に与えた影響の大きさは甚大だ。今朝のワイドショーで劇作家の山崎哲氏が、私同様、村山氏の行為(あるいは非行為)が決定的であったのではないかと指摘していた。もう一度いっておくが、ホラービデオなどの規制を考える前に、政治家・企業家などが、自らの言動に責任を持ち、現実の行動こそすばらしい価値をもつのだという範を示すことの方が、よっぽど重要なのではないか。
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97.7.1
昨日発売の「INTERNET DA(DirectAccess)」誌(Vol.13)に、ウチの「月刊ひるます」が掲載されていますので、ぜひ買ってごらんください。「オピニオンページ」の特集コラムでとりあげられているので、他のオピニオンページのアドレスなどもチェックできるのだ(ウチのオンライン雑誌へのリンクから、たとえば「週刊言志人」などのリンクをたどっていけば、かなりのページは見れると思うが)。
しかし、以前「インター・オタク・ネット」という本で掲載されたことを書いたが、そのとき、今後はマンガに力を入れますと誓ったのだが、いまだに果たしていない。これを機になんとかしたい。
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